一人で開けて入る

 

日曜日は京都駅前のホテルで高校時代の同窓会に出ていた。
何人かの連れとは2,3年に一度は飲んだりするのだが、同窓会自体は10年ぶり。「ひとをつなぐ」というお仕事をしている副委員長のハヤシ君が、ご丁寧にはがきや電話で知らせてくれたので、10年ぶりなのに結構多くの人々の消息がつかめた。ハヤシくんの議員秘書としての有能さも推測出来る。残念ながら当日やってきたのは15人程度だったが、でも大いに盛り上がる。

有能な、と言えば、某鉄道会社で働く旧友タナハシ君にもお世話になりっぱなし。甲府の僕と、東京からやってくるタナハシ君と、久しぶりに車中でじっくりしゃべりたかったので、特急券の手配をお願いしたら、ちょちょいのちょい、と送ってくれる。行きも帰りもお盆で車内は大混雑だったし、夏場は甲府駅の「みどりの窓口」もとんでもなく混んでいるので、こういう電話一本でお願い出来るのは、ありがたい限りだ。静岡からの車中では鰯かまぼこをアテに、早速1次会。京都駅前でハヤシ君とも合流して、同窓会が始まる前に近鉄名店街の飲み屋でプチ2次会。そして同窓会が終わった後、またもや近鉄名店街で3次会とおさかんである。でも、3次会も9時半には閉店で店を追い出されて終了。流れ解散となったのだが、そう言えば、と最近京都に引っ越したナカムラ君の顔を見に自宅まで押しかけ、お酒のない4次会。その後、恩師のお一人TA師と京都駅前に戻って5次会。ふー。ごくろうさま、である。

で、こんなに予定がうまく繋がった日の翌日は、その正反対。1時半の新幹線に乗る前に、とある人とお昼をご一緒できる、かも、という未定の予定であったが、結局電話してもつかまらず。眠い目をこすって朝10時に京都駅に来てみたが、ぱっくり3時間半空いてしまった。あと2人ほどに電話をかけるが、すれ違いでアウト。こういう場合は、じたばたせずに、久しぶりに、と京都駅前のアバンティー・ブックセンターで久しぶりにじっくりゆっくりたむろする。

前々回に「すっかりジュンク堂のお得意様状態になっている」と書いたが、高校時代から京都を離れる前まで、僕の中で本屋といえばアバンティー・ブックセンターであった。実家からチャリで30分弱、バスでも1本でいけるし、京都駅の真ん前。しかも、このアバンティーは大規模書店のはしりでもあったので、中学生の頃から本当にしょっちゅう通った。写真部の友人とワイワイ語らいながらやってきた高校時代、参考書コーナーの前で苦い顔をしていた予備校生時代、哲学書をボンヤリ眺めてため息をうっていた大学生の頃、塾の教え子と一緒に参考書ツアーなんぞ企画した院生時代・・・折に触れ、この本屋の記憶は探せば探すほど、どんどん出てくる。同窓会ついでに郷愁に浸れたひとときであった。

で、収穫は郷愁だけではなかった。じっくりアテもなくふらついたので、収穫も多かった。で、お盆ラッシュで大混雑の帰りの車中では、軽めの本を数冊鞄に忍ばせる。昨日読んだ本は、実にあたりだった。1冊が「北の街にて-ある歴史家の原点」(阿部謹也著、洋泉社) 阿部先生といえば「ハーメルンの笛吹男」で有名な歴史家だが、ことあるごとにご自身の学問のスタイルについても語っておられる。そういえば「苦い顔をしていた予備校生時代」に、別冊宝島「学問の仕事場」で阿部先生を初めて知った際、阿部先生が恩師から、「それをやらなければ生きてゆけないテーマを探せ」といわれた、という逸話が胸に突き刺さったことを思い出す。だいたい行きたい学部自体があまり決まっていなかった僕にとって、一生かけるテーマが大学で見つかるのだろうか、とため息まじりに、でも羨望の眼差しで、彼の文章を何度も読み返している自分がいた。そう言えばこの本には網野善彦、白川静、廣松渉といった錚々たる「第一人者」の学問へのスタンスや方法論も載っていて、大学への憧れと、当時の自分の「勉強したくない」という現実への絶望の、両方を抱かせてくれた本だったような気がする。

懐古調になるとどうも話しがそれるので、本題に。
そう、阿部先生の初めての勤務校での小樽商科大時代からドイツ留学、そして再び小樽で頭角を現される間での逸話を縦糸に、阿部先生の恩師との手紙のやり取りを横糸に置いたこの本は、扇情的な書き方とは対極の静かな語り口だが、その核心は文字通りラディカルであり、静かな熱さを感じる事が出来る。

「ある学者が著書を出したときのことである。その人は自分の学問の方法について後書きで語り、後進に対して『一人で開けて入れ』という言葉を付記した。ところがこの著者が歴史学界で注目されたとき、人々が一人で開けて入れと言うのは独善的で良くないといい、学問は皆で営むものであって、共に開けて入ろうという姿勢でなければならないといったのである。それに対してこの学者がそれを認め、自己反省をしている文章を読んだことがあった。私はこれはたまらないという感じで、このようなことをいう人々の気持ちが理解出来なかった。(中略)自分の内面に深く降りていって何故自分がこのような課題に関わらなければならないのかを考えることから出発しない学問は私には無縁であった。」(同上、p234)

「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」と巡り会い、そのわずかなきっかけから光が見え始めるまでの10数年以上もの間、ずっと「一人で開けて入」り、奥深くまで単独で掘り続けてきた著者にとって、その営みが「独善的」といわれるのは、全く思いもよらず、信じられないことであった。このくだりは決して僕にとっても他人事ではない。自分が選んだテーマが、実は僕自身の深い内面的関心とリンクし、「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」であると気がつくまでに長く時間がかかったし、そのテーマは世間では「マイナー」と見なされ、深い部分まで議論出来る相手は、大学内では指導教官を除いてほとんどいなかった。僕の場合は「共に開けて入ろうという」仲間が誰もいなかったので、仕方なしに「一人で開けて入」らざるをえなかった、というのが本音だろうか。でも、一人で深く入り込んでいったおかげで、どうもこの分野で従来論文として書かれていることが「何だか変」なのもよくわかったし、先行研究より、むしろ現場の声の方が面白い、ということも体当たりの中で気づいていった。結果論としては、大変よかった、ということになる。

で、体当たりの経験、といえば、実は阿部先生の本を読み終えた後に手に取ったもう一冊の本をご紹介したいのだが、そろそろ家事の時間なので続きはまた明日。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。