師匠と弟子

我が師匠、大熊一夫さんがホームページをお作りになられた。
http://orso.05.to/
早速拝読させて頂く。やはり師匠はすごい、と朝から唸ってしまった。

大学を定年退官され、現在は八ヶ岳の麓でピザ釜を作り、フリージャーナリストも続けておられる師匠だが、そのHPの内容は実に濃縮度が高い(なぜピザ釜か、は直接HPをご覧下さい)。特に、ナチスの障害者安楽死計画に関する話や、スウェーデンにおける内部告発物語など、魅力的な内容が詰まっている。それらを読み進める中で、改めて自分がどれほど多くのことを師匠から学ばせて頂いたか、とういことをつくづくかみしめていた。

大熊さんに出逢ったのは、もうかれこれ7,8年前。大学院に入るときに、教授として着任されたのが出会いだった。「先生」と呼ばれることが何より嫌いだった師匠なので、いつも僕は気安く「大熊さん」「一夫さん」と慣れ慣れしくも呼ばせて頂いていた。当時大熊さんについた大学院生は二人だけで、しかも博士課程に残ったのは僕だけだったので、まさに師匠には手取り足取り教えて頂いた。日本全国、あちこち師匠にくっついて出かけ、師匠が取材される様子を直に見せて頂いたこともあれば、へたくそな私の文章を真っ赤になるまで手をいれて下さったこともあった。初めて北欧に出かけたのも、師匠が「日本の現実だけではわからない」からと、連れて行って下さったのがご縁だ。あと、美味しい手料理も、北欧滞在中のアパートだけでなく、大阪や長野で何度も頂いた。そう、師匠にはお世話になりっぱなし、なのである。

「文章は省略と誇張だ」「いい加減なことを書いてはいけない」「わからないことをわかったふりしない」「自分の頭できちんとものを考えて言わなければならない」・・・

これらのごく当たり前の、でもなかなか実践するのは難しいこれらのことを、大学院生の間に僕にたたき込んでくださったのも師匠だ。これらの珠玉の言葉にも、どれだけ僕は救われたか。なんせ、師匠に出逢う前は、師匠に言われたこととは反対の、「ダラダラした文章」「いい加減な内容」「知ったかぶり」「人の受け売り」・・・が僕の中に多分に見られた。今もまだ一杯あるだろうけれど、でも以前より少しは「自分の頭で考え」て、「わからないこと」に謙虚になって、文章に多少は気をつけるようになったとすれば、それは師匠のおかげ以外の何物でもない。

そして今、大学で授業やゼミをしている際も、やはりそのテーマの扱い方や切り口については、師匠に教えて頂いた視点が息づいている。先週の地域福祉論の授業では障害者の地域生活支援センター建設に関する周辺住民の反対運動について取り上げたが、その延長線上には、障害者への差別・偏見、そして障害者の虐殺・・・といった問題が横たわっている。来週以後、その問題を取り上げなきゃ、と思っていた矢先に、師匠のHPを見て、得心。このナチによる障害者虐殺問題について、今から30年以上前に書かれた不朽の名作、「ルポ・精神病棟」からずっと追い続けてこられたのも、師匠だったのだ。だから、僕がそういう授業展開の回路になるのは、僕のオリジナルでも何でもなく、師匠に教わった通りの経路を辿っているだけ、なのだ。

師匠、不肖の弟子は、何とか大学でヨチヨチ歩きをしております。いつの日か、「タケバタ君の文章は、まだまだヘタだけど、少しは読める内容になってきたね」とお声をかけて頂く日が来ると信じて、日々、精進なのであります。さ、今日もガンバろっと。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。