運命へのチャレンジ

 

ヘラクレイトスの「運命は性格にあり」という箴言に寄せて、池田晶子氏は次のように書いている。

「これはその人の性格が運命的に決まっているということではありません。その性格が、その性格によってその人をつくっているという、気がついてみると、あっと驚くほど当たり前のことなんです、運命は決してどこからか与えられているのではなくて、その人の性格そのものですね。(中略) 別の言い方をすれば、その人はその人がするようにしかできないということです。これは完全な同語反復ですけれども、でも事態は確かにそうですね。誰も自分のするようにしかできない。そうですよね。だから、まさしくこれが運命というそのことなんです。」(「人生のほんとう」池田晶子著、トランスビュー p140)

人生について考える、という時に、私たちが普通思い浮かべやすい「処世術」とは全く違う形で、「人生のほんとう」を考え続けている池田氏の著作はずっと読み続けて来たが、講演録に基づく今回の作品も、また色々な気づきを与えてくれるものだった。

「タケバタはタケバタがするようにしかできない」。でも、これは裏を返せば「タケバタがするよう」なやり方を変えれば、タケバタの「運命」は変わりうる、ということでもある。性格そのものは変えにくい性質かもしれないが、性格の特質を掴んだ上で、その性格の中の活かせる部分をうまく活かそうと働きかけることによって、「運命」の変化へと繋がっていく、そう読み解くことも出来る。そのために必要なことも、ちゃんと池田氏は書いてくれている。

「キャラクターを生きている人間は、必ずその物語を生きざるを得ないのですが、その巻き込み巻き込まれ関係から、巻き込まれつつそれを見ているという、そういう生き方ですね。つまり、自分の人生を自分が生きているのを、芝居をしているのを見るような感じで生きるのかな。」(同上、p154)

そう、ここで必要なのは、「物語」への「巻き込み巻き込まれ」を「見る」自分の存在だ。
「見る」ことが出来る、からといって、だから人生全てをコントロール出来る、なんて不遜なことは思わない。コントロールしようにも、思いも寄らぬ方向から、知るよしもなかった様々なことが、次々とおそってくる、というのが「世の常」であるからだ。でも「巻き込まれつつそれを見ている」のかどうか、は、人生の様々な結節点への対応として、大きな分かれ目になると思う。

「つまらない物語に巻き込まれて、それを本当だと思い込んでいるよりも、この方がずいぶん面白いと思います。」(同上、p154)

「巻き込まれ」た時に、その「巻き込まれつつ」ある状況をじっくり考えることなく、「それを本当だと思い込」むことの問題性は大きい。「○○だからしかたない」と私たちが他責的修辞で語る時、しばしば私たちは「巻き込まれ」た事象を自明のものとして受け入れている。だが、「巻き込まれつつそれを見ている」自分がいれば、事態は別の方向に進みうる。「巻き込まれつつ」あることは事実であっても、それを「見ている」自分が考えることによって、諦めずに考え続けることによって、「しかたない」と諦念する以外の他のやり方、が見つかるかもしれないからだ。そういう意味では、その昔読んだ内田義彦先生の「運命へのチャレンジ」という言葉は、決して昔物語ではない。「誰も自分のするようにしかできない」ということは、繰り返すが、「自分のするよう」の在り方を変えていけば、「出来ること」も変わっていくのだ。

このことを、現実的問題に当てはめても、そう思う。障害者の分野では、4月に出来た「障害者自立支援法」という一つの「物語」を巡って、諦めや失意など、関係者は様々な気持ちを持っている。昨日、福祉施設で働く介護職の現任者講習の講師を務めてきたのだが、現場の方々からは「いろいろしたくっても、とにかく書類やら雑用やらが多くって、時間がなくって・・・」という言葉も聴く。だが、そういう現状を「言い訳」にしているのも、もしかしたら「自分のするようにしかできない」という意味で、運命への諦念であり、諦めでないか。キツイ言い方をしてしまうと、「つまらない物語に巻き込まれて、それを本当だと思い込んでいる」部分はないか? 本当に時間は全くなくて、本当に新たな時間を作りようがないのか? 

自立支援法がこうだから、制度がこうだから、つまり「○○だからしかたない」と言っているのは、「つまらない物語」を「本当だと思い込んでいる」姿に私には映ってしまう。自立支援法なり、社会保障費の削減なり、そういう現実に「巻き込まれつつそれを見ているという」自分がいれば、そこから考えることが出来れば、この現状の中からでも、次の一手、別の一歩、を歩み出すことは不可能ではない。現に、私がこれまでお逢いした多くの福祉関係者の中で、「この人はオモロイ」と思う人の多くは、現状を「しかたない」とせずに、その現状を変えるために、「巻き込まれつつ」ある自分を冷静に分析した上で、どう様々な組織・機関・人を「巻き込」んでいこうか、を意識的であれ、無意識的であれ、考えている人々だった。このスタンス、つまり「運命へのチャレンジ」をしていこうという姿勢に、現場を変えていく力がある、私はそう感じている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。