どのような「管理」と「責任」?

 

イエテボリのホテルで朝日新聞のインターネット版をみていたら、次の記事が目にとまった。

「精神障害者の公営住宅単身入居進まず 審査に手間取る」

読んでいて、次の箇所がすごく気になった。

「基準の見直しにあたって同省は、公営住宅を管理する自治体などに対し、隣人とのトラブルや病状悪化の際に、常時連絡できる支援組織や医療機関があるかどうかを事前に確認するよう求めた。支援組織は自治体が社会福祉法人やNPOに委託して整備することを想定している。しかし、全国的にまだ十分に整っていない。
公営住宅を管理する自治体も、手探りの状態が続く。都が3月に抽選をした単身者向けの都営住宅には、約300室の枠に、精神障害者4人が当選した。うち3人に審査の『合格通知』を出したのは8月。残る1人は今も審査が続いている。」

地域で公営住宅に住めるかどうかに審査があり、「合格」かどうかが判定される、これを日本で読んでいたら「変だよねぇ」くらいの感想しかあるいは持たなかったかもしれない。でも、日本を離れてこの記事を読むと、めちゃくちゃおかしく感じるのである。ふつうの公営住宅の抽選にプラスαとして、障害者だけ、特別な審査がなされる。ふつうの人が暮らす際には、公営住宅の抽選のほかに、「隣人とのトラブルや病状悪化」が考慮に入れられることが果たしてあるだろうか? もちろん、障害を持つ人にとって、「常時連絡できる支援組織や医療機関がある」ことは、支援が必要な際に受けられる、という意味では大変意味がある。しかし、それがあるかどうか、というのと、住宅に住めるかどうか、というのは、本来全く別軸であるべきだ。もっというならば、公営住宅の抽選にあたった後、その人が地域で支援を受けられる体制になっていないなら、スムーズに住めるようにそこから体制を組むべきであって、決してその体制が整っていない人は抽選にあたっても住めない、という理屈はおかしい。障害者だけを特別視することであり、これは明らかな障害者に対する差別的取り扱い、ではないだろうか。

ただ、我が国においては、障害者の「権利」に対する考え方は、よその国とは事情が違うようだ。例えばスウェーデンでは、障害者に関する権利法であるLSSの中で、その対象となる障害者に自治体は住宅提供の義務があることを定めている。この住宅提供に際して、何らかの支援があるかどうかを「審査」する、場合によっては「不合格通知」を出せる、という条項は、LSSの中にはない。ある支援が前提にないと公営住宅に住めない、という理屈は、少なくともスウェーデンにはないのだ。だから、スウェーデンを見習うべきだ、とか、日本が駄目だ、と断言する気はない。日本とスウェーデンは文化も言語もシステムも違う。単純に翻訳なりコピーなりまねをすればいいってもんではない。ただ、よその国にないこのような条項を、なぜ日本ではつけているのか、その背景には何があるのか、については、考慮の対象にされてもよい、というか、ちゃんと考えられるべきであると思うのだ。

で、2週間近く日本を離れて実感するのが、日本の、特に障害者福祉の分野が、すごく「管理」と「責任」を重んじる、というバックボーンである。例えばこの障害者だけ、公営住宅の提供の際に+αの審査があるのも、「何かあったら大変だから」という「管理」と「責任」の発想を自治体が持っているから、こういう手段に出ている。ただこの際、「管理」と「責任」が駄目な概念である、と言う気もない。行政が、障害者支援に何らかの「責任」を持とうとしているのなら、それには一理ある。ただ、ここで気にかかるのは、ただ単に既に何かあった時に自分たちが「管理」しなくても支援という名の「管理」ネットワークに入っているかどうか、を審査することだけが、行政の「責任」では決してない。本人が「管理」出来るようなセルフアドボカシー支援や、支援者が必要な時に本人に支援できるような体制がないなら新たに作り出す、という「管理」環境の構築だって、行政の「責任」の取り方の一つである。安易に、本人が「管理」出来ない、と障害者にラベリングして、本人以外の「管理」(=支援)組織がないなら公営住宅に住んではならない、というのは、行政の「責任」放棄ではないか、そう感じるのである。

何度も書くが、スウェーデンなりオランダなり、よその国はよその国で独自に辿った道がある。日本は、そうではない道を辿っているのかもしれない。でも、よその国から、自分たちが辿るべき道に関する何らかの「別のありよう」のヒントは得られるはずだし、このヒントを元に、自分の国の今のありようが、「ほかに選択肢はないのか」という考察の下に置かれることは、今のような制度の大変革期には大きく求められていることである。明日には日本に向けて戻るのだが、今改めて「他人のふり見て我がふり直せ」のことわざの大切さを、かみしめていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。