ようやく・・・

ようやく、ペースがつかめてきた、かもしれない。

4月5月と、腰の落ち着けどころがなく、どうしていいのか定まらず、右往左往だった。
新しい環境に慣れること、新しい課題に取りかかること、その中で一つ一つの出来事
に対応していくこと・・・。本当に必死の日々だった。

まだ「慣れた」とは言えない。でも、ペースが少しずつ掴めるようになった気がする。
そして、それと共に、新しい環境・課題の中で、「自分に出来ること」と「求められている
こと」の整合性が、少しずつではあるけれど、取れるようになってきたかもしれない。
簡単に言えば「自分らしい仕事」が、ちょびっとずつではあるけれど、芽生え出した
ような気もする。すると、僕もようやく落ち着けるようになってきた、そんな感じだ。

そんな力をくれたのは、やはり「現場」だった。関西の現場だけでなく、今週から山梨の
現場にも足を運び始めた。やっぱり研究室に閉じこもっておらず、現場の空気を吸い
ながら考えていると、硬直した頭が少しは柔らかくなり始める。そして、いろんなアイデア
を現場で頂く。これがなきゃ、僕らしくない。

来週以後も、定期的に、いろんな現場に出かけていこうと思う。時には学生さんたちと
一緒に。そして、現場のエネルギーを吸い込んで、授業の場で新たな何かを学生さんに
伝え、共に考える、という作業を繰り返していこう。そういう循環作業の中で、僕自身、
もっと勉強したいと思うし、成長していこう、と思う。

ようやく、いい流れになってきた!

渦の底から・・・

ここしばらく、落ち込んでいた。昨日から今朝にかけて、最悪だった。
どんな風に学生エンパワメントに役立つ授業をすればいいのだろう、
僕には何が出来るのだろう、と悪循環の渦の中に引き込まれていた。
全てのことが嫌になりかけていた。そして、恩師にSOSの電話をかけた。

恩師はさすがだった。僕が悩んでいたことに対する的確なアドバイスを
して下さっただけでなく、肩の力が入りすぎていたこと、気づいたら僕らしさ
がなくなっていたこと、まで気づかせて下さった。久しぶりに恩師の名調子
を聞きながら、見失いそうになっていたものに想いをはせた。まずは足下
を見ながらきっちり実践を重ねる大切さ、おもしろさ、を思い出しただけで
なく、これなら自分でもやってきた事だし、出来るじゃないか、という勇気
まで頂いた。本当にありがたかった。僕もこれで来週以降、少しは変われ
そうな気がする。何より実践で楽しんでいけそうな気がする。

久しぶりに、我が師の偉大さを再認識した。本当に、ありがたい。
来週以降、実践するなかで僕らしいtrial&errorを繰り返していこう、と
想いを新たにした。

 

器なるもの

この連休中に、ようやく時間が出来たので、色々考えている。
その中で大きく占めているのが、「自分の器」なるものに関してだ。

今、新しい職場で、もう一度「生まれ変わり」ほどではないにしろ、
脱皮の時期を迎えているのかもしれない。
様々なことが要求され、僕自身新しい様々なジャンルに挑戦している。
時間が足りない。勉強したいターゲットは山ほどある。継続して続けた
いこと、新たにするべきこと、など、課題は山積し、目の前の11つに
対応していくだけで、4月はあっという間にすぎていった。改めて、自分
の「器の小ささ」に辟易する日々であった。

でも、連休にようやくひと呼吸できて、ある種、腹をくくった。
「結局、自分が出来ることをコツコツ重ねることしか、僕には出来ない。
そうしない限り、僕の器は拡がらない」
こんなことくらいはわかっていたつもりだったけれど、実際に
出来ていなかった、ということは、芯から納得していなかったんだろう。
焦りばかり先走って「地に足着いていなかった」んだろう。そんな
状態じゃあ、拡がりうる器も逆に狭まってしまうばかりだ。

〆切と求められている水準を守りながら、でもマイペースに、出来る限り
の誠実さで、11つのことに対応するしかない、そう、ようやく踏ん切りの
ついた夜であった。

脱線事故雑感

JRの脱線事故に関連するニュースに接して、どうも腑に落ちない。

確かにご家族の怒りや悲痛は痛いほど伝わってくる。JRの安全軽視と
ダイヤへの固執への問題点もよくわかる。でも、もっと深く考えないと、
問題の本質は捉えられないような気がしてならない。

まだ、きちんと考え切れていないので、今は考えるべき材料だけを
列記しておこうと思う。

・「時間感覚」について
僕自身が大阪にいた頃、京阪神をそれこそ「分刻み」で移動するような
日々に慣れていた。それが当たり前だ、と思っていた。素早さ、が美徳だ
とすら感じていた。その感覚で山梨に来て、ゆったりした速度感に最初、
いらいらさせられた。だが、事故後の報道を見ていて、普段のダイヤの誤差
が1分以内、というのを知るにつけ、それ以上「遅れてはならない」「素早く
しなければ」という、ある種の強迫観念が、すごく気持ち悪く感じる。そして
それを内面化していた自分にも。
 よく駅で、電車が10分こないだけで、駅員につっかかっている客を目に
していた。僕自身も、数分遅れで舌打ちしたこともあった、と思う。事故などで
JRが止まるたび、客が血相を変えて駅員に殴りかかろうとした事件があった
事も思い出す。なぜ、そこまでに時間に厳格さを求めるのか? 
 これは電車に限った事ではない。宅配時間の「翌朝時厳守」などの厳格さ、
大企業への24時間以内の納品厳守、などの、いろいろな「納期」という厳しさ
にも通じると思う。なぜ、ここまで時間にコントロールされねばならないのだ
ろう? この論理を内面化させているのは、どういう力が働いているのだろう?

・「個々の個人、会社だけの責任なのか?」
何かの問題が日本において生じた時、マスコミは手のひらを返したように、
問題を起こした企業や個人の責任を追及する。時にはまるで「あら探し」で
あるかのように。たしかに「あら」は出てくる。だが、その「あら」に原因を全て
押しつけて「それ見たことか!」と大岡裁判をしている、その裁判の根拠は、
いったい何なのだろう? 私はこいつ、この企業とは違う、という高みの見物
のような「傲慢さ」を報道に感じるのは僕だけなのだろうか? もっというと、
悪いことをした会社の記者会見時の、一部マスコミ記者の偉そうな突っ込みを
耳にすると、「あんたがそんなきついことを言える立場か?」とすら思うのは、
僕だけなのだろうか。
 確かに運転手もJR西日本も悪い。それは事実。でも、急がせたのは、少し
でも遅れたら文句を言い、抗議をする客なのではないのか? だから乗って
いた客が悪い、というのではない。じゃなくて、傍観者然として、高みの見物を
していて、違う場面では駅員に怒鳴っていて、この問題発覚後はJRに対して
ひどいと感じている(かもしれない)私たち自身にも、この問題の根本原因は
ないのだろうか? それを棚上げして、誰かを血祭りに挙げても、気は済むか
もしれないが、解決策とは言えないのではないか?

繰り返すが、JRの安全軽視、モラルのなさ、は言語同断である。事件後の
同じ日に車掌区でのボーリング大会があった云々を見ていると、JR職員
自体がこの問題を「他人事」と考えている姿勢に、あきれて言葉も出ない。
だが一方、自分がもしJRの職員、この運転士だったら、同じミスをしなかった
のか、と言われると、その自信がない。そういう「自分事」として、事故を起こした
会社や社員の問題を構造的に捉えない限り、他人事としての「いじめ」のような
報道は、接していてすごく嫌な気になってしまう。

まだまだモヤモヤしている部分が、言語化出来ない部分がある。
もう少し言語化できたら、再度書いてみようと思う。

5時間の旅

昨晩、大阪から甲府に帰ってきました。

久しぶりに関西で、福祉現場の方々と話し込んで来ました。
大学で学生さんと真剣勝負する日々も勿論大切なのですが、福祉に関わる
人間として、現場から離れてしまうことは、ともすれば机上の空論になりかね
ません。院生の間も大学に自分の机すらなかったので、自ずと現場に居場所
を求めていた僕。一ヶ月間大学の業務に慣れることに必死だったので、久し
ぶりの現場は新鮮でした。

ところで、山梨が新参者の僕にとって、現場といえばまだ関西が多いのです。
自ずと関西に出かける機会も出てくるのですが、関西は遠い! 昨日午後7
過ぎまで西宮で話し込んでいて、その日中に帰宅しようと思えば、午後740
が最終電車! 新幹線で新横浜八王子経由で最終の「かいじ」に飛び乗って、
甲府に着くのが午前040分。5時間の旅路でございました。

で、缶ビール買い込んで一人宴会をしていてもよかったのですが、何せ新幹線も
横浜線も、乗り過ごしたり寝込んだりすると、その日中に絶対帰れない、という
緊迫した状況。ビール一本で我慢して、その変わり、好きな作家の本を読みふ
けっておりました。

で、初めて気付いたのが「夜の5時間旅は読書に最適である!」ということ。
僕は実は列車の旅が好きで、ついつい車窓に見入ってしまいます。土曜日の
行きは朝だったので、山桜が新緑に変わる模様や田植えの様子など、ずっと
ぼんやり見入っているうちに、読まねばならぬ資料にまったく手を付けぬまま、
気付いたら新大阪でした。一方帰りは外は真っ暗! 外を見ていても何も
見えないので、勢い本に目がいきます。その本が超当たり!だったことも
あるけれど、結構集中してゆっくり読めました。この1ヶ月大学業務に慣れる
事で精一杯だったので、久しぶりに「読んだ!」という気分。またその成果は
このブログで「読書日記」として紹介出来れば、と思っております。

というわけで、ブログ初書き込みのタケバタでした。