師との再会

 

今日は久しぶりに寝だめの出来た一日。明日からはまた、とんでもなく忙しい日々になることが確定しているので、身体をたまには休めておかないと大変だ。以前に書いたかもしれないが、実は見かけによらず身体が弱いタケバタ。昔はしょっちゅう風邪を引いたりお腹をこわしたものです。でも子供時代よりちょっぴりとだけ、経験則を持ったので、「無茶する前とした後は休息する」という鉄則だけは、守るようにしている。朝ご飯を食べた後、布団に入って結局午後2時頃まで眠り、その後家事にいそしむ。今晩は予備校時代からの恩師、T先生が我が家に来られるのだ。最低限、片づけておかねばならない。

このT先生は、下記の意味でまさしく僕にとって「師」のお一人である。

「師とは私たちが成長の過程で最初に出会う『他者』のことである。師弟関係とは何らかの定量可能な学地や技術を伝承する関係ではなく、『私の理解も共感も絶した知的境位にある』という『物語』を受け容れる、という決断のことである。言い換えれば、師事するとは、『他者がいる』という事実それ自体を学習する経験なのである。」(内田樹「レヴィナスと愛の現象学」せりか書房p18

予備校時代に初めてお会いした時、正直に告白すると、「なんじゃ、このおっさん」と思ってしまった。実はT先生は予備校だけでなく、通っていた高校の講師もされておられたのだが、その時僕は習わなかった。ただ、写真部の友人で、今トリノオリンピックの写真を撮っている報道カメラマンIが高校3年生でT先生に「師事」し、その一年間でまさしく「T教信者」と周りに言われるほど、ぞっこんはまってしまった。ついでに英語の成績もとんでもなく上昇した。好奇心だけは旺盛なタケバタは、高校時代の親友Iが一年で大きく変貌していく姿を間近に見て、どういう人なんだろう、と怖いもの見たさと「ついでに英語の成績が上がったら」という下心で、T先生の授業を聞きに出かけた。その時、件の「なんじゃこりゃ!」という感想を抱いたのだ。

T先生はまさしく、「私の理解も共感も絶した知的境位」におられた。年がら年中半袖姿という容姿はさておいて、男子高校では「女子禁制」のアヤシイ英語特訓で学生を惹きつけるかと思えば、鉄道オタクが高じて日本で一番売れている英和辞典の鉄道の項目を執筆する。発音・アクセント問題の権威として、聴覚障害のある学生にこの問題を解くための鉄則を教え込み、タイの貧困地域の女性や子供達を救うNGOの代表でもある。でも本業は、どんな学生でも英語に目覚めさせる「受験生の神様」の存在であり、徹底的に受験生に英語文法の構造を訓練してたたき込ませる。それだけでなく、弟子として「師事」した人間に対してはとことん付き合う。その「とことん」ぶりもまさに僕にとって「理解も共感も絶した」ものであり、夜中に先生の家で猛特訓すること数十回、テキストを買い与えてくださること数知れず・・・どれほど私に「投資」してくださったかわからないくらい、時間的にも金銭的にもかけてくださった。英語という語学の知識のみならず、生き方や考え方も含めて、「理解も共感も絶した知的境位」におられたのだ。

不肖の弟子はその当時、T先生の熱情がどこから出てくるのか、については想いもよらなかったが、その後10年以上おつきあいさせて頂く中で、あるいは僕も同じく受験生を10年ほど教えてみて、今は大学で学生を教えて、少しずつ、その先生の「師」としての矜持のようなものに、想いを馳せられるようになってきた。少なくともまだ僕はT先生に比べたら「とことん」ぶりが遙かに欠けているけれど、自分らしい感じでの「とことん」は何か追求したい、そう考えている。

そんなT先生がお越しになるので、今晩は実に楽しみだ。バスオタクでもある先生は甲府10時半発の夜行バスで大阪にお戻りになられるので、それまでの5時間、じっくり師との語らいを満喫したい。さ、鍋の用意でも買いに行かなくっちゃ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。