「えいやっ」の瞬間

今日は早起き。妙にリアリティのある夢を見て目覚める。人間気になっていることについては、その予測含めて夢の中でまで予行演習するようだ。推測するのは勝手だけれど、どうせ始まってみなければわからない話なのに。僕は結構、「やってみる前にネガティブに推測する」ということが、まま、ある。

「嘘つけ。おまえのこれまでを見ていると、『やってみなければわからない』派に決まっている」

僕のこれまでの言行を知っている人からは、そう言われそうだ。確かにあれこれ色々手出ししてきた。でも、いつも「やる直前」には相当逡巡しているのだ。「どないしょう。うまくいくかな?」「失敗したら・・・」「そこまで引き受けられるかな」・・・頭の中で、否定的な言葉が流れていく。一言で言えば、びびり、なのだ。それで「ほな、やめとこ」となることもあるけれど、ある瞬間に「えいやっ」と飛び越えて、気づいたら「ああ、やってもた」状態になり、引くに引けなくなって、色々引き受けていく、ということが、あったりするのだ。この流れを変える瞬間が、どういう理屈で、なぜそうなるのか、よくわからない。でも、「えいやっ」と清水の舞台を飛び降りると、気づいたら自分を此方から彼方へと運んでしまうのだ。なるほど、今日見ていた夢も、あれをすると、また一つ、彼方に行くことになるよ、という箴言なのかもしれない。でも、多分引き受けてしまうんだろうなぁ・・・。

昨晩も、一つ「えいやっ」の瞬間を経験する。ここしばらく懸案になっていたことに、気づいたら一つの提案をまとめていた。言語化しにくかったことなのだが、これも「えいやっ」と書いてしまうと、案外書けてしまうものである。昨日からのトリガー(引き金)は「共通言語」。昨日の案件も、夢で出てきたことも、このトリガーが結びつけてくれたもの。そういえば、最近研究と教育と学務とが、何だか三位一体状態になって、進んでいる。こっちで考えていることが、あっちで使えたり、逆にそのことで悩んだ経験が、こっちで大きな教訓になったり。僕は関西弁で言う「がめつい」性分なので、たぐり寄せて引っ張れるなら、とことん地引き網漁のように引き続ける傾向にある。例えば共通言語という網にも、ヒトデさんやフグさんやらタイやらヒラメやら、いろいろなものが引っかかってくるのだが、「これでおしまい」とせず、潮時の局面が向こうからやってくるまで、今回も引き続けている。パチンコには詳しくないのだが、玉がジャンジャン出るまで長く仕掛けて、出始めたら打ち止めになるまで粘り続けるそうな。あれと似ている。つまり、「行けるところまでいくぜい」ということなんだろう。

今回もどうやら気がつけば既に、「行けるところまでいくぜい」と覚悟を決めた、つまり「えいやっ」と飛び越えてしまったようだ。まぁ、しゃあないか。地引き網には、引くか、引かないか、という選択しかない。一度引くなら、とことん引く。引かないなら、あっさり諦めて、別の潮時を待つ。その判断が頭だけでなく、身体的な感覚できちんと出来ていれば、途中の漁が大変であっても、まあ何とか収穫を迎えることが出来る。フィールドワークで培った勘と経験は、船乗りタケバタにとって大海原を渡り歩く貴重な羅針盤だ。

お外を眺めると、まさに「台風一過」の極上の晴天。「出漁」するにはいい日より、である。ビルトインされた感覚を大切にして、さあて、漁に出てみますか。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。