いよいよ始まった

はじまりました。いよいよ。何がって? 甲府の夏ですよ。

甲府ビギナーとしては、今日くらいの日差しでも、げっそりする。でも、多分甲府歴の長い皆様にとっては、なんてことない一日なんでしょうねぇ。おかげさまで研究室にはクーラーはついているけれど、ずっとクーラーかけっぱなしでパソコンの前に一日座ってあれやこれややっているうちに、体は疲れていないはずなのに、頭だけが煮え立ってくる。

というわけで、ここしばらくブログでも真面目な議論をしていましたが、今日はギブアップ。ホントは権利擁護と支援者の問題を突っ込んで書こう、と思っていたのですが、今日は中休みです。「続きをこうご期待」、なんて調子よく電話で言ってしまったEさん、すんません。

で、早めに引き上げ、「さかなやありやけ」でお刺身を購入して我が家へ帰還。この「さかなやありやけ」は、甲府で僕が発見している限り、唯一の安くて活きのいい魚がいる魚屋さん(他に良い店をご存じな方がおられたら、是非教えてくださいませ)。しかも大学の近所なので、たまによって帰ります。活きのいいのは魚だけでなく、店員さんも活きがいい。学院の生徒さんもバイトしてるみたいだけれど、みんなすごく凛々しくてかっこいい。妻曰く「イケメン揃い」の魚屋です。

甲府に3月引っ越してきて、ショックだったのが、普通のスーパーで売っている魚がホントに美味しくない、ということ。まあ、以前は明石直送の魚を食べていたから比べるだけ野暮なのだけれど、西宮に比べたらくたびれたような魚しかなく、魚大好きタケバタとしてはとほほ、なのです。美味しい魚を多くの種類から選ぼうと思えば、南は1時間半から2時間かけて静岡の清水港に行くか、北なら高速で1時間で長野県の諏訪IC近くの魚屋「角上」に買い付けに行かねばならない。ちなみにこの角上、今ネットで調べてみたら(http://www.rakuten.co.jp/kakujoe/info.html)、新潟は泊漁港の魚屋さんで、美味しい魚を諏訪まで運んでくれている。どうせなら後1時間足を伸ばして甲府までやってきてほしいのに、店舗一覧を見たら、東京や埼玉はあるのに山梨にはない! なんで山梨を飛び越えるのよ!! 少し寂しく思いながら、でも「さかなやありあけ」で買ったお刺身は、今から楽しみであります。

で、今、我が家でパソコンをたたいていると、耳を澄ますまでもなく、鳥や虫など、いろんな鳴き声が豊かに聞こえてくる。魚と蒸し暑さはかなわんけれど、こういう自然が近い、ってのはやっぱ山梨のいいところですね。普通にウグイスやヒグラシの鳴き声が聞けたりもするから、よい塩梅。ヒグラシを聞くのは、すっごく久しぶりかもしれない。母の実家、島根の山間の村に夏はよく遊びに行ったけれど、その記憶をヒグラシはたぐり寄せてくれる。おばあちゃんは元気かな。常勤になった報告をしにいかなくちゃ。

と、日記状態のウダ話を書いているうちにちょっと元気が出てきたので、もう少し。

大学教官で、僕がブログを書いているのをほぼ唯一知っておられる先生と、お話する機会があった。議論の中身は、ネット上にブログを書くこと、について。「抵抗感はないのですか?」と聞かれ、「僕は破廉恥だからかもしれません」と答える。でも破廉恥、というより、自己顕示欲の強さ、いや、単純に書きたい、という衝動だろうか。「じゃあ、誰も見ない日記でいいではないか?」と問われるかもしれないけれど、先生に答えていたのは、「一斉送信でメールを送るようなものです」。とはいえ、読み手は誰だかわからないし、時には悪用されるかもしれないし、責任が取りきれないかも・・・。確かにそう考えれば、ネットには書けなくなる。なので、基本的に責任感の強い方は、ブログにあまり参入されないのかも。ということは、僕は無責任体質なのか・・・。いや、何だか違う。こうやって、他者にも開かれている・見られることを意識する形で、自分の考えていることを少しずつ書き連ねていくことが、何となく気持ちいいから書いているのだと思う。そう、快楽がなければ、ブログなんてしないんだろうと思う。

来週で授業は終わり、夏はスルメを書かない。なので、いよいよブログのフル回転。よく考えたら、スルメだって何で書くのか、と聞かれても、うまく答えられない。リアクションペーパーではあるけれど、それを超えて伝えたい何かを書き連ねることも多いから。そう、結局、言いたがり、書きたがり、しゃべりたがりだから、おしゃべりをブログにしてみた、っていうのが、今のところ一番しっくりくる。そうお伝えすることが出来なかったので、今度M先生にあったらそうお伝えしよう。あっ、その前に読んでくださっているか・・・。

大切なz軸

「あなたは黙って考えるタイプですか、それとも話しながら考えるタイプですか?」

そう聞かれたら、僕なら間違いなく後者と答える。そりゃ四六時中しゃべっている訳にもいかず、ずっとおしゃべりにつきあって下さる奇特な方もいないので、もちろん黙って考えることもある。でも、思いもよらなかった発想が滑らかに浮かんでくる瞬間って、誰かと話し込んでいるうちに、っていうのが僕の場合は結構ある。今日もそういう瞬間が現れた。

現役のソーシャルワーカーの方と組織間連携の話をしていた。同じ資格を持つ者同士でも、組織の縛りがあってなかなか同じ方向を向かないんですよね、と伺って、ふと思いついたのが、三次元のベクトル。x軸に組織、y軸に専門職能集団、そしてz軸に権利擁護とおいた時、組織の外を見ようとしない人は文字通り、直線的思考しか出来ない。ただ多くのソーシャルワーカーの方々は、専門職の職能団体に所属して、専門職としてのスキルアップを図ろうと勉強も重ねていらっしゃる。つまり、組織の壁を越えた横のつながりの中から、直線思考が平面思考へと拡がる。ただ、そういう平面思考をされている方々が、皆さん「当事者のために」と仰りながら、往々にして、その視点が個々人でずれていて、組織間での摩擦や不連携につながる。これは何故なんだろう、と考えてみたら、z軸が答えを出してくれた。つまり、当事者のため、といいながら、その意識がどれほど当事者主体(=当事者の権利擁護の促進)の方向へ向かっているか、あるいは全く逆に当事者不在(=支援者主体=当事者の権利の剥奪)の方向へ向かうのか、によって、つまりz軸でのスタンスの置き方によって、当事者への関わり方・仕事の仕方が変わり、それが組織間の壁を越えて横のつながりがある人でも、立体的なズレ、を生んでいる。そして、この認識のズレが、もしかしたら組織間の不連携の根本原因なのかもしれない。

博士論文を書いている中で、京都中の精神障害者の支援現場を訪れて、おもろい現場では、以下の5つのステップを踏んでいることに気付いた。
ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける
ステップ2:その想いや願いを「○○だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走しはじめる(支援者自身が変わる)
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる)

このステップと、さっきの3次元は密接に結びついている、と、これも話しながら気づき始めた。福祉の現場では今しきりにネットワーク作り、がいわれている。だが、何の為の、どこに向かったネットワークなのか? 単に同じ職種にある人の仲良しクラブのネットワークなのか。それならば、ステップ1も踏み出せていない。多分、現場で葛藤を抱えながら働いているソーシャルワーカーの方々が横のつながりを求めて職能集団に所属される際には、きっとステップ1に直面して、解決策を求めてステップ2から3へと踏み出すために、福祉士会などに入会されるのだろう。ただ、それで終わっていたら、あくまでも仲良しクラブで閉塞してしまう。本当に当事者主体の、当事者が諦めさせられたり、無理だといわれ続けてきた想いや願いを実現するサポーターとしてのソーシャルワーカーならば、権利擁護、というz軸上で一つの方向を向けるはずだ。そして、その方向性の一致が、個々人の連携を組織的連携へと高める大きな原動力になりうる。これがあるから、その地域全体が変わっていき、その地域でくらす当事者の方々の暮らしが豊かになり、ご本人の願いや想いが実現されていくのだ。そういう意味で、ソーシャルワークの基本といわれているソーシャル・アクションを実現するためには、権利擁護というz軸がなくてはならない大事な視点となってくるのだ。

勿論、これくらいのことは福祉の教科書にも載っていることかもしれない。だが、現場で日々奔走されておられるソーシャルワーカーの方々の、リアリティのある言葉として、権利擁護がくっついてこない。権利擁護といえば、成年後見制度=お金のこと、と思っておられるワーカーも少なくない。そうではなくて、高齢でも、病気でも、障害があっても、地域で豊かに自分らしく暮らすための支援をする際の根本原理として権利擁護を柱においたならば、きっと支援する側と当事者とが同じ方向を向くことが出来るし、支援における様々な誤解や混乱も解け、当事者主体の地域変革がもっとうまく進むのではないか、と感じている。

ちなみにz軸の怖いのは、z軸の片方の極を権利擁護とすると、もう片方の極には権利剥奪がおける点である。そして、この権利剥奪の極を見据えたとき、あの30年以上前に書かれた不朽の名作の最終章の一節がまざまざと想起させられる。
「ナチスは、『社会の中の穀つぶしに金をかけても無駄だ』と殲滅手段をとった。日本は、といえば安楽死体制ならぬ生殺し体制といったらいいか。」(「ルポ・精神病棟」大熊一夫著、朝日文庫、p236)
私たちの社会は高齢者や障害者を「生殺し」にする体制をとってはいないか? そして、ナチスの安楽死計画に多くの善良なる医師や看護師が荷担したように、生殺し体制に多くの専門職が荷担していないか? これを根本から考えるためにも、権利擁護についての自覚が、専門家ほど特に大切なのではないか、そう感じた。

すももももも

山梨が果物王国であることは以前書いた。それくらいは住む前も知っていたけれど、こっちに来て初めてわかったのは、果物王国では「おすそわけ」を頂く機会も少なからずある、という事である。

今朝、いつもお世話になっている先生が研究室を訪ねて下さった。「家で育てているので良かったら」と袋一杯に入れて下さったのは、すもも! ご自宅で育てておられるそうで、レモン、グレープフルーツやキュウイなど酸っぱい系フルーツが恐らく妊婦よりも!?大好きなタケバタ(ついでにお腹も妊婦なみ・・・)としては、この上もない幸せ! 研究室の冷蔵庫に入れているのだが、今朝から既に3つ目を口に入れた! 先生、ありがとうございました。

先週は大学で七夕祭りがあったのだが、その際には職員の方から「自宅でなった桃だから持って帰って」と美味しい桃を3つも頂く。これもめちゃくちゃ美味しかった。妻はこれまでフルーツが「甘ったるい」と好きではなかったのだが、その桃はえらくお気に入りのようで、パクリと一個丸ごとご相伴なされた。果物観が変わった、とは彼女の弁。確かに、この山梨では「すもも」も「もも」も、めっちゃ美味しい。いかにこれまで大阪で安い果物しか食べてこなかったか、というのもあるけれど、本場の果物は、王国の冠たるに相応しいおいしさがあるなあ、と思う。

あと、おすそわけ、と言えば、妻は妻で職場で昨日はキュウリをどっさり頂いて帰ってきた。元来野菜は何でも大好きな我々なので、めちゃくちゃ嬉しい。そう、こうやって何かを頂いたり、お返しをしたり、っていうのを相互に報酬しあう、という意味で「互酬性」って言ったんだよなぁ、と基本的な事を思い出す。で、なんとなく気になって「酬」の字を漢和辞典(角川新字源)で引いてみると、酒と相互を意味する州がくっついて、「たがいに酒を飲みかわす」意があるそうな。ついでだから福祉社会事典(弘文堂)も引いてみると、「あくまで贈与と返礼によって形成されている相対的な関係概念」とある。確かにお互いが持ち合うものを贈与と返礼を繰り返し、たがいに酒を飲みかわしながら、「えにし」を築いてきたのが、日本的な原風景だった。「都市部では崩壊しつつあるこの原風景が山梨では自治会や無尽という形で色濃く残っている」、と社会学の先生にも伺ってはいたが、すももや桃が、その原風景を「おすそわけ」という形で僕にも実感させてくれた。

ただ、この福祉社会事典の「互酬性」の項には続きがある。
「近年では福祉供給システムへの住民(市民)参加が促されているが、住民参加型福祉サービスは、住民がサービスの提供者であるとともに受益者でもあるという互酬的な意味を持った活動として積極的に評価されている」
ここに至ると、実は少し困惑してしまう。確かに地域でのNPOや草の根ネットワークの中から互酬的サービスが立ち上がり、それが地域の社会サービスのあり方を変革する大きな先導役となっている事例をいくつか知っている。でも一方で、住民参加型福祉への疑問の声も出ている。

たとえば森川美絵氏は、住民参加型福祉サービスについて「家族介護の費用化を一定程度推進させたが、他方で、在宅介護の経済的評価の準拠枠を『主婦パート』水準とすることも推進してきたのである」(「福祉国家とジェンダー」明石書店、p148)と述べている。つまり、住民達で介護サービスのNPOを立ちあげて、家族介護から介護の社会化を目指すことは成功できても、その担い手はあくまでも主婦層が中心であり、「介護=主婦がパートでする仕事=低賃金」という論理からは抜け出せていない、という指摘である。一見住民参加型福祉サービスは行政と市民のパートナーシップを謳っていて、理念としては聞こえがいいのだが、実際のところ、行政が自分達よりも安上がりな市民(の中でも主婦)に代替させているのではないか、という指摘は、大いにうなずける。住民参加型の互酬的サービスを前面に出せば、行政は福祉サービスに限定的な責任しか取らなくても許されるのではないか。では行政がとるべき責任っていったい何のか・・・。この問題はもしかしたら、すももを下さった先生が僕に教えて下さったガバメントとガバナンスの問題につながっていくのかも知れない・・・。

こうとりとめなく考えているうちに、すももをもう一個食べてしまった。むむむ。先生は僕に考えさせるために、すももを教材として下さったのかぁ。そう思いながら、さすがにお腹も頭もふくれたタケバタであった。

僕の仕事とは・・・

朝から研究室でスルメをまとめる作業をしていて、ちょっと頭を切り換えたかったので、ネットでふらふらと内田樹さんのHPにたどり着く。内田さんの文章は、池田晶子さんの文章と共に、僕が一番好きな文章の一つだ。彼のブログを読みながら、なるほどなぁ、と目に止まった部分があった。

『メディアの仕事は、世界にうずまくカオティックでアモルファスな出来事の渦の中に手を突っ込んで、ひとつながりの「情報単位」を掬い上げて、それをひとつの「文脈」の中に並べて、読者が携行したり、引用したり、批判したりしやすいように「パッケージ」して差し出すことである。』
http://blog.tatsuru.com/archives/2005_06.phpより)

まさにその通り、いつも端的にズバッと射抜かれるので「ほんと凄いよあぁ」と憧れてしまう。そして、これはメディアの仕事、に限らないんじゃないか、と考えている。僕自身、自分がこだわる分野について、出来る限り「パッケージ」して多くの人々に差し出したい、と願っている。そして、その差し出した内容が、少しでも多くの人の心に届けば、と願っている自分がいる。これは、僕の師匠がジャーナリストであった事に多分に関係していると思うけど、「論文でも、読まれなかったら意味がない!」と思っている。(残念ながら、まだ意味がない!レベルを超えられていないのだけれど・・・)

こんな事を書くと研究者としても失格なのだけれど、自分の中で「論文って何の為にあるのだ?」という疑問が、大学院時代からずっとこびり付いたように、心の底に溜まっていた。それは、ある時期少々論文(に限らず文章全体)に対してトラウマちっくになっていた時代からの残滓なのだが、根本的に、自分の中で、論文に対する腹づもりが定まっていなかったことにも起因すると思う。でも、常勤の職を得て、山梨でボチボチ考える内に、少しずつ腹が固まってきた。それは、単純明快、「僕は僕らしい文章しか書けないし、僕らしい文章を書けばいいんだ」ということ。自分が考えてきたこと、現場で実践していること、その試行錯誤を含めて、自分が考える文脈で切り取り、自分らしいパッケージで提供できればいい、それが論文というメディアなのか、ブログやスルメなのか、あるいは他の媒体なのか、で勿論TPOは考えるけれど、基本的にオドオドせずに、自分らしく書いていけばいいや、そう割り切ることができはじめた。

よいパッケージならば、ジャーナリストの作品でも、学者の論文でも、人の心を打つ。ありがたいことに、その両者の傑作を見る機会が、その作者から直に教わる機会があった。ただ、ジャーナリストの弟子で研究者の立場に立ち、どういうスタンスで、どちらの側から臨めばいいのだろう・・・などと考え込んでいる内に、どう立ってよいのかわからなくなり、足下がふらついていた。どう立ってよいのか、なんて、考える前に、自分が伝えたいことを書き続ければ良いのだ、スタイルやスタンスは、その中から立ち現れてくるのだから。最近そう思い始めている。自分の仕事のジャンルやよって立つ学問は未だにわからないけれど、とにかく気になること、大事だと思うこと、まとめなければならないと感じること、をちゃんと考察して、パッケージにしていく作業、それが僕の仕事だ、という腹がくくれてきた。

授業への姿勢

今、授業へのアプローチを変えなければ、と思い始めている。

そのきっかけは、一冊の本だった。
「自信力が学生を変える 大学生意識調査からの提言」(河地和子著、平凡社新書)http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/browse.cgi?code=85_276

一昨日の朝日新聞東京版の生活のコーナーでその概要が載っていて、早速昨日実物を本屋で見つけ、読んでみた。首都圏の大学生2000人以上にインタビューした生データに基づく分析は、なるほど、と肯けると共に、僕自身の姿勢を変えねば、と気付かせてくれた。一番びっくりしたのは、「学生たちは『本当はもっと勉強したい』と思っている」ことであり、「課題を出して『しごく』」(P204)とさえ提言している点である。「やりがいのある課題や宿題を出して、学生が日頃から勉強時間を取らなければならない授業にする」(P204)という部分で、僕はちゃんとそれが出来ているか、と現状を振り返れば、出来ていないよなぁ、と反省せざるをえない。

もちろん僕自身、自分なりに授業改善の努力はこれまでもしてきたし、この著者の主張に僕自身も一致していると思う。出来る限り、学生のニーズに基づいた授業展開をする必然性はヒシヒシ感じているし、その努力もしているつもりである。ただ、現状では、授業中の理解度を増すための努力には重点を置いているが、授業時間外の勉強時間まで要すような課題や宿題は、これまでほとんど課してこなかったのが実情だ。この背景に、僕自身の授業に関する「勘違い」があった、と最近感じ始めている。

何が「勘違い」なのか? それは「基本的に学生の自主性に任せるべきである」という勘違いである。高校生までとは違い、学生は自主的に選択するのだから、それを尊重し、やる気がある・ないも含めて、学生さんの自主性を重んじる、という発想である。これは、自分が大学時代に縛られるのが嫌だったから、という自分の体験談に基づいているが、裏を返せば独善的で、何ら教育的配慮に基づいていない。

4月から専任教員として関わり始めて、一番ぶつかったのがこのポイントだ。本当に自主性に任せていいのか? 答えは「否」。自主性にのみ任せていたら、学生の中に甘えとだらけが蔓延する、ということが、数ヶ月でよくわかった。枠組みのない自主性とは、自由放任であり、それは自主性を育てることとは正反対の、画一的で流れに任せるだけの、無気力な学生を生み出すことにしかならないのではないか、と思い始めている。

本当に学生の自主性を育てるためには、何らかの枠組みを教員の側で設定し、その枠組みの中で彼ら彼女らがどうもがいていくか、を支援する。そして、小さな事から成功体験を重ねてもらい、自分らしい試行錯誤を自発的に深めていけるよう、教員が配慮を持って継続的に関わりを続けていく、そういう必要があるんだなぁ、と感じている。なので、この夏休みは、後期以後の「枠組み」をどのレベルで、どの程度設定するか、の研究もしなければ、と感じ始めている。その上で、「枠組み」に沿った課題や宿題などの設定に落とし込み、この著者のいう「やりがいのある」授業へと高めていかなければ、と今覚悟を新たにしている。

枠組みに変化の兆し

山梨に来て、自分の視野が変わろうとしている。

以前なら「これは自分に関係ない」と済ましていた、色んなジャンルのことが気になる。それは仕事柄、山梨の地域福祉を少しでもたくさん知りたい、という事情ももちろんある。だが、それだけじゃはない。明らかに、以前の僕に比べて関わりを持ちたい範囲が増えている。なぜこんな変化が起こっているのだろう。色々あるだろうけれど、二つの大きな要素は、この山梨で、専任講師で働き始めたから、という理由だろうと思う。

スウェーデンで暮らしていたとき以外は、出張での短期間の調査以外は関西がフィールドだった。その僕が、山梨という新たな土地で、腰を落ち着けて根を張ろうとしている。新しい土地で色々知りたい、と思ったときに、関西だったら、例えば僕が住んでいた西宮一つにとっても40万都市であり、とっても把握できない。だが、山梨は全県で人口が90万弱、甲府なら20万都市だ。規模が小さく、コンパクトにまとまっているから、逆に言えば色々な範囲での出会いに突き当たりやすい。すると、新たなジャンルの開拓の際、人づてに紹介してもらって訪れた場所で、別のジャンルのNPOの人々も後で聞いたら顔なじみ、という場面がこれまでにもいくつかあった。つまり、比較的お顔の見える関係が築きやすい、というのもあるかもしれない。

また、これまでは仕事の掛け持ちで、「タケバタといえばバタバタ」というのを、ある種自分の売り文句にもしてきた。だが、大学での常勤職となって、時間的・精神的にもセカセカしなくなり、より多くの事を色々見てみよう、という余裕が出来たからかもしれない。そして、30にしてようやく物事を見る視点が定まり始めたから、色んな新しいジャンルの分野でも、ブレなく自分らしく眺めてみる、ということが出来るようになったのもあると思う。自分の芯がしっかりしていないと、会う人会う場でその場・人の雰囲気に飲まれ、自分自身がアンコントローラブルになりがちで、それが嫌だから「関わらない」という選択肢をしていた部分も僕の中にはあったと思う。それが最近、大学に軸足をしっかり置いて、落ち着いてきたから、色んな現場でも余裕を持って新しいことに飛び込んでいき、その場で「即興演奏的ディスカッション」をするのがすごく楽しくなった。

こうして考えていくと、単に視野の幅が広くなった、だけでなく、僕がモノを見る枠組み自体に変化が生じているような気もする。ただ、この枠組みの変更は、今後どのように育っていくのか、までは現在進行中でまだわからない。とはいえ、枠組みの変化にわくわくしている自分が、すごく嬉しかったりする。これって実は20代前半以来の枠組み変更なのかもしれない。そのとき果たせなかった夢を今度こそ実現し、その後失敗した同じ轍を踏まないように、しっかりと歩んでいかなくちゃ、と最近感じている。

おもろい現場

大学にようやく慣れてきて、6月からボチボチ山梨の現場に出向き始めています。

僕は元々大学院時代からあまり大学に寄りつかず、色んな現場をほっつき歩いていました。特にここ2年間は、大学に所属はしていたものの、現場に入り込んでの実態調査を中心に行っていたので、いつも色んな現場の人との議論の中から何かを学ばせてもらう、という事が生活の中心となっていました。

なので、山梨に来ても、やっぱ現場は「おもろい(=関西弁で言う「楽しい」)」です。
しかも、山梨の地域福祉を少しでも理解するため、今まで開拓してこなかった現場にも飛び込みつつあります。昨日は子育ての分野のNPO法人の現場に、ゼミの学生さんと一緒に伺いました。現場の何がおもろい、って、一言で言うと「知らなかった事に出会えること」。昨日も、人を巻き込むことの上手なそのNPOの代表の方と話していて、発見や再発見の連続で、お話を聞いている間中ずっと、子供のように鼻がふくらみっぱなし、だったと思います。

そのNPOに限らず、「おもろい現場」には、必ず「おもろい人」がいます。色んなタイプの「おもろい人」と出逢って来ましたが、共通するのは、「欲深い人」である、という点。もちろん「欲」といっても、個人の利益の為に「欲深い」という訳ではありません。自分初で、自分がおもろいから始めた事なんだけれど、気づいたら自分に関わりの深いあることの為に片足だけでなく両足をずっぽりつっこんで、いつの間にかそれがミッションに変わっていた。そして、そのミッションを実現する為に、使える人材を見つけては、自分の近くに引きずり込んでいく魅力がある。その上で、ちまちました夢でなく、大きな野望をそのうち抱き始め、その実現の為に足下から着実に固めていく戦略的側面を持っている。でも基本的には楽観的性格で、「あかんかっても何とかなるわ」と思いながら、チャンスは逃さずモノにしていく。でも一つの成果に飽きたらず、次の事業・展開にお金も時間もエネルギーもどんどん突っ込んで(投資して)いく・・・。

挙げだしたらきりがないけれど、これって今はやりの言葉で言えば社会起業家(Social Entrepreneur)なんやなぁ、と思うんですが、ご自身が「起業家」っていう気持ちがないのも、「おもろい人」の特徴でもあるかもしれません。「何やしらんけど、いろいろやっているうちに、こんな風になってしもうた」というのが、多分ご本人の内心なのでしょう。でも、その「なってしもうた」「こんな風」がすっごく「おもろい現場」となっている事に変わりはありません。そして、そういう場に出かけると、こっちもエネルギーをたっぷりもらえるのが、これも「おもろい現場」に共通すること。昨日もそういう意味ではたっぷり充電させて頂きました。

週末も、大阪「おもろい現場」に出かけて、また充電させてもらってきます。関西だけでなく、山梨の「おもろい現場」でも充電しようと企んでいる僕自身も、もしかしたら「欲深い」ジャンルに入るのかもしれません・・・。