“ごとび”モード

 

「今日はごとびやから忙しい」

昔父親に初めてそう聞かされた時、ごとびが何を指すのかわからなかった。
五と十の日を縮めて五(ご)・十(と)・日(び)である。手形決済や納入などの締め切り日が、5と10のつく日が多く、そのためこの日は営業車や商品を運ぶトラックで、街中はごった返す。京都に住んでいた時も、いつもより二割り増しで混んでいるな、と思ったら、案の定ごとびだった。ラジオの交通情報でも「今日はごとびですので・・・」というくらいだから、関西では世間一般に広まった言葉だったのだろう。ちなみにネットで引いてみると、関東でも「ごとおび」と言うそうな。

そう、今日三十日は、ごとびである。で、しかも月末。京都市内なら大渋滞の日。銀行のATMも大混雑する日。大学生の頃は、「何でわざわざ月末の特定の日が混むんだ?分散した方がいいじゃないか」と思っていた。でも、実際に仕事をし始めると、やっぱりどこかで区切りが必要で、その区切りとして「月末」というのは設定されやすい。しかも金曜日だし。そう、でご多分にもれず、僕もこの三十日が一つの山場だったのだ。

五月くらいから、何だか色々な依頼が舞い込みはじめる。あるNPOのニュースの原稿だとか、地元の障害者ネットワークの学習会の講師だとか、福祉施設職員の研修会講師とか・・・。基本的に断る理由がなければ「はいはい」と気楽に受けているうちに、ふと気づいた。「何だか6月末から7月中頃が結構忙しそうだけれど、ちゃんと把握していない可能性が高いぞ!」と。で、手帳情報を元に、パソコンに〆切と内容の一覧表を作る。すると学習会のレジュメも、発表用のパワポも、原稿も、なんだかその多くが6月末までに、なんて答えていたのだ。それに元々書き進めていた論文も、夏休み前になんとかケリをつけたい。そう思うと、げげっ、時間がないぞ、と気づいたのが6月10日。以来、週末も平日も、コリコリゴリゴリ、空いている時間は片っ端からいろんなものを片づけるべく、猛然と取り組んでいた。で、今日三十日は学習会の講師をした後大阪に出張なので、月末〆切のレジュメの自分の中での〆切日だった昨日、ようやっと一山終えたのである。時刻は午後九時。

やったぁ、とテニス帰りの奥さまに大学まで迎えに来て頂いて、帰りコンビニで勝沼醸造の旨い白ワインと黒ビールを買って帰る。今日はふんだんに飲むぞ、と思っていたら、とある編集の方からお電話。話しを聞いているうちに、「こんなことがあるよ」なんてアイデアが浮かび、ならそれも入れて紙面にしよう、とご提案いただく。で、酔った勢いで12時近くまでパソコンに向かって原稿を書く私。なんぼなんでも、ちょっとエネルギー切れ、でございます。何だか意識がとぎれ、日付が変わるころには朦朧として、おやすみなさい。今朝、読み返してみると、アウトラインはそれでも書いているんだから、よっぽどこのごとびモードはオン状態だったんだろうね。

とはいえ、来週の月曜日にも、もう一山大変な仕事があり、来週末までごとびモードが続く日々。なんだか暑くなって身体もだるいし、体調管理だけはしないと、大変そうであります。六月は、そういう意味で、よう働いたなぁ・・・。

接ぎ穂の仕方

 

ある制度なりシステムなりについて、その起源にまでさかのぼって否定すると、現在その制度やシステムにのっかっている人にとっては、自身の現在やアイデンティティそのものを否定されているようで、なかなか受け容れがたい。「○○はダメだ(オカシイ・・・)」と言ったところで、そのダメでオカシイと言われたシステムの内部で動いている人にとっては、ダメなのはシステムや制度だけでなく、それに従う自分自身も「ダメ」「オカシイ」と言われているような気がするからだ。

そう言われても、現存するシステムなり制度には、設立の要件があり、歴史的経緯があり、それなりの事情があって、現存する。それが、今の自身のスタンスから見てみると、決して喜ばしくなくとも、あるいは批判したくなっても、そうは言っても、様々な要因が重なって、それ以外の有り様が選ばれず、その要因が「選ばれた」上に、現存しているのだ。

その時、現存するシステム批判をすることは、批判する側の意図になくとも、結果としてそのシステムにのっかっている人々自体への批判へと繋がる、ということを忘れてはならない。そして、いったん「批判された」という気持ちを持った人は、簡単には「批判者」と認識した相手のコメントなり提言なりを受け容れるものではない。「私の意見(歴史、努力・・・)が否定された」と思った場合、否定された相手の意見は人間なかなか聞きにくいものなのだ。

じゃあどうしたらいいのか。最近実践してみて「使える」のは、とりあえず「これまで」の歴史的判断を留保することだ。「今までは、それなりの理由があって、この現状になっている」という、現状認識を持つこと。その上で、「今までは仕方ないとして、これからどうするか、その接ぎ穂の仕方が大切だ」と提言すること。具体的に言えば、「過去に遡っての批判なり総括なりはしない。でも、何らかの問題がある現状ならば、これからの戦略に関しては、反省に基づいて、今できうる可能性や、他の選択肢を積極的に探すべきだ」ということだ。これは、意外と多くの局面で「使える」発想である。そして、そういう議論の仕方だと、自分の対極的な立場に一見いると思える人とでも、議論が出来る。今後のあるべきソリューションについて、同じ立場から模索できる。

こういう「接ぎ穂の仕方」がわかってきたあたり、そろそろ僕も青二才から少しは大人になり始めたのかも知れない。

直前ですが・・・

 

今日・明日と、次のシンポジウムに出かけて来ます。
現場の当事者・支援者発、のオモロイシンポジウムになりそうで、すごく楽しみです。
もしも時間とお暇がある方は、ぜひ!

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「山梨発・これからの地域福祉を語るフォーラム」
趣旨 ; 自立支援法が施行されるなか、障害福祉は新しい時代の幕を開けようとしています。今思っている事、感じている事などこれからの地域生活を考えていく中で、大切にしていきたいことを皆で語りませんか。あの人もこの人も大勢の方の参加をお待ちしています。

主催  山梨の地域生活を考える会  共催  全国地域生活支援ネットワーク
後援  山梨県・山梨県知的障害者支援協会・山梨日日新聞社・山梨県聴覚障害者協会・他

開催日・会場
2006
624日(土)25日(日)  山梨県立文学館
            (山梨県甲府市貢川1丁目5-35) TEL055-235-8080

一日目
・基調講演「これからの障害福祉を目指すもの」 高原 伸幸氏(厚生労働省専門官)

・講演「自立支援法から見えてくる地域生活とは」 戸枝 陽基氏(全国地域生活支援ネットワーク)
・「走りながら考えたこの時代の進め方」 進行 山西 孝氏(白樺園) 
 ゲスト 城野 仁志氏(山梨県障害福祉課課長補佐) 今井 志朗氏((有)なごみ代表)
     戸枝 陽基氏(全国地域生活支援ネットワーク) 小泉 晃彦氏(支援センター春の陽)
 
二日目
・当事者によるシンポジウム「今感じていること、伝えていきたい事」
  コーディネーター 竹端 寛氏(山梨学院大学)
  シンポジスト   工藤 忠誠氏 橋場みちこ氏 吉岡 亮氏 大柴 洋子氏
  助言者      北野 誠一氏(東洋大学教授) 

・まとめのシンポジウム「今大事にしていきたいこと」 ~課題と今後の方向性について~
      コーディネーター 田中 正博氏(国立のぞみの園)
      シンポジスト   戸枝 陽基氏 加瀬 進氏 高原 伸幸氏 北野 誠一氏 今井 志朗氏

・山梨発 宣言  これからの地域生活に向けてー 山梨の地域生活を考える会

ひ、ひさしぶりに・・・

 

朝から頭が痛い。二日酔いだ、間違いない。

実はここ数年、日本酒をたくさん飲むか、ワインの後にウイスキーを飲む等のチャンポンをするか、以外では二日酔いはなかった。日本酒の味は好きなのだが、体質的に強くないらしく、コップ3杯くらい飲むと、日本酒では出来上がってしまう。一方、ワインは体質に合うのか、妻と二人で飲み始めたら大体一本はあける。昨日もビールをコップ1杯ずつ飲んだ後、いつもの酒屋で買った赤ワインを空けていた。

昨日はM先生のご実家で作られた、ぷりっぷりのエンドウ豆を頂いたので、豚肉・タマネギ・マイタケと炒めて、黒酢とごま油をかけ、最後にあんかけにして頂いた。絶品の美味。こういう季節ものは大変美味しい。感謝感謝、である。そう、この炒め物と、スペイン産のテンプラニーニョ種の赤ワインが合うこと、あうこと。甲府は既に毎日が真夏日なので、常温で保存しておくとワインが吹き出してしまう。よって今月から赤ワインは冷蔵庫の野菜室に鎮座されているのだが、きりっと冷えた赤ワインも、特にフルボディの場合、それはそれで夏には美味しい。そしてスルスルっと一本飲んで、最後にオリが溜まっているのはご愛敬、と思っていた。それが・・・。

そう、ウコンが切れていたのだ。

数年前、某大学翻訳センターの頭文字をとった会社のウコンに出逢って、お酒の後にウコンを飲むようになって、二日酔いがピッタリなくなった。ちょうどその時を同じくして、今「お取り寄せ」している兵庫の酒屋の店長とも出逢った。そんな出会いが重なって、ワインの味を知るようになり、タケバタのアルコール道は一歩、奥地へ入り込み始めたのだった。ウコンがないだけで、こんなにしんどいとは・・・。不在の在、なくなってみて再び思い出す、ウコンのありがたさ、である。

なので、朝一番で研究室で濃いめのコーヒーをたっぷり作り、マグカップでグビッと飲み干す。これで少し霧が晴れ、今日の1限は1年の陸上部員達が、パワーポイントでプレゼンテーション対抗戦をしたので、それの司会役。今の学生さんのメディアリテラシーは相当なもので、ちゃんと1年でもパワポを見事に使いこなす。ご立派。そんな皆さんの発表のお膳立てをしている内に、汗もドバッとかいて、ようやくアルコールが抜けていく。そんな訳で、少し頭がクリアになった木曜午前であった。さて、溜まっている仕事を片づけなくちゃ。

精神医療の「機能的合理化」

 

「機能集団は、基礎集団がかつて受け持っていた諸機能をつぎつぎに奪いとり、基礎集団の衰退と入れ替わって、発展してきた。基礎集団が機能縮小と構造的分解に向かってきたのは、機能集団のこのような発展によって、その存在意義が消滅してきたからである。したがって当然、家族機能集団は、機能的必要があってつくられたものであるから、目的の達成のために合理的であることが求められ、、そうでないものは淘汰されて消滅していく。すなわち、機能集団の変動の方向性は、機能的合理化である。分業化とヒエラルヒー化のすすんだ機能集団は、組織と呼ばれる。企業と官庁は、組織を代表している。」(富永健一「社会学講義」中公新書、p33)

家族・親族・氏族といった基礎集団と、機能集団の関係を論じたこの文章を読んでいて、ふと頭をよぎった。「そういえば、精神病院って機能集団だよなぁ。」と。

病気の発生過程で、精神障害の方々の少なからぬ数が、家族とのいざこざを経験している。また、いったん「精神病」とラベリングされた後は、家族・親族の恥になるから、と厄介払いされるケースも少なくない。つまり、「基礎集団が機能縮小」するのではなく、基礎集団から構造的排除を受けた人々の「社会的受け皿」として、精神病院は歴史的に機能してきた。そこでは、基礎集団の機能を引き継ぐために、「基礎集団がかつて受け持っていた諸機能」を引き継ぐことも要請された。院長を家父長になぞらえ、看護師を母親役、そして入居者同士が「兄弟」という形での病院・病棟運営がなされる所も少なくなかった。今でも、医師や看護スタッフの中で、このような気持ちを持っている人々も少なくない。そこで、「父親」が語源の「パターナリズム」が支配するのも、歴史的文脈に基づけば、ある種の必然性を帯びたことであった。

だが、「家族機能集団は、機能的必要があってつくられたものであるから、目的の達成のために合理的であることが求められ、、そうでないものは淘汰されて消滅していく」ものである。そこで、精神病院の「目的」に目を転じると、1960年代から70年代までの「目的」には「終の棲家」という部分が、大きな割合を占めていたはずだ。だが、80年代以後、患者・障害者の権利が大切にされるようになり、「完全参加と平等」が障害者政策でも謳われるようになる90年代以後、精神病院が「終の棲家」という発想は、どんどん後退していく。今年の医療制度改革で療養病床が介護施設への転換を迫られたことが象徴しているように、「病院」という形態で、「社会的入院」(=終の棲家)機能を担うことは、「淘汰され消滅していく」段階へと差し掛かってきたのだ。

すると、精神病院という「機能」に今何が求められているのか、が大きな争点になる。90年代後半から、精神医療の世界で「機能分化」の議論が盛んにされてきたのも、これまで精神病院に託されてきた多すぎる「機能」のなかで、「機能的必要」があるものと薄いもの、ないもの、あるいは時代的に要請されない「機能」を整理し、統廃合しよう、という動きである。

「機能集団の変動の方向性は、機能的合理化である」ならば、精神病院はあまりに「機能的合理化」の対極にあった。社会の要請、政府の無策、家族や市民の無理解・・・などの結果、社会から阻害されてきた精神障害者にとって、かつて精神病院は、治療共同体であり、リハビリの場であり、アジールであり、終の棲家であり、全てだった。だが、福祉施策がちょぼちょぼとはいえ、ようやく精神障害者の分野でも予算がつき始めて20年近く。そろそろ、グループホームや作業所、生活支援センターなど、地域で、精神病院が担っていた機能を、より「目的合理的」に果たす場所ができはじめている。そういう意味では、そろそろ精神病院にも「機能的合理化」が本気で求められる局面に入っている、と言えるのではないか。

ところで、ここまで使ってきた「精神病院」という用語は、政府の公式用語としても、「精神科病院」と変わることがきまった。ニュースでは次のように報じている。

「精神病院という名称は、治療施設ではなく収容施設のイメージが強く患者の自発的な受診を妨げており、実際にも病院や関係団体が神経科病院を使用しているなどとして、自民党の西島英利参院議員を中心に立法作業を進めた。」

精神科病院と名前を改めるなら、その内容を「収容施設」ではなく、「治療施設」と改める必要がある。その際大切なのは、今の精神病院が「治療施設」として担うべき以上の「機能」を持ち続けてはいないか、という検討だ。「機能的合理化」の進んでいない精神科病院では、「収容施設のイメージ」は払拭しきれない。今度の自立支援法の中では、精神病院の病棟を福祉施設に転換した「退院支援施設」という構想が出ているが、これに私が基本的に与しないのも、この「機能的合理化」の観点からだ。ちょっと改装して、看板を付け替えたところで、精神病院内部に「収容施設」が残っていれば、それはいつまで経っても、精神病院の「イメージ」を引きずったままである。本気で治療施設として「機能合理化」したいのであれば、「収容施設」的側面を、自分たちで守り続けるのではなく、都道府県や市町村や福祉側に託す、という英断をこそ、考えるべきだ。

「私たちはそう主張してきたけれど、自治体は全然動かない」「反対運動がある」という反論も聞こえてきそうだが、だからといって自分たちで「機能」を温存していたら、いつまでたっても機能分化は進まない。もっといえば、これまで病院経営者に「治療」だけでなく、福祉や住宅政策までも押しつけてきた行政こそ、襟を正さなければならない。自立支援法では、「居住サポート事業」などの、保証人のない人の住宅支援政策も市町村が出来ることになっている。また、公営住宅の障害者優先枠も、全国で増えている。そして、精神病院の中でも、お隣の長野県では、病床削減の過程で一気に88人を「操作的退院」させた病院すらある。

精神科病院は、今後もっと「治療」における専門性と質を高めてほしい。出来るなら、ACTのような形で、地域でのサテライト診療や訪問看護、などを充実させて「入院の最小化」の実践を日本でも展開してほしい。そのためにも、慢性期で、精神病院を「終の棲家」として利用している患者さんを、行政とも連携して、地域に住まいの場所を確保して、意図的・操作的に退院させていく、そういう「機能合理化」が「精神科病院」に求められているのではないか。

内側からの視点

 

「発達の大原則によれば、『力を身につける』ということは、『その力を使って生きる』ということと表裏一体の関係にあるはずです。ところがその間に、おとなの視点の張りついた『将来』ということばが入り込むとき、力を身につけ伸ばすことが、生きることから離れて自己目的と化します。発達することが目的になり、あるいは課題になり、それを達成するために親や教師が邁進し、やがて子どもたちも、この外側からの視点に身を添わせることを覚えていきます。」(浜田寿美男「『私』をめぐる冒険」洋泉社新書、p60)

「その力を使って生きる」という、発達する側の視点に立って必要なものと、「将来」という、発達を見守る側(保護者、専門家・・・)の論理の相違。この、普段ならなかなか見えにくい「裂け目」を浜田氏はわかりやすく表してくれている。そう、「将来」という、子ども自身ではなく、大人の側の要請やら、自己都合やら、自己目的によって、子どもの「今」のアクチュアルな知識や想いや発想を拘束してしまうこと、この中から、子ども自身の中での喜びやら面白さ、知を愛するエロス、といった「内側からの視点」が剥ぎ取られ、外側からの、つまり「大人が良いと判断するであろう視点」に「同化」する(=身を添わせる)ことになってしまうのだ。そして、同化しきると、晴れて「つまらない大人もどきの子ども」の一丁上がり、となる。

こういう大人になりたい、と子どもが自ら願う場合、それは子どもがあるロールモデルに憧れ、自分でそこに近づこう、という軌跡であり、それについて特に否定するつもりはない。ただ問題は、「子どもはこうすべきである」と、当の子どもではない、大人が価値判断する時の事である。子ども自身が、その価値判断を出来ぬ場合、大人は適切にアドバイスやサジェッションをすべきであろう。しかし、それはあくまで子どもが、自分自身の『力を使って生きる』ことをしやすくするための、補助線的な支援にすぎない。あくまで、「力を身につける」のは、大人ではなくて、子ども自身だ。その時に、本来ならその子どもの心の動きにこそ、大人の側が「同化」すべきなのに、大人が子どもより一歩前に出ている、と勘違いして、子どもに教化育成指導する。この図式そのものが、間違っていた場合、どうするのだろうか?

世間的な「将来」やら「成功」に拘泥することなく、自身が本音と建て前で引き裂かれることなく、その人が「その力を使って生きる」ことが出来るような支援とは何か。浜田氏の文章を読みながら、考えはあちこちに巡っていく。

投稿者 bata : 22:49 | コメント (0)

20060611

「生きざま」を支えるとは?

仕事帰りでグタグタになっていた午後7時、教育テレビに釘付けになった。
「トップランナー」という番組でシンガーソングライターのアンジェラ・アキが出てきたのだ。もともと彼女の歌は魅力的だなぁ、と思っていたが、彼女のヒストリーを聞いた後で、彼女の歌を聴くと、その重み、というかエネルギーの強さに圧倒され、心にグッと来ている自分がいた。番組が終わった直後に、14日発売のニューアルバムをアマゾンで予約している自分がいた。

こうかくと、番組構成のうまさ、や、まんまとマスコミやレコード会社の策略に乗ってしまった、と言われるかもしれない。別にそういう批判は言わせておけばいい。本当に、彼女の「物語」に、揺さぶられたのだ。ハーフとして日本の片田舎で生まれ育ち、アメリカで音楽活動を夢見て苦労してきた、という苦労物語に「だけ」心揺さぶられたのではない。もちろん、そういう話の流れに心を打たれたのは事実だ。でも、それだけでなく、関西的な笑いに混ぜながら、の彼女の「生きざま」というか、彼女が経てきた「生きられた経験」(=「生きざま」=「物語」)に、強く心打たれたのだ。そして、改めてアンジェラ・アキの弾き語りを聴きながら、その「生きられた経験」なり「生きざま」なり「物語」の凄みがビンビン自分の心の中に入ってきて、魂揺さぶられる想いをしたのである。

そして、彼女に揺さぶられた魂が、僕自身に問い直していた。そういえば、なんだかこの「生きざま」や「物語」について、どっかで引っかかっている話があるよなぁ、って。そう、あの話である。

「こういう地域の話を聞くなんて久しぶりで新鮮でした」

先日とある場で、ある入所施設の若手職員がぽつりともらした言葉が、引っかかっていた。
なぜ、入所施設の職員は「地域」の話を聞く「場」や「チャンス」がないのだろう、と。

単純に考えれば、施設の中で入居者の生活支援をするだけで日々手一杯であれば、なかなかそれ以外の事が耳に入ってこない、という「解答案」が浮かぶ。でも、本当にそうなのだろうか?

ナラティブ・ケアという考え方が介護の現場でもだいぶされるようになってきた。
ナラティブ、つまり「語り」をケアの中に持ち込もう、という考え方だ。
なんだかこういうと小難しそうだが、実は全然難しくない。支援をする「わたし」が、支援される「あなた」の性格や興味関心だけでなく、これまでどういう家庭環境で育ち、どんな人生を積み重ね、今「わたし」の目の前にいるのか、という「生きざま」を理解しようと、支援をしながら相手の中に入っていくことである。それは、興味本位の根掘り葉掘りの質問責めという形態ではない。入り口は時としてそういう場合もあるかもしれないが、そうして出会った「あなた」の「いきざま」という「物語」を受け容れた上で、支援する「私」と支援される「あなた」が、今ここにいるひとときを、「生きざま」の延長線上としての「物語」の一ページを、一緒に構築していこう、という視点で支援やケアをしていくことである。

つまり、これは入所施設であれ、地域の拠点であれ、スウェーデンであれ、京都であれ、山梨であれ、本来どのような場所であっても、「あなた」の「生きざま」に着目しようとする「わたし」がいれば、そこで物語は始まる。逆に言えば、どんなに福祉先進国であっても、どれほど立派な建物の中であっても、「わたし」が「あなた」の「物語」を重視しない限り、そこには「ナラティブ・ケア」なるものは立ち現れない。

入所施設で、日常生活動作に支援が必要であったり、コミュニケーションに障害があったり、あるいは意識障害や知的障害がありながら暮らしている人々。彼ら彼女らにだって、僕や読者の皆さんと同じように、それまでの「生きざま」がある。糖尿病とカテゴライズされた人に性格的な一致点を見いだすことなど馬鹿げたことであるのと同じで、○○障害とカテゴライズされた人も、多様な「生きざま」がある。その一人一人の「あなた」の「生きざま」に「わたし」が着目していれば、そこが施設であれ地域であれ、その方の想いや願いに触れる機会が生まれてくる。「地域」で語られる当事者の想いや願いは、「地域」に出ていかなくっても、その方の「生きざま」に触れれば、どの現場であれ、自ずと出てくる「物語」であるはずだ。

ここまで考えた時、もしかしたら残念ながら件の入所施設の若手職員の方々は、一人一人の当事者の「いきざま」に触れる「わたし」の部分が奪われているのかもしれない、とふと感じた。ノルマとして、業務として、その場では一生懸命に関わる介護者○○、という存在は確かにある。でも、その介護者○○をこえた、介護される「あなた」の琴線に直接触れる「わたし」という存在をだしていては、人手不足ゆえに仕事がまわらないのかもしれない。あるいは、「あなた」の「生きざま」に触れてしまうと、単なる介護者を超えてその人と関わることになるかもしれず、「わたし」の身が持たないから、そこでは「わたし」の気配を消しているのかもしれない。

何にせよ、例えばそういう「わたし」のないケア、「あなた」の「生きざま」に触れないケアをしている人がいるとして、それは楽しいのだろうか? やりがいのある仕事なのだろうか?

だから、介護者は休みなく働け、と言っているのではない。そういう「物語」に触れるチャンスが介護者に万が一ない状況にあるとしたら、その状況を「当たり前」としている事自身がおかしいのではないだろうか? ケアの原点は何か、なんて大きな問題を今ここでスパッと語れるような経験も概念も僕は持ち合わせていない。でも、ケアの現場で、その人の「いきざま」に着目しなくても給料がもらえて、「モノを言わない人、反論しない人は適当にケアをしていればよい」という考えでケアしている人がもしかしているとしたら、それは本当にケアと言えるのであろうか?

ここまで考えると、ケア論とシステム論の接点を考えてしまう。「あなた」の「生きざま」を共感する「わたし」がいて、そこから「物語」としてのケアが立ち現れる、そんなケアを実践できるようなシステムが、一現場レベル、市町村レベル、あるいは県や国レベルで本当に構築できているか? 自立支援法というシステムは、当事者が支援を受けながら、時には支援者と共に、地域で豊かな「物語」を産み出していくための基盤システムになり得ているのか?

施設と地域の断絶は、施設に住む入所者の「物語」の断絶、「生きざま」の断絶へとつながりかねない。すると、施設を開き、ケアを開き、システムを開くために、僕は何が出来るのだろう・・・。

そんなことを、ふと考えていた夕べであった。

土壇場の悪知恵

 

外ではカエルの大合唱が。我が家は別に田んぼのそばではないのだが、付近はとても静かなので、近所のカエル君達の声も夜になると大音量で聞こえてくる。

それはさておき、昨日手帳を整理していて、トンデモないことを発見。これから7月末にかけて、よく考えたらやたらめったら〆切のある予定が多いのだ。講演レジュメが6つ(山梨で出会った方から次々と芋づる式に頼まれて・・・)、学会発表が1つ(これは来週水曜が〆切・・・)、雑誌の原稿が2つ(だけど1本は8月に延ばしたい・・・)、査読に出そうとおもう原稿はまだ書き上がらないし、来月の頭にはとある所で結構たいへんな講師を引き受けてしまって、その下準備にも相当かかりそうである。ま、まずい・・・。

と、こういうことを、アウトルックに日程を打ち込んでいるいうちに、ようやく気づくのだから、まあおめでたいというか、自己管理が出来てないというか。とにかく締め切り日と内容の一覧表を作って睨めっこ。こういう風に一覧にすると、ギリギリになって、というのも相まって、アイデアが浮かんでくるものである。昨日は仕事の後、奥さまと「ほったらかし温泉」に出かけることになったのだが、行きの車中でも、お風呂で長湯している時も、「あの原稿はこれでごまかそう」「このレジュメはこれとあれの使い回しで」「このネタと以前のこれは編集してあっちに」という悪知恵が次から次へと浮かんでくる。昔からこういう「土壇場の悪知恵」はどんどん沸いてくるタイプなので、今回もありがたくその知恵に預かるところである。もちろん、一つ一つの原稿なりレジュメは、悪知恵に基づきながらも、真剣に真面目に取り組んでおりますので、ご安心くださいませ。

今日は400字9枚で「自立支援法成立に到る歴史的経過と背景、展望」を書くように、と言われたお題に取り組む。30日が〆切なのだが、たったかやっていかないと、他のに手が回らない。いつも講演でしゃべっている30~40枚のパワーポイントの中から、「この6年間の変遷図」と「政府の目指す持続可能な社会保障の方向性」という二つの図を説明していたら、それだけでA4で4枚ほどに。40字×40行だから、400字16枚である。あれまあ、指定の倍くらい書いているよ。この2枚でそれだけなんだから、普段90分の講演で30枚のレジュメを使っていたら、そりゃあ終わらないし、要約筆記や手話通訳の方に怒られるよね。だって、よっぽど早口でなければ進まないもん・・・。すんません。

さて、2倍近く書いてしまって、今日はエネルギー切れ。これをどう短くしようか、少なくとも現時点では思いも寄らないので、月曜日、こっそりそのまま添付ファイルで送ってみよう、と一覧表に早速「終了」の印を付けてみた(どうか突き返されませんように)。そう、サクサク進めないと、溜まっているものが吐き出されないのだ。明日以後も、こうして一覧表との睨めっこの日々を粛々と進めていこう。あああ・・・・

「善意」の軌道修正

 

「たいがいの人間は、自分が悪をなしているという自覚のもとに断固として行動できるほど、強くもなければ自律的でもない。善をなしているという主観のもとにおいてのみ、人間は相手の痛みに対しかぎりなく無感覚的に、無反省的になれるのである。」(小熊英二「単一民族神話の起源」新曜社p142-143)

「善をなしているという主観」というのは、時としてとんでもない方向に動く。障害者福祉の文脈に即して言えば、行政、専門家や家族や第三者が「よかろう」という「善意」を障害当事者に押しつける、というパターナリズム(=父権主義)は、障害者運動をしてきた人々が文字通り「身体を張って」拒否してきた考えである。このパターナリズムは、かわいそうな障害者達を何とかしてあげたい、という慈善や恩恵(=charity)に結びついている。そして、障害当事者がcharityではなく、障害者にもごく当たり前に生きる権利を保障してほしい、とrights-basedの訴えをしてきたのであり、スウェーデンでは40年も前から、障害者にも普通の人と同じような生活を送る権利を保障すべきである、というノーマライゼーションの原理が提唱されてきたのだった。(この点には以前のブログで少し触れたことがある)

だが、2006年でも、パターナリズムに基づく福祉施策がなくなった、とは思えない。例えばつい先日の5月11日には「退院支援施設」なる、精神病院の療養病床の職員配置を換えさえすればそこは「地域の福祉施設だ」という訳のわからない案が、何の前触れもなく、突然「案」として厚生労働省の委員会において出されてきた。僕自身は、地域移行に向けての第一歩は病院内でする必要はなく、ご本人が自分で病院を「終の棲家」に選んだ人以外は、病院から原則的に出て行けるような施策をこそ盛り込むべきだ、と思っている。なので、この「退院支援施設」構想には、反対である。

で、今僕の中で疑問なのは、その是非論だけでなく、なぜこういう施策がやっぱり出てきてしまうか、という点である。なんだか最近感じているのは、これらの施策を実現させるべく動いている人々は、小熊氏の指摘するように、「悪をなしているという自覚のもとに断固として行動」しているとは思えないのだ。そうではなく、「善をなしているという主観」に基づいて、「相手の痛みに対しかぎりなく無感覚的」「無反省的」な政策の実現へと動いているのではないか・・・そんな気がするのだ。私利私欲に走っている、と形での批判をするのは簡単だ。だが、批判される当人が、自分を突き動かす動機が「私利私欲」ではなく、「善意」である、と思っているのならば、この「私利私欲」という批判は、批判される側には「筋違いの批判」と受け止められ、その批判は心には届かない。

僕は面倒くさがりやだし、出来れば無駄なことをはしたくない、と思っている。どうせ何かをするなら、確実に「クリティカルヒット」を狙いたい、というズボラな人間である。何らかのことについて批判をする際も、批判される側に耳を傾けてもらえる内容で話を進め、議論が始まり、結果として当事者の生活の豊かさに結びつくような何かが生まれてきてほしい、と常々思っている。

そうであるとすると、私が「善」であなたは「悪」だ、という論法は、全く得策ではない。相手の「善」を否定したところで、聞く耳を持ってもらえなければ意味はない。それよりは、相手が「善」だと思っている施策が、どういう回路で、どういう歴史的変遷の上に構築されているか、を辿り、どこまでが互いに共有できる「善」で、互いの「善」に対する主観の意見が分かれる分岐点はどこか、を析出する必要がある。そして、その分岐点から、どのように違うポイントを通過して、現時点での相手の「善をなしているという主観」にまでたどり着いたのか、そのポイントの辿り方の何が問題で、どういう所に行き得たのか、今から軌道修正するとしたらどういう方策があり得るのか・・・。こういった「善意の軌道修正」を可能にする道筋をこそ、探さなければならない、と思う。

制度と魂

 

久しぶりにのんびりと終日勉強できた。

昨日もとある先生から「最近更新されていないのでお忙しいのかと・・・」と電話を頂いたが、本当にここしばらくあわただしくて、日々のタスクの「バケツリレー」をしているうちに、あっという間に過ぎ去っていったのである。この「バケツリレー」というルーティーンワークは、当然大切な営みであり、一つ一つは心を込めて行っているのだが、「バケツリレー」のみに終始していると、言いようのない消耗感や焦燥感に覆い尽くされる羽目になる。特に、バケツの中に新しい何かを注げるような機会のないままリレーを続けているとなおさら、である。なので、こうして久しぶりにリレーの日々から離れて、ゆっくり文献を読みながら「新しい発見」が出来るのは、文字通り「至福の瞬間」である。

法学部に所属してラッキーだったのは、僕があまり強くはなかった行政や政治学、法学の書籍に触れる機会が格段に増えたこと。先日、大学の書籍センターで偶然目にとめたある本も、関西にいた時ならば、目にとめるチャンスは訪れなかった可能性が高い。

「ビジネスのためではなく、日常生活のために『制度』を創るとしても、そこでいう『制度』には、法律主導型=トップダウンのもの(全国レベルの大きな制度)と現場創発型=ボトムアップのもの(地域レベルの小さな制度)とがありうる。(中略) こうした小さな制度づくりは、工夫をこらせば誰にでもできる。よりよい生活のために、手作りの小さな『制度』をつくる。実際にも、そうした営みは全国のあちこちで様々な形で行われている。各種の試みを紹介し、法的な観点から、問題点を指摘し、解決の方向を示すことによって、同様の試みをしようという人々をサポートすることが、本書の中心的な目的の一つである(制度作りの実態の提示)。」(大村敦志『生活のための制度を創る』、有斐閣 p14,16)

民法学者が、子育ての問題やNPOなどの「制度化」に向けての問題点や解決策を示そうとした本書は、福祉やNPOを現場から眺めている僕にとっても、「待ってました」の切り口であった。そう、介護保険にしても、障害者福祉の現場にしても、大村氏の言うように「現場創発型=ボトムアップ」の手作りによる「小さな制度」が、「大きな制度」(=立法化)へと繋がったケースは多い。例えばそれまで50人~100人規模の大規模一括処遇が中心だった特別養護老人ホームにおいて、数名規模の「ユニットケア」という発想が各地の現場で実験的に取り組まれ、数名規模の空間の方がそのケアの質が高まることが広まっていき、それが「小規模多機能型」として改正介護保険の中で組み入れられるようになった。こういった現場発のケアの実践は、高齢者・障害者問わず、いまや全国的に情報交換がなされ、よいものは制度として組み込まれている。

とはいえ、昨今の介護保険の改革、あるいは自立支援法にいたる障害者福祉の改革は、こういった良いケア(小さな制度)の実践を「大きな制度」として高めて全国的に展開する、というポジティブな改革の一面があるにせよ、それより先に財源の改革、社会保障費を切りつめるためにどうしたらよいか、に終始する改革の側面が非常に大きい。介護保険の改正にあたり、介護保険の生みの親のお一人も、次のように警鐘を鳴らしておられる。

「注意しなければならないのは、新しいケアの思想や技術は常に現場の経験からしか出てこないという事実である。行政や制度がリードしたり側面支援したりする場合もあろうが、それが常態となるのは好ましくなく、ケアマネジメントは常に現場の経験に開かれたものであるべきなのである。」(堤修三 「介護保険が目指したものと2005年改正」 病院経営2006.1.5 p11)

介護保険法にしろ障害者自立支援法にしろ、「大きな制度」の改変にあたり、それが「現場の経験」という「小さな制度」に「開かれ」、そこに根ざした、耳を傾けた改革となっているかどうか、は大変重要なポイントである。形作れど魂入らず、では全く意味がない。「大きな制度」という「形」に「魂」があるかどうかを問うにあたり、堤氏の次の言葉も、重い意味を持ってくる。

「介護サービスは地域性が強いので、要介護者に対するサービスの在り方を議論する際、往々にして介護保険の問題として議論されることがあるが、要介護者に対して提供されるサービスと、それらの費用のファイナンスとは分けて考えられなければならない。換言すれば、適切な介護サービスは、介護保険制度の動向とは別の次元で常に追求されなければならないということである。介護サービスの事業経営が介護報酬など介護保険の動向に左右されることは確かであるが、サービス事業者には、まず、市場における介護サービスの提供と購入があって、介護保険はそれをファイナンスするものであるということを忘れないでもらいたいのである。(中略)サービス事業者が介護報酬や制度の従属的地位に甘んじ、その動向に左右されるようでは、わが国の介護サービスの向上は望めない。」(同上、p24

堤氏の言うとおり、サービス事業者がファイナンスの有り様(形)にのみ囚われていては、良いサービス(魂)の充実には繋がらない。確かにその通りだ。自立支援法においても、スタートしてから事業者の間で飛び交っているのはもっぱら「この単価でやっていけるか」というファイナンスの議論ばかりで、ヘタをすれば「当事者の地域での自立生活をどう構築していくか」という魂の部分が抜け落ちた議論になりがちである。確かにこの部分には警鐘は鳴らされなければならない。だが一方で、低い単価で低賃金労働を強いられている多くの福祉現場職員にとって、この「正論」は時には過酷に聞こえはしないか。

「わが国では、現在、若者の労働市場において、一ヶ月の総所得が、生活保護費の総月額を下回っているケースがかなり見られる。福祉労働、とりわけ、介護保険や支援費の居宅支援労働はまさにその線上を浮き沈みしているといえる。障害者のミニマムな生活保障に対する国民的合意の足を引っ張る一翼を、もし福祉労働者が担うような羽目になれば、それこそ悲惨である。」
(北野誠一 「『障害者自立支援法』をどう捉えるのか 」 精神保健ミニコミ誌「クレリィエール」No.339
次のHPに転載されている。)

ファイナンスではなく、良いサービスの追求のためにサービス事業者は専心するべきである。そして、その中から現場の良い実践を「小さな制度」として積み重ねて、その積み重ねられた現場の智恵や経験を「大きな制度」の礎にすることが、制度設計役には普段に求められている。だが、現場の事業者からすると、ファイナンスが覚束ない中で、良いサービス追求のためにどこまで「高楊枝」をくくれるか、事業者は一方では「喰わね」ば死んでしまうじゃないか、という悲鳴も聞こえてくる。鶏が先か、卵が先か、の議論になりそうだが、どちらの場合であれ、制度設計側の「予算がないから」の一言で、現場の「小さな制度」の実践も、そして福祉労働者の「高楊枝」をも、蹴飛ばしてしまうようなものであっては、最終的にとばっちりを食らうのは、制度設計側でも福祉労働者でもなく、その議論から往々にしてはずされがちな障害当事者である、という事実を、私たちは忘れてはならない。