真面目も休み休みに

「先生、むっとしないで、もっと授業中笑った方がいいよ」

わかれ際、ある学生さんに言われた一言がずしんときた。
授業で色々伝えようと必死なのだが、「必死さは伝わってくるけど、むっとしているように見えるから、みんなもいやになってくる」そうな。もっと僕が笑顔になれば、みんなにもそれは伝わる。でも、僕は授業の中で笑っていない・・・。そりゃあ、聞く方だったら、笑いのない伝え手の話なんて聞きたかないよなぁ・・・。うまく伝わらないのは、聞き手の問題ではなく、僕自身の「余裕のなさ」にあったのか・・・。まさに目から鱗、であった。

一年目の授業は、本当に色々越えねばならない山あり谷あり、だった。特に「笑っていない」その授業は、僕にとってやったことのないジャンルの授業であり、本当に試行錯誤の連続だった。こなすべき課題があり、伝えたいこともあり、でも学生さんが求めることもイメージしにくく・・・そういう中で、力が入るもののこっちの想いが伝わりにくい、そういうジレンマを感じていた。気づいたら「ワイワイがやがや」の授業ではなく、ピシッと何かを終わらせる事に力を入れていた。学生のエンパワメントを指向しながら、やっている実際はあるレールに無理矢理はめ込もうとしていただけだ。そりゃあ、学生さん達は腹立つし面白くないし、納得出来ないに決まっている。「真面目も休み休み」でなければ、疲れるのだ。それを僕は1コマ中ずっと真面目さを学生に求める。彼ら彼女らがtoo muchと思う気持ちも、逆の立場だったら本当によくわかる。

今日は一応の一区切りを伝えるために、いろんなメッセージを伝えようとしたのだけれど、あんまり伝わらず、授業後に落ち込んでいた。でも何とか来年度に向けて変えるきっかけがほしくて、残っていた二人の学生さんに聞いてみたところ、親切にも彼女たちは色々本音を教えてくれた。僕が「『自分の頭で考える』ということをしてほしくって、こういうことをしてきた」というと、「それを先に伝えてから、今日のワークのようなものもしてくれたら、もっと色々書ける」と。説明を先にしてくれて、それを実践させてくれたら、自分たちもやりようがある。でもタケバタのこれまでのその授業の中身は、説明が後回しなので、やっている時には「何のためにやるのか」がよくわからない。なので、書きたいことも「人に知られたくないから」「目的がはっきりしないから」書けないのだ、と。なるへそ。僕自身は先に説明を聞かされると、「種明かし」されるようで、最初は答えを見ずにやりたいタイプだが、先に「種明かし」された方がやる気がでてくる人も少なくないのだ。本当にたくさんのことを学ばせてもらった。

そして、件の「笑ってない」。じゃあね、と言って別々の方向に向かい始めた時に、本当に彼女が思っていることを教えてくれた。たぶん「こんなことを言ったら・・・」と学生として教員になかなか言えなかったことを、別れ際に思い切って言ってくださったのだ。よくぞ!です。大感謝。来年度の授業の課題は山ほどあるけれど、今日気づかされた「ワイワイがやがや」「笑いをまじえながら本質を伝える」「真面目も休み休みに」・・・については優先順位上位にエントリーしておこう。何はともあれ、今年の問題は今年のうちに気づかせてもらって、ほんとによかった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。