真剣な眼差しを受けて

今日は大学のオープンキャンパス。入試委員のタケバタの今日の担当は模擬面接。合計20人弱の高校生の真剣な眼差しを受けていた。最初、1分間スピーチをしてもらった後、その中から出てきた学生さんの様々なキャラクターに合わせて質問をしながら、学生さんがどんな人なんだろう、と想いを巡らす。奈良や京都、宮城からもわざわざやってきて下さる方もいて、この大学にかけられた期待の大きさに、改めて教員としてちゃんと答えねば、と襟を正す瞬間でもあった。

学生さん達の話をずっと聞き続けて感じた共通点、それは「自分の感じている事」と「理想像」をつなぐ言葉が出てこない、ということ。このご時世なので、政治行政学科志望の学生さんの多くが「警察官」や「消防官」になりたい、と言っていた。確かに両方とも立派な仕事であり、何らかの仕事に憧れを持っていることは素敵なことだと思う。「では、なぜ今のあなたが“○○になりたいと思うようになったの?」「それは○○にならなければ出来ないことなの?」「○○の仕事のどういう所にあなたは惹かれているの?」「それを政治行政学科で勉強したい理由は?」と問うていくと、多くの学生さんが黙り込んでしまう。自分の「なりたい」直感がしっかりあっても、それを他者を説得できるような論理構成で構築していく、という作業に慣れていない学生さんが多い、ということがわかってきた。

確かに、なぜ学者になったのか?と問われても、本当のところ、後付の理由しか出てこない。でも、後付でもいいから、言葉に出して、声に出して、その理由を考えてみること、そこから現実規定としての○○になっている自分の位置づけが見えて来る、僕はそう思っている。「○○になってしまった」地点から、その理由を後天的に模索していくことも、時には必要だ。同じように、「○○になりたい」場合でも、とにかく現時点での理由を先天的に模索することは大切。5年後実際に○○には全然違うモノが入っているかもしれないけれど、それを今も、そして5年後も考え続ける中で、自分らしさが形成されていくのではないか、僕はそう感じている。だから、本音を言えば、確かに「○○になりたい」と現時点で思っていても、それは一応「」つきで、現時点でなりたい、のであって、大学に入った後、様々な授業や本や友人と出会い、語らい、経験を積む中で、その都度修正していって欲しい、そう願っている。あまり最初から「○○」にのみ束縛されてがんじがらめになるのではなく、とにかく現時点では○○、そんなスタンスの方がきっと学生さん自身にとっても楽なのではないか・・・。お話を聞きながら、そんなことを感じていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。