夢とやじろべい

起き抜けに大変不思議な夢をみた。

僕はドラマでも小説でも現実からかけ離れたSF的ストーリーは元々あまり得意ではなく、現実に近い話の方が好きだ。スターウォーズよりフランキー堺演ずる赤かぶ検事の方が好き、という輩である。夢はもともと「トンデモ話」ばかりだが、それでも環境設定などはお馴染みの風景であることが多かった。だが、今日の夢を含め、最近はどうもそこから離れつつあるようだ。

と、ここからその夢の中身を書こうと思ったのだが(実際に書いてみたのだが)、どうも文字にすると薄っぺらくなるので、消してしまった。他人の夢の話を聞かされても、大概の場合、面白くないし、「それでどうしたの」と言われてしまうからである(現に僕がそう思うときもある)。とにかく概要のみを書くと、南の未開の島に滞在中、満潮時に水が溢れたり、真っ白なポルシェに乗ってたり、その後ほうきで空を飛んでみたり、神さまだか天使だかに逢ったり、と実に忙しい夢であった。そういう夢を見た朝は、ちょくちょく「夢判断」もののサイトで自己判断してみるのだが、「水が溢れる」夢は悪くないようだ。詳しく分析すると、いろいろ良からぬ材料も出てくるかもしれないが、僕は占いでも夢分析でも、基本的に自分の都合のよいようにしか解釈しないタイプなので、まあ「吉兆」だろう、と今朝も思いこんでいた。たぶんに夢が鮮やかな日の朝は、眠い。

今日は土曜日なのに早起きの理由は、塩尻で仕事があるからだ。とはいえ、大阪時代だと長野に仕事なら朝一番に起きて、と大変だったのだが、ここからだと特急で1時間。高速でも同じくらい。なので、11時集合でも焦らなくてもよい。車で行ってもいいのだが、中央道はしょっちゅう使っていて飽きたし、何より来週から授業もあり、例のアメリカ報告もあるので、読まなければマズイ論文と本が山盛りある。明日読もうか、とも思ったが、せっかく久方ぶりに何もない休日をそれに当てるのはつまらないので、塩尻までは電車旅にして、車内でせっせと読んでいこう、という魂胆だ。1時間なら1時間、と限定された時間で、限定された空間の方が、能率が上がることもある。なので、今日は荷物がバーベルにならない様に精査して、必要な資料のみ放り込んで、あと1時間半後のあずさに乗り込むつもりだ。

小学生くらいの頃、たいくつで暇なことが、とにかくつまらない、と思っていた。父にせがんで月に1度はドライブに連れて行ってもらっていたが、それでも飽き足らない。何もすることのない日曜日は、自転車に乗って近所をぶらぶらするのだが、お馴染みの風景ばかりで退屈。「どこかに行きたいな」「面白くないな」「暇でつまらないな」といつも思っていた。その潜在的記憶がインプリンティングされているせいか、大学以後、予定をドンドン詰めて、方々を飛び回る生活を10年近く行ってきた。そして30を過ぎて今、感じるのは「たいくつで暇なこと」の大切さ、だ。年齢と経験と関わりと責任を重ね、外へ出て行かざるを得ない場面が増えてくると、「たまの休み」がこれほど貴重なものか、と思えてくる。昔は「特急に乗れる」「お出かけ出来る」と思っただけで、数日前から鼻がふくらみっぱなしなほど興奮していたが、それが日常茶飯事になると、逆にな~んにもない休日が待ち遠しい。ある種自分が小学生から思い描いていた!?忙しさや飛び回る日常が現実になると、人間身勝手なもので、その反対の小学生の頃の時間的余裕を取り戻したい、と思ってしまうのだ。まあ、こういう感覚があるからどこかでバランスがとれていて良いのだろうけど。自分がやじろべいさんになった心境である。

明日こそのんびりするぞ、とワクワクしながら、さてはて働いてきますか。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。