井の中の蛙が

大海を知り、愕然としてしまった。

時は水曜の夜、3つも会議を終えた後、学科の先生方が主催される研究会での出来事。
地方分権が進む中での、市民と自治体の関係の在り方、政府の役割などについて、個々の専門の立場から論議を重ねていこう、という趣旨の会で、福祉の現場から考えてみては、とお誘いを受け、僕も参加させて頂くことになった。そこで、我が大学の先輩の先生方の研究分野やその内容について、ほぼ初めて、聴かせて頂くことになった。どの先生も結構興味深くって、ついついあれこれ質問したい衝動に駆られてしまう。それに対してタケバタは、自分自身でもまだしっくり来ない、多少分裂気味の話をして、とっちらかしてしまう。

スウェーデンのノーマライゼーションが思想法制度実体、という、ある種上からのノーマライゼーションが現場にまで浸透している。一方、日本の場合、法制度がノーマライゼーションの思想なども反映しておらず、法レベルでの不備が多いから、現場でその穴埋めをするために、個々人のネットワークが組織間ネットワークへと昇華し、その中で地方独自のサービスや制度を作り上げていく。そしてそれが全国各地に広まり、普遍性の高いものについては厚労省など国レベルでも目を付けられ、やがて法改正時に組み入れられていく。つまり日本では「下からのノーマライゼーション」が築き上げられているのだ。この際に、僕が今、障害者福祉の現実に照らして考えると、気になるのは次の二点。「下(現場)でどのようなネットワークを構築して行くべきか」という問題と、では法制度や国レベルでは現場の声を待たずとも、障害者差別禁止の法整備やノーマライゼーションなど、ちゃんと守るべき・構築すべき思想、価値、法制度は無いのか? この二つについて、考えていきたい。

ほんとは、地域レベルでは、福祉関係者と他のNPO、社会起業家、そして既存の自治会・町内会組織などとの連携の在り方について、とか、政府間関係や財源論の在り方について、だとか、キーワードは色々頭に浮かぶのだが、まだ練り切れていなくて、きちんと説明出来ない。口で言った時より、多少は書いてみた方がこなれたような気もするが、どうもまだまだ「練り不足」であることは事実だ。

その後、場を近くの飲食店に移して、議論は続いたのだが、そこで、とうとう僕の地金が出てしまう。色々質問したい、言いたい病が出てしまい、先生方の議論に随分水をさしてしまった。主催者のM先生は、笑顔で上手にフォローしてくださりながら、僕の至らぬ発言をわかりやすくまとめてくださったり、あるいは怪しい言説をそれとなく軌道修正してくださったりする。また、論旨の矛盾をそれとなく訂正してくださる先生もいる。二杯目のビールが疲れた頭と身体に回ってしどろもどろになりながら、でも「まずい、やばい、勉強が致命的に足らん・・・」という警告音がドンドン大きくなっていく。議論全体は聴いていて楽しいのだけれど、自分が決定的に文脈理解力に欠けている事実を突きつけられ、急に拡がった大海を前に、茫然自失としてしまう。なんて視野が狭かったんだ!、と。こんな気分は、院生の時以来だ・・・。

「あの時いらんことをしゃべらず、黙って聞いていたらよかったなぁ」と帰りのタクシーで考えてみるが、まあ後の祭り。それにこれまでだってタケバタの定石パターンは、とにかく口出しする自分の不勉強が明らかになり大恥をかくようやく気づいてトボトボ勉強し始める、という回路だ。まあ、今回だって、本気でこのことも一から勉強せんとまずい、というインセンティブにはなった。そう思うと、最近外部講師などもさせて頂き、ちょっと天狗になりかけていたタケバタに、「冷や水」と「大海」を知らせてくださっただけでも、この研究会に本当に感謝せねばならない。ああ、日々精進精進。

授業改革の所信表明演説

後期の授業が始まる。大学もとたんに活気づき、それと共に教員の忙しさも加速する。

昨日は一日、今日やる二コマの授業のイントロダクション作りに追われていた。前期と授業方針を変えるつもりなので、作り込むのに時間がかかる。前期の授業での反省点を踏まえ、資料の出し方や学生さんにコミットしてもらうやり方、その中身などについて、「きっちりした枠組みの中で自由に考えてもらう」という方向へと方針転換を目論んでいる。

これまで非常勤も含めて大学や専門学校で教える際は、「自分が教わった時の記憶・印象」を授業に反映させる部分が多かった。僕は大学時代もあまり授業に真面目にコミットしてなかったし、また先生方もレッセフェール(自由放任)的授業スタイルの方が多かったので、僕自身が授業をする際も、そのスタンスを基本的に踏襲していた。だが一方、大学や専門学校教師よりもキャリアが長い塾講師に置いては、それとは全く違うスタンスで臨んでいた。最近で言うとあの阿部寛演じる「ドラゴン桜」みたいに、徹底的にたたき上げる予備校英語講師だったのだ。偏差値30からの東大受験、と同じノリで、実際に高校3年の4月に中学英語も怪しかった学生さんでも、「やる気で本気になれば、偏差値の20や30くらい数ヶ月で上げる」という成果は数多く出してきた。中身は単純な話で、一番わからない底(例えば中学二年の現在完了形ならその部分)まで降りていき、そこからわかるまで教え、あとは短期間で徹底的にわかる範囲の拡大をしながら、基本例文の暗唱を含めた基礎力を徹底すれば、ドラマの姿は現実化可能なのである。もひとつ言えば、英語がそうやって変わると、他の教科でも「変えられるんだ」という自信がつき、自分自身への低いセルフイメージと低い学力の両方を数ヶ月で吹っ飛ばすことも、実際にしてきた。

そんな徹底的に学生に介入して、基礎から鍛え上げる予備校教師のタケバタも、大学や専門学校では変に遠慮して、オブラードに包んだような「優しい」授業をしていた。元教え子が大学の授業にモグリで聴講して、「先生、手ぬるいですね」と言われたこともある。その時は、まあパートタイムだし、仕方ない、と割り切っていた(もちろん予備校教師だってパートタイムには変わりなかったのだけれど)。

それが常勤でこの大学にやってきて、半年間授業をしているうちに、少しずつ考え方が変わってきた。確かに受験勉強と違い、○×で割り切れる問題を教えているわけでもない。ボランティア・NPO論も、地域福祉論も、まさに割り切れない問題だ。だから、偏差値型教育の「○×の精度を上げる」という論点と同じ伝え方は勿論出来ない。しかし、とはいえ、全く予備校教師タケバタのメソッドが大学講師として使い物にならないか、といえば、それは違う。むしろ、「徹底的に学生に介入する」「やり方や枠組みを提示して、基礎から鍛え上げる」という方法論を、大学の授業にアジャストするように一部改変しながら使うことだって出来るのだ。現に、日本とは根本的に教育スタイルが違う、と勝手に思いこんでいたアメリカの大学でも、僕が追い求めていたような教師像の延長線上で努力されている先生方が多数いる、ということがわかった(「授業をどうする!カリフォルニア大学バークレー校の授業改善のためのアイデア集」東海大学出版会)。UCバークレーの先生方だって、学生が飲み込み易いように、基礎から高度なレベルまで橋渡し出来るように、授業を必死に組み立て、そのやり方も日夜向上を目指そうと努力されている。この本に出逢って、「変に優しくする必要はない。これまでの予備校講師タケバタのやり方を、うまくアジャストさせる方法を探した方が、自分らしい授業が展開できるはず」と思い直した。

この方針転換の要点は「難しいけど、面白い」だと現時点では感じている。ある程度ハードな内容を授業時でも課すけれど、「言葉として何が言われているかわかるんだけど、結構難しいし全部は今すぐには理解できない。でも何となく面白い」という水準にどう高めて行けるか。そのために、捨てるべきなのは、「学生にわかることしか言わない、伝えない、授業内容として提供しない」という意味での「優しさ」からの脱却なのだ。全てがわかる話しかしない、というのはある種、目の前にいる学生さんを馬鹿にした内容にもなりかねない。学生さんは、何とかわかろうと努力すれば、変わるのだ。わからないけど、理解したい、と願うから、本気になって変わるのだ。その潜在的可能性に賭けて、彼ら彼女らが挫折しないでついてこられるギリギリのラインを探し、そのラインに向けて授業を組み立て、学生へのコミットも求める必要がある、と思っている。それをすれば「難しい」「大変だ」「面倒くさい」という批判は受けるかも知れない。「・・・でも、面白いよね」と、思ってもらえれば、大成功。だって、本当に面白いものって、面倒くさいしハードルも高い壁を越えるから、見えてくる世界でもあるのだから。

まあ、このように、所信表明演説は鮮やかだけれど、あとは授業の実践での実証作業が求められる。だから、勿論授業に手を抜けない。でも、この方向性なら、僕の元々持っているポテンシャルを生かす形で授業が展開できるのではないか、と感じている。なので、忙しさは増えるけれど、学生さんの満足度と、それを通じた自分自身の授業への満足度向上の為にも、いっちょ頑張ってみますか。

またやっちまった

何をって、このコラムを書き終えて、校正の段階で間違えてデータを消してしまったのです。
あーあ。至福の日曜日の、辛口カレーパンとバジルペーストとワインの見事なハーモニーについてせっかくルンルンと書いていたのに、台無しだ。まあでも根が超オプティミストのタケバタなので、「文章を書き直しなさい、という天の啓示だ」と思い直し、どうせなら全く違うことを書こうと思い立つ。

今日は、前回宣言したように、完全なる休日。仕事のメールや論文は全くせずに、午前中は二度寝もむさぼったのだが、昼からはパソコンを前に、文章を書いていた。ある本をエピローグまで読み終えた時、その著者がその本を書くきっかけとなったあるキーワードが、僕自身へのトリガーともなり、何かを伝えたい、と著者への手紙を書き始めたのだ。こんなことは初めての経験で、ワードで5枚ほど書いてみるのだが、どうもしっくりこない。彼女が取材を通じて感じ、考えたことと、僕が日本や海外での調査でこれまで考え続けて来たことの、類似点と相違点の微妙な絡みについて、絡まった糸をほぐすように少しずつ、文字にして書いていくのだが、書いても書いても、核心にたどり着けないような気がしている。でも、にもかかわらず、何かをこの著者に伝えたい、伝える文章を書きながら、自分の中でつながりかけたある想いを一つの考えとしてまとめたい、と感じている。ラブレターと同じで、想いを一気呵成に書いた文章はどうしても「独りよがり」だろうから、とにかく一晩寝かせて、明日もうちょっと考えてみよう、と思う。まだ整理しきっていないので概要だけここに書こうか、と思ったのだが、これも実際に書いて腑に落ちなかったので、消してしまった。文字通り、消化しきっていないようだ。ちょっとこの話題をすっぱり今晩は忘れ去って、体内で思考が熟成されるのを待ってみよう。

明日からは、後期授業もスタートする。僕自身の授業は明後日からだが、後期全体の戦略を練るために、明日からはフル回転の営業再開だ。しかも、10月以後は研究の成果を次々文字にしていかなければならない。過ごしやすい季節になってきたので、本腰を入れて、教育と研究にじっくり向き合う頃合いとなってきた。さて、今からのんびり風呂にでも浸かって、「あまり休めなかった夏休みの最後」を、じっくり味わおう。

今度こそ、無事にアップロードできますように。

夢とやじろべい

起き抜けに大変不思議な夢をみた。

僕はドラマでも小説でも現実からかけ離れたSF的ストーリーは元々あまり得意ではなく、現実に近い話の方が好きだ。スターウォーズよりフランキー堺演ずる赤かぶ検事の方が好き、という輩である。夢はもともと「トンデモ話」ばかりだが、それでも環境設定などはお馴染みの風景であることが多かった。だが、今日の夢を含め、最近はどうもそこから離れつつあるようだ。

と、ここからその夢の中身を書こうと思ったのだが(実際に書いてみたのだが)、どうも文字にすると薄っぺらくなるので、消してしまった。他人の夢の話を聞かされても、大概の場合、面白くないし、「それでどうしたの」と言われてしまうからである(現に僕がそう思うときもある)。とにかく概要のみを書くと、南の未開の島に滞在中、満潮時に水が溢れたり、真っ白なポルシェに乗ってたり、その後ほうきで空を飛んでみたり、神さまだか天使だかに逢ったり、と実に忙しい夢であった。そういう夢を見た朝は、ちょくちょく「夢判断」もののサイトで自己判断してみるのだが、「水が溢れる」夢は悪くないようだ。詳しく分析すると、いろいろ良からぬ材料も出てくるかもしれないが、僕は占いでも夢分析でも、基本的に自分の都合のよいようにしか解釈しないタイプなので、まあ「吉兆」だろう、と今朝も思いこんでいた。たぶんに夢が鮮やかな日の朝は、眠い。

今日は土曜日なのに早起きの理由は、塩尻で仕事があるからだ。とはいえ、大阪時代だと長野に仕事なら朝一番に起きて、と大変だったのだが、ここからだと特急で1時間。高速でも同じくらい。なので、11時集合でも焦らなくてもよい。車で行ってもいいのだが、中央道はしょっちゅう使っていて飽きたし、何より来週から授業もあり、例のアメリカ報告もあるので、読まなければマズイ論文と本が山盛りある。明日読もうか、とも思ったが、せっかく久方ぶりに何もない休日をそれに当てるのはつまらないので、塩尻までは電車旅にして、車内でせっせと読んでいこう、という魂胆だ。1時間なら1時間、と限定された時間で、限定された空間の方が、能率が上がることもある。なので、今日は荷物がバーベルにならない様に精査して、必要な資料のみ放り込んで、あと1時間半後のあずさに乗り込むつもりだ。

小学生くらいの頃、たいくつで暇なことが、とにかくつまらない、と思っていた。父にせがんで月に1度はドライブに連れて行ってもらっていたが、それでも飽き足らない。何もすることのない日曜日は、自転車に乗って近所をぶらぶらするのだが、お馴染みの風景ばかりで退屈。「どこかに行きたいな」「面白くないな」「暇でつまらないな」といつも思っていた。その潜在的記憶がインプリンティングされているせいか、大学以後、予定をドンドン詰めて、方々を飛び回る生活を10年近く行ってきた。そして30を過ぎて今、感じるのは「たいくつで暇なこと」の大切さ、だ。年齢と経験と関わりと責任を重ね、外へ出て行かざるを得ない場面が増えてくると、「たまの休み」がこれほど貴重なものか、と思えてくる。昔は「特急に乗れる」「お出かけ出来る」と思っただけで、数日前から鼻がふくらみっぱなしなほど興奮していたが、それが日常茶飯事になると、逆にな~んにもない休日が待ち遠しい。ある種自分が小学生から思い描いていた!?忙しさや飛び回る日常が現実になると、人間身勝手なもので、その反対の小学生の頃の時間的余裕を取り戻したい、と思ってしまうのだ。まあ、こういう感覚があるからどこかでバランスがとれていて良いのだろうけど。自分がやじろべいさんになった心境である。

明日こそのんびりするぞ、とワクワクしながら、さてはて働いてきますか。

とうとう来ました

というタイトルのメールが今朝がた、お世話になっている先生から来た。

曰く「とうとう、不幸の手紙が舞い込んできましたので、私の返事と共に、転送いたします」とのこと。何のこっちゃ、と思って読み進めると、昨年度やったあるプロジェクトの報告書の締め切りが10月になった、という事務局からの連絡であった。確かにいつかは来ると思いながら放ったらかしにしておいた催促が、思いがけず急に来ると、「不幸の手紙」そのものである。朝からケラケラ笑ってメールを読んだ後、「あと1ヶ月しかない」と笑いも消え、真顔に戻る。昨年出かけたアメリカ関連の報告書なのだが、9月頭にもう一度彼の地に出かけて色々調べても、まだよくわからん。その先生は私より遙かに造詣が深く、アメリカ研究で単著を近々出される予定なのだが、その先生をして、「アメリカ研究は、象の尻を撫ぜる思いです」と仰るのだから、僕などは「象の尻しか見えず、全体像が全くつかめない」という状態だ。

まあそう言ったところで締め切りは近づいたので、とにかく急ぎ出来る作業を始める。関連する論文・文献の追加発注やら、大学にあった関係論文をコピーしたりと、急にエンジンかかりだした。私たちは福祉を調べにいったのだが、アメリカの福祉については実は福祉学者より法学者や経済学者の方がたくさん論文をまとめている。特に社会保障との絡みや、政府間財政の問題、あるいは福祉国家論など、ネットで引っかけてみると、大国アメリカの福祉問題は、別ジャンルの研究者の切り口で、色々鮮やかな論考がある。障害者福祉の現地調査と文献研究をしていて、どうも全体像がアメリカはつかめないので、こういったマクロ的分析は、全体像を描く上で大変助かる。しかも、図書館には社会科学系の論文がたんとある。これは有り難い! なので、1時間以上にわたって、えっちらおっちら100枚以上コピーしていた。これから明日、今まで集めた論文も整理して、「日本語で読めるアメリカ福祉文献」をまず全部斜め読みしていこう。そして、それが終わったら、論点を整理して、いよいよもう一度英語と格闘しよう。そして、うまくいけば10月末には報告書に・・・と行きたいところなのだが、10月にはもう一本権利擁護関連の論文の締め切りもあり、もちろん来週から授業も再開するので・・・さてはて、どうなる事やら。そうとうヒヤヒヤものである。

そして、今日は午前、勉強会にも呼んで頂いた。火曜の晩にも別の場所で呼ばれたので、今週は二回目である。どちらも今度変わる自立支援法についてどう考えるべきか、がテーマだ。当事者、家族、支援者、行政関係者など多数お見えになられておられる。厚労省の枠組みを批判的に分析しながらも、この枠組みに飲み込まれずに、制度を使い、なければ作りながら、どう実体的に地域福祉をより豊かなものにしていけばいいのか、をお話しさせて頂く。しゃべり出したら、1時間半くらいはあっという間に過ぎてしまった。今日は手話通訳者の方も入っておられるので、ゆっくりしゃべらなければならない。普段の2分の1くらいのスピードでスタートしたのだが、あと30分を切っても話し終わらず、また最後の山場を迎えるので、ついついテンションと話すピッチがあがる。手話通訳の方も、話し終えた時にはグッタリされておられた。すいません。今度こそはゆっくり最後まで話したい、です・・・。

先週末からこの問題について、連日色々作り込んできたので、「よくわかった」「考えるきっかけになった」と終了後、お声をかけて頂けるとすごく嬉しい。僕はいつも自転車操業なので、講演の前に色々新たな情報を入れながら、練り直しながら、なのだが、この作業の中から、新たな研究課題も生まれている。そうやって雪だるま式にフィールドワークも研究も進んできた。きちっきちっと研究スタイルをもたれている先生方の前では恥ずかしいが、まあ僕にはこのスタイルしか出来ない。なので、後は雪だるまをきちんと固めて、解けないうちに適宜活字としてまとめていくしかない。アメリカ研究も、帰国後溶け始め(忘れ始め)ているので、締め切りを気になんとか固めよう、と気持ちを持ち直す。

今日はめっけもんまであった。講演先から大学への帰り道、石和の酒屋で「真澄」の立て看板を発見。奥さまの大好物なので、おっと思い中に入る。真澄はお隣長野の地酒で、すっきりした飲み口がよいのだが、あまり山梨には流通していない。で、入ったお店で真澄を物色していると、なんとあの名酒「羅生門」まで発見。和歌山の田端酒造が作っているあの名酒。大阪時代は阪急百貨店までわざわざ買いに出かけたものだ。それが山梨で買えるなんて! るんるんとしてきた。両方の会計をしながら、お店の方と話をしていると、「そう、お客さん、関西から引っ越してきたんだ。じゃあちょっと待っていてね」と裏から巨峰を持ってきてくださった。え、どうして?と尋ねると、「うちで作っているから」だって。名酒にぶどうに、大収穫の今日であった。さて、4日間も放ったらかしにしていたブログも書き終えたし、今から奥さまと名酒に舌鼓しますか。

螺旋階段的グルグル

今日は久々にジムに出かけた。

アメリカ出張直前から数えること2週間以上。運動不足がたたって、昨日一昨日と久々にこむら返りまでおこす始末。身体が「運動しなはれ」と説教していた。でも、カリフォルニアではホテルのプールに行く余裕も無いほど連日調査でくたびれはて、日本に帰ってきてからも、既に書いたようにまったく運動にいく精神的・時間的余裕がなかったのだ。なので、今日は久しぶりにワークアウト。こってり脂っこい汗を出していく。すごく気分がよろしい。

気分がよろしいのは、運動だけではない。ボチボチ仕上げなければならない来週の講演のレジュメが、午前中にほぼ仕上がったのだ。それもたんまりと。もとはと言えば、昨日の夜にさる所からファックスで流れてきた、制度改変に関する厚労省関連の資料。見ていて、「それはちょっとなんだかなぁ」と思っているうちにムクムク腹が立ってきて、腹立ち紛れにその資料への反論のパワポを作っていたら、すっかり夜中に。おねむになったので、一晩資料も頭も寝かせて、朝食後に続きを作る。で、仕上げた後に二度寝でもしよう、と思ったのだが、ついでに来週話したい事も次々浮かんできたので、どうせならエイヤ、っとパワーポイントを作り込んでいく。木曜日の時点では「ぶっ飛んでいた」様々な想い(の一部)が、少しずつレジュメ上の言葉として落ち着いてくる。火曜の夜はこのレジュメを基にさらに脱線しながら話が膨らんでいくんだろうなぁ、と思いながらも、まあこのグルグル螺旋階段的拡がり、がタケバタのよいパターンだな、とも思う。

ついでに言うと、この「グルグル螺旋階段的拡がり」なるもの。これは、自分が考えたオリジナルだ、と思いこんでいたが、以前に書いた今田高俊さんの本を読んでいて、「あ、これは!」と再発見。彼が自己組織性の中で書いていた螺旋階段的上昇の図を、僕はそういえば大学3,4年の集中講義で聞いていて、ノートにとった記憶がある。でも、そのときは全然あまたに残らず、それから数年後の大学院生の時、予備校生や高3生相手に次のように語り始めたのだった。

「人生は螺旋階段のようなもの。同じ所を何度もグルグルまわる。でも、螺旋階段は、同じ位相だと思っていても、少しは上昇している。また、この螺旋階段は、上昇する毎にその半径も少しずつ拡がっていく。そうやって、考えを深めながら、同じ局面を違う様相で歩みながら、自分なりの年輪を重ねていくのだ」

そっか、これは今田さんの言う自己組織性の理論に基づいてたんだ。しかも今田先生にならったことを自家薬籠中のものにした気分になり、あげくの果てにすっかりラベルを変えて「バタブランド」なるものに熟成させた「つもり」で、売り歩いていたのだ。あれまあ・・・。とはいえ、これは剽窃や盗作とは違う。先人の叡智を吸収し、自分の言葉で語り出すとき、編集されて加工された叡智はタケバタ色の新たなタペストリーとなっていくのだ。ただ、そのとき原典へのレスペクトの気持ちを忘れないことはもちろん大切。こうして久しぶりに今田氏の本を手に取ったのも、あることを考える原点(原典)を思い起こさせてくれる、貴重なご縁なのだ。再び同じ立ち位置に戻ってきた今、授業を聞いた10年前より、多少は位相も半径も違っていると感じている。さて次はこの螺旋階段をどんな半径で、どのような高みをめざして、昇っていきましょうか? 今からが楽しみだ。

収束と発散

火曜日に研究室に戻った後、とにかく毎日やたらと忙しい。

火曜はアメリカから持ち帰った資料整理と、お会いした人々へのお礼メールを書いたり、研究室の片づけをしたり、取材時の録音データをパソコンに取り込んだり、そのデータを文字起こししてくれるインドの会社に発注したりしているうちにあっという間に時間が過ぎる。で、昨日は午前はアメリカ調査関連の事務処理に追われ、午後は来週急に入った講演の打ち合わせで来客。地域の障害者支援の現場で働いておられる方々なので、打ち合わせついでに地域支援の実情について色々お話をお聞かせ頂く。1時間半ほど色々お聞かせ頂いてお見送りをした直後に、今度はNPO実践を積んでこられた方と偶然お会いし、そこからまた3時間あまり。ちょうど今、後期のボランティア・NPO論の授業構想を練っていたので、その方のお知恵を拝借しながら、ブレーンストーミングにつきあって頂く。その後同僚と30分ほどしゃべって、都合おしゃべり6時間。帰ってもアメリカからの返信の対応などをしていると、夜中になってしまった。

で、今日あたりから、続々と色んな追加資料がメールで届く。お礼メールを書いたついでに、「こういう事も知りたいのですが」と書いて送ったら、早速色々送り返してくださったのだ。さすが情報開示先進国のアメリカ。またもや読まねばならない資料がてんこ盛りになるが、そうやって読み進めるほどに、今回の調査の実りの多さに本当に感謝する。今回は主に権利擁護と情報公開、隔離拘束と地域生活支援、という4つの話題についてインタビューしたのだが、どれも興味深い内容を持ち帰ってこれた。これからそれをどう日本語でまとめ、整理し、アウトプットしていくのか、が問われている。一方で気づけば再来週から授業も再開。つまり、あと10日強しかまとめる為の余裕時間はないのだ。という訳で、今週来週は休日返上になりそう・・・。とほほ。でも、鉄は熱いうちに打て、ではないけれど、「これはおもろい」という気持ちがさめないうちにまとめないと、特に英語情報はすっかり忘れてしまう危険性がある。宝の持ち腐れにならないように、ちゃんと活字にして日本の現場に伝えていかねば。

で、今日の夕方もまた人と話し込む。来週もう一件勉強会の講師を頼まれたのだが、その主催する組織の責任者の方が自宅の近所まで所用で来られるので、来週の会の打ち合わせ。そこは障害者の雇用の場を創るために農場もやっておられるのだが、今は収穫の季節。もう栗やら野菜で一杯よ、と施設長さんに電話越しで言われて、「羨ましいなぁ」と思わず口にでたら、すかさず「じゃあ明日持って行ってあげるから」と言われて頂いてしまった。野菜をもらいにきたのか、会の打ち合わせなのか本末転倒だが、ちゃんと打ち合わせもみっちり1時間半近く行った。

実はその方に会う前に、別の現場のワーカーの方と電話で話していて、支援の難しさや燃え尽きの問題が議論に上っていた。そこで、打ち合わせついでにそのことの議論となり、制度改変と地域変革、当事者支援の在り方などで、議論がどんどん膨らんでいく。アメリカの権利擁護の実態と、日本の制度改変の行方、どちらも大切な話題で、ここ数日、その両方がどんどんごっちゃに頭の中に入ってくるので、頭が少し混乱状態だ。どうもここ数日収束的思考ではなく、発散的思考になっている。でも実はごっちゃに拡がっている様々な話題が、たぐり寄せていけば必ずや一つにつながっているのが直感的にわかっている。なので、この渦巻いているいろいろな断片をタペストリーに織り込んで、ある一定のまとまりに収束させるべく、何とか気づき始めた「つながり」や「可能性」を言語化していく作業を週末にかけてしていこうと思う。しかも偶然にもちょうど良いご縁で来週二回話をさせて頂くチャンスがある。ならば、その場も利用させて頂いて、話をしながら頭の中のグルグルを整理出来れば、などとたくらみ事まで膨らむバタであった。

あかん、今日はどうも頭がぶっ飛んでいるので、文章も結構ぶっ飛びがちだ。おふろで少し頭をほぐさねば。

「構造変動」と「自民党をぶっ壊す」

土曜日の昼にサンフランシスコを発ち、15時間あまりかけて、日曜の夕方にようやく我が家にたどり着く。16時間の時差は、行きは一日得した気分にさせてくれるが、帰りは一日損した気分になってチャラとなる。

成田空港の付近が悪天候で上空でも迂回、着陸後も30分以上待たされ、結局機内に11時間あまり。で、その後なんとか甲府行きのバスに間に合い、バスに揺られて3時間半。二列シートのバスでも、エコノミーシートの飛行機よりは遙かに楽ちんだった。機内ではずっと本を読んでいてあまり寝られなかったので、ぐったり寝込んでいる内に、あっという間にもうお馴染みになった甲府市内へとバスは戻ってきた。それにしても15時間移動すると、まだ身体は移動しているような感触が残っている。

で、かえってきて、お風呂に入ってから、選挙速報をつけながら素麺をゆがく。機内では昼食と夕食らしきものを食べ、バスの中でもビールとつまみでまどろんでいたのだが、我が家に帰って無性に素麺が食べたくなって、「島の光」を二把ゆがく。ズルズルとすすっておなかも落ち着いてきたので、今回の自民党圧勝という選挙結果をぼんやりと考えてみる。偶然機内で読んでいたある本の一節が、改めて浮かび上がってくる。

「構造が不安定であることと、構造が変動することとは同義ではない。構造変動が開始されるためには、現行の構造のどの部分がどう問題を抱えているかを識別し、必要な改革プログラムを設計してこれを実行に移す必要がある。さらに構造改革の結果、機能要件の充足が実現されたか否かを評価点検する必要がある。こうした作業を担う自己組織化層がシステムに内蔵されていなければ、構造変動へと向かう力が蓄積されても、実際の変動は可能にならない。構造不安定は構造変動の必要条件にとどまる」(今田高俊著「自己組織性と社会」東京大学出版会 p91)

今回の選挙で一番ビックリしたのが、投票率の高さだ。67%で前回を7ポイント以上、上回る、とは、正直思っていなかった。下げ続けた投票率を見て、もう二度と上昇することはない、と悲観的見方さえ、僕は内心抱いていた。なので、とにかく投票率が上昇したこと、これは国民の関心度が高まった、という一点だけでも、今回の選挙で評価されるべき事だと思う。まだ、みんなまだ匙を投げきってはいないのだ。

だが、これで小泉政権が「構造安定」化するか、といえば、それも違うと思う。なぜならば、小泉総理の言う「構造改革」なるものが、果たしてどのような「結果」を生み出すのか、まだ明確になっていないからだ。その意味ではいくら300議席近くを確保しても、現状が「構造不安定」状態にあることには変わりない。彼の言動の「実際」について、それを評価点検する時期になって初めて、その構造の真価が問われるのであろう。

小泉首相の言う「構造改革」が、名実共に本当の「改革」であれば、有言実行であり、有権者の支持という追い風を受けて、政権の安定やポスト小泉政権へのソフトランディングをもたらすであろう。だが、彼の「改革」がもし表面的な言葉だけのものだと国民の目に映った時には・・・それは政界再編を含めた「構造変動」の波に与野党全体が飲み込まれる、大きいなる「構造改革」が始まるのかもしれない。そういう意味で、投票率の再びの上昇から見ると、政局の流動化は、今後もかなりの割合であり得る。そういう点で、今回の総選挙結果は、非常に「構造不安定」状態である、ということだ。もちろん今田氏のいうように、「構造不安定は構造変動の必要条件にとどまる」。だが、これに実際の政策への評価、という十分条件が整えば、これからの首相の舵取り如何で、一気に「構造変動」へとつながるかもしれないのだ。

恐ろしいのは、「変人」小泉氏の胸中に、どこまでの意味で「自民党をぶっ壊す」という意味合いがビルトインされているか、という部分である。今回の自民党大勝と守旧派の一層が、彼の意味する最終目的なのか、それとも本当の意味での「ぶちこわし」まで、これから控えているのか・・・。ここしばらく、余談は禁物だ。

分析と消化

今朝は仕事がないので、ホテルの部屋でのんびりする。

昨日は午前も午後も、異なる現場で色々面白い話を聞いていた。そして、どちらの現場とも、あっという間にタイムアウトとなって、泣く泣く移動、という羽目に。カリフォルニアには、半年くらい住みながら考えてみる価値がある様々な論点が詰まっている、と感じている。いずれにせよ、こちらの事が知りたいのは、日本の現在の社会政策との比較の論点から。なので、1つの現象を輸入して、それの是非をどうこう言ってみても仕方がない。それより、その現象の背景にある考え方、捉え方というものにも目を向けて、どう日本で展開していけるのか、の吟味が必要だ。現状のスタンダードレベルを上げる為には、枠組みのどの部分を焦点化し、どのように変更していく必要があるのか、その際に現状で障壁になっているものは何で、カウンターパートとして何をぶつけて行けば、その障壁は砕け得るのか、を戦略的に練っていく必要がありそうだ。まあ、すぐにどうこうする、というよりは、時間をかけてじっくり準備をしていかなければならない課題であろう。

そう徒然なるままに考えているうちに、己が力量、という問題にぶち当たる。で、僕が落ち込みやすい解決方法である「反省」モードに入りかけていたのだが、機内で読んでいたある一節をふっと思い出す。「できもしない反省をしてくよくよしていると、体にも悪い」「失敗から学ぶということと、反省することとは違う」(内田樹・池上六郎著「身体の言い分」毎日新聞社」) 反省とは、自分の中での未だ消化できない腐れた過去の痕跡の断片を、現在の問題点と結びつけ、同じ脈絡のものとカテゴライズし、その問題点を消化できない同種のものとして「腐らせていく」という腐敗の過程なのだと思う。でも、そうやって身体の中に腐敗物をため込んでいくのは、身体にも心にもよくない。それよりは、腐敗した断片を、どうお日様に照らして、養分のある新たな腐葉土として再生させて行くか、の方が大切なのだ。過去の同種の問題に「居着く」と、そこで足場が固まってしまい、柔軟な考え方や新たな展開に立ち上がっていくことは出来ない。でも、そう簡単に身体の中に沈殿している未消化物をキレイさっぱり忘れ去ることも出来ない。ならば、反省という形での腐敗物の蓄積という解決方法ではなく、「学ぶ」という新たなスタンスで腐敗物を白日の下にさらし、その「自身の断片」をかき混ぜながら要素分析をし、次の展開への「養分」へと変えていけば、よい消化(昇華)へとつながっていくのではないか。そう感じはじめている。

そんな事を考えているうちに、気付けばもうじきお昼。腹ごしらえをして、最後の調査に出かけてきますか。

まじめに働く

連日くたびれきっている。それだけ濃厚な調査だ。

今は現地時間の午前7時過ぎ。今日は8時半に出発して、精神障害者の地域生活支援の拠点と、ワインで有名なNapaにある州立精神病院の、二カ所に取材に行く。しかもNapaまではサンフランシスコから2時間弱かかる。一日に二つの取材は結構ハードだ。それに今回は自分で運転していく。

今回の調査はレンタカーに大いに依存している。前回のアメリカ調査ではレンタカーを使わなかったのだが、車社会アメリカでは公共交通機関のみでやっていくのが、特に郊外の場合実に大変であった。バスは便数があまりなかったり、またタクシーが各駅に止まっている訳でもない。たとえばサンフランシスコから州都サクラメントに行くにしても、公共交通機関なら、バスで二時間、というのが一番早い。このバスは片道15ドルと格安で、学生か低所得者層が多く利用していて、それなりに味のある乗客で楽しい。前回の調査も利用したのだが、サクラメントの政府の役人にバスで来たことを伝えると、「あれは良くないから列車で帰れ」と強く勧められた。で、帰路を列車にしたのだが、ディーゼル機関車で走るアムトラック(大陸横断鉄道)だと、2時間半かかり、しかもサンフランシスコ市内には連絡バスでさらに半時間ほど揺られる必要がある。飛行機もあるのだが、空港までのアクセスに両方とも時間がかかる。すると、実は一番良い選択肢が「自分で運転していくこと」。今回は自分で運転したら、1時間半で着いた。実にらくちんだった。

で、移動が楽な分!?、調査に集中できる、というか、実に密度の濃いやり取りが連日続いている。日本で山ほど資料をwebからプリントアウトして、毎晩丑三つ時まで読み込んでから出かけるのだが、それでも現地に出かけてみると「それはもうやってないよ」「でもその代わり、こんなこともはじめたよ」などと色々な情報が捕まえられる。資料を読んでもよくわからなかったポイントも、実際にその現場で、お顔を見ながらお話しを伺っている内に、「何となくこういうことなのかな」とわかってくるから、こりゃまた不思議な話だ。この数年間でネットでの情報公開が飛躍的に進んだとはいえ、肝心要な情報はやはり、現地に行ってみないとわからない。まあ、これが実地調査のおもろい所なのだけれど、

あと1時間で出発するので、ご飯を食べながら、今から予習に勤しむバタであった。