充電の会話

 

GW期間中で臨時休校の大学に来て、のんびり仕事をしている。

この1週間、ブログを更新する間もなく、ドタバタしていた。昨日は高校時代の仲間4人が山梨まで遊びに来てくれたので、山梨市駅でお出迎えほったらかし温泉トマト農家でお買い物奥籐でお蕎麦と鶏モツ煮フジッコワイナリーで試飲とお買い物研究室でご接待甲府駅前で夕食兼ご歓談、とコーディネートをしていた。その前の土曜の晩は、東京で大学時代の友人とプチ同窓会的集まり、巻き戻すこと土曜のお昼は京都で友人とランチ、金曜が大阪で打ち合わせ2件と飲み会1件、とハードにこなす。そういえば、木曜の晩は甲府でも飲んでいたから、まあ先週末は飲んだり食べたり、人と交遊することが多かった。

研究室に閉じこもっていると、どうしても視野も世界も狭くなってしまうので、出張ついでに色んな人に出会うことは良いリフレッシュになる。特に一昨日から昨日にかけて、「ごぶさた」の友人達とたくさん歓談できた。特に高校から大学にかけて、自分の方向性を定めるためにウダウダしていた日々。お金はないけれど、部室や学食、教室や学生控え室などで、とにかくよく喋っていた仲間達だ。その時にしゃべっていな内容なんてすっかり忘れてしまったが、しょちゅう会っては膝と膝をつき合わせて語り合っていた。まだ携帯電話が高嶺の花で、大学生の終わり頃に急速に普及した。パソコンやE-mailだって、大学生の後半くらいからようやく普及した。だから、基本的には携帯やメールより、普通の電話か、それとも会ってしゃべる、という方が優先された最後の時代だったんじゃないかと思う。

メールや携帯電話という、ダイレクトに相手につながるツールが普及した今でも、いやそういう今だからこそ、久しぶりの仲間と直に会ってワイワイ言いながら語る、ということはすごく貴重な時間だ。別に、過去の古傷をなめ合ったりするために会う、という訳ではない。あんまりあれこれ説明せずとも、あうんの呼吸が出来る仲間達と、近況報告のウォームアップを終えた後、仲間モードでの会話を「再開」する。あのときは良かった、といった回顧録的お話ではなく、あくまでも今のトピックについて、昔のモードをそのままに話が続いていくのだ。そういう「続き」が出来る仲間は大変貴重である。だって前提条件や自身の履歴などについて触れることなく、また警戒感やら様子見をすることもなく、最初から安心して話せるのだから。また気心知れた相手とのお顔を見ながらのダイアローグという「あいだ」から、思いもよらぬことが立ち上がってくるのも、メールや携帯では得難い経験だ。こういう「あいだ」からは、もちろん新しいアイデアも立ち上がるが、旧友との歓談では、それよりも安心感や落ち着き、自分らしさ、といったアイデンティティのコアの部分がなんとなくホッコリするような気がする。こういう得も言われぬ「充足」感を、「心の充電」と命名するなら、まさに昨日一昨日と「フル充電」出来たのではないか。

そうやって充電を終え、今日は午前中ゆっくり休んだ後、研究室で仕事をしている。すると書きあぐねていた〆切原稿もポツポツと切り出し始めることが出来、また思わぬ方から大役のお仕事の依頼も舞い込む。うむ、悪くない一日。明日も一日研究室でお仕事をすることにして、さて、奥様を迎えにいくとするか。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。