煤払いな日々

ようやくあれこれと念願の煤払いの日々である。

昨日は住所録の整理と年賀状の印刷、それに来月に向けた仕事の整理にあけくれていた。引っ越しとデスクトップパソコン、ノートパソコンの相次ぐクラッシュのおかげで、バックアップデータはとっておいたものの、住所録構築などあれこれすることがたまっていた。特にこの年の瀬は実家に帰るので、年賀状の準備はこっちにいる間に完了しなければならない。例年は紅白でもみながら、の年賀状作業だったのだが、そうはいかない。山梨に引っ越してきて以来、一本電車を逃すと二時間(下手したら一晩)待ち、という状態なので、何かとギリギリではなく早め早め、とシフトしてきた。よい傾向である。「夏休みの宿題を9月に入ってからやる」というのは、無責任な学生の間は許されたが、今それをすると、各方面に甚大なご迷惑をかける。30にしてそういう事にもようやく気づいているんだから、何だかなぁ、である。

そういえば、こないだ恩師の先生から電話がかかってきた際も、「タケバタも少しは大人になったね」と言われた。「生きるためのお金稼ぎ」に必死であった時代は、とにかく余裕がなく、仕事の質も雑で、自分の事に精一杯で、周りをじっくりみるなんてことはとっても出来なかった。そして、そういう雑な仕事がますます自分の首を絞めて・・・という悪循環に陥っていることも気づかずにいた。それが山梨の豊かで落ち着いた環境の中で、ようやくこのサイクルに気づくことが出来、それとともにそこから少しずつ抜け出せつつあるようだ。本当にありがたい限り。それでも今年は各方面にご迷惑をかけることが多かった。来年は、もう少しきっちりと、早め早めでやらねば、と年賀状を書きながら感じていた。

で、今日はその年賀状書きとおうちの片づけ。パートナーは今日まで仕事、なので、送り出した後、ガソリンを入れ、おみやげの桔梗餅とトマトとキュウイなども買い込む。いつもの豊玉園のおばあさんに良いトマトを詰めてもらった。先述の恩師のところに2日に出かける予定なので、以前送って喜んで頂いたトマトを持参しよう、という考えである。ここのトマトは、本気の青い味がして、大好評。ついでにキュウイもすごく甘くておいしい。トマトのハウス栽培で一緒に育てている、とのこと。こっちは実家に持って行こう、とついでに買ってみた。

そして念願の我が家のパソコン間のデータ共有。デスクトップに入っているメールとマイドキュメントデータを、以前クラッシュしてデータが飛んでしまったダイナブックくんに移植する作業だ。これをしたくて外付けハードディスクを買う算段も出来ていたのだが、何しろここ数ヶ月は死ぬほど忙しくて、年末まで放ったらかしであった。その間にダイナブックくんの電源もどっかに行ってしまっていたため、今日はまずアダプター探しに小一時間ほど奔走する。大学にあるかも、と探しにまで行きかけたが、灯台もと暗し。居間の陰にこっそり隠れていらっしゃった。まるで横山やすしの「めがね」じゃないれど、一番目につくところに忘れてあったのだ。これも今年後半のバタバタゆえである。

ついでに言うと、その昔は、恥ずかしいことに「バタバタする」ということが僕の代名詞というか、それがちょっとかっこよい、なんて錯覚していた。もちろん今はさにあらず。バタバタと予定を無駄に詰めていると、本当にしなければならないことは出来ず、締め切りもきちんと守れず、挙げ句の果てに仕事の内容の質が落ちる、という最悪の結果を招きかねない。ここ数ヶ月、そういう状態が続いていて、先日、別の恩師からも「それではバランスに欠いている」と厳しいご指摘を受ける。そうなんです。バタバタとしていると、
仕事をしている「ふり」は出来るけれど、研究・教育・社会活動・それにプライベートの四者のバランスが総崩れしてしまうのだ。これではまっとうな仕事に結びつかない。危ない、あぶない。

というわけで、年末はお部屋の煤払いだけでなく、頭の中の煤払いまでやっていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。