出会いの有り難さ

 

「師が弟子にもたらすもっとも重要な教えとは、何よりも、外部が存在することを教えることである。それは『師の現前』というそれ自体『外部的』な経験によって担保される。
師は、なにごとか有用な知見を弟子に教えるのではない。そうではなくて、弟子の『内部』には存在しない知が、『外部』には存在するという知を伝えるのである。『師』とは何よりもまず『知のありかについての知』を弟子に伝える機能なのである。」(内田樹『他者と死者-ラカンによるレヴィナス』海鳥社、p59

そういえば、僕自身、師との出会いはまさに自分自身の「外部的」な経験そのものだったような気がする。自分がそれまで持っていた、これっぽっちの矮小な世界観が吹っ飛んでしまうほど、師の教えは僕自身の「内部」とは全く異なる「外部」世界だった。それは、世界が拡がる経験、というか、「こんな世界があるのだ」と再発見する旅を誘う導師の役割を師が果たしてくださった、というべきか。

自分がまがりなりにも大学でゼミを持つようになり、今さらながら、自分が師事できた複数の師匠の方々の存在を、心より有り難く思う。中には「師事する」ということに、上下関係を見いだして嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。だが、僕自身、自分の大変狭い視野を広げる上で、思いも寄らなかった視点を獲得する上で、10代から20代にかけて出逢えた何人かのかけがえない師に対して、本当に師事できたことを心から感謝している。きっと、自分の今の視点、今の観点、今の物事の捉え方は、そういった師を媒介とした「外部」世界とのアクセスなしには持ち得なかっただろう。

我が師は皆、「『師』とは何よりもまず『知のありかについての知』を弟子に伝える機能」を持っていた。ぼちぼち今度は、僕自身がゼミ生や学生達に対して、このような「伝達機能」を持っているか、が試される時が近づいている。そのためにも、もう一歩、「外部」に歩み出でる必要が僕自身にあるような気がしている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。