我が身で試す

 

この時期、ザクロやレモン、柿など様々な実がなっている。
今朝ぶらぶら早朝散歩をしていて、そんな秋の便りにようやく気がついた。

夜ご飯が遅くなりすぎてはダメなので、夜まで研究室で仕事をしていると、その後ジムに寄って帰る、というルートがとれない。しかも帰って、一風呂浴びて、ご飯を作り始めて夕食が9時10時、となると、晩酌が終わる頃には、すっかりおねむの時刻。夜ご飯を食べてすぐに寝るのが最悪、と分かっていながらも、やはりそういうスケジュールになりがち。で、何度も書いているが、ウエストははち切れそうな危険水域・・・。挙げ句の果てに、食後にゆっくりものを考えたりする前に寝てしまうので、いろいろじっくり考える時間もない。ちょうど一月前、スウェーデンやオランダではのんびり考える間があったのに、日本に帰ったら、なんだか様々な現実的仕事に没入して、まともに先のことを考える余裕もない。

・・・とすると、残っているのは、まさに朝だけ。ということで、6時からてくてく歩きながら、ぶらぶらものを考えていたのだ。確かに朝の1時間、今日はとびきりの秋晴れの日だったので、本当に散歩日和。僕の家から徒歩5分くらいで、甲府盆地が一望に出来る山の麓にたどり着く頃には、気持ちもしゃんとしてきて、美しい光景に気分も和んでくる。そういう中で、石榴に檸檬、柿のたわわな実をあちこちのお宅の庭先に垣間見ながら、とぼとぼ歩き進めていったのだ。で、気分がほぐれてくるなかで、ルンルンと気持ちよく、考えていた話題は実に単純。

自分は、どうすれば変わることが出来るのだろう。

支援者のエンパワメント論を考えていて、どうすれば支援者が変革できるのか、を考えている僕自身、自己変革が出来ているか、を最近すごく意識し始めた。ここしばらくはまっている金井壽宏氏の「仕事で「『一皮むける』」(光文社新書)を読んでいて、その気持ちが強くなり始めた。そう、ビジネスの世界でも、個人で「一皮むける」体験を持つミドルやトップだからこそ、組織変革にまでつなげていけているのだ。福祉の世界だって、専門家主導型から、当事者主導型へ、のパラダイム変換が、支援者個人だけでなく、支援組織、支援システムといったマクロなものにまで求められている現在、こういう自己変革をどう支援できるか、が研究者の大きな課題にもなっている。そしてこの組織変革系の本を読みあさっていて、ふと考えたのだ。そう、他人に変われ、という前に、まず自分が変わらなきゃ、と。

「話をしているとき、ほとんどの人は、理解しようとして聞いているのではなく、答えようとして聞いているのだ。話しているか、話す準備をしているか、二つにひとつである。聞いている話をすべて、自分のパラダイムというフィルターを通して、自分の自叙伝を相手の生活に映し出しているだけである。たとえば、『そうだ、そうだ。気持ちはよく分かるよ』とか、『私も同じ経験をしたんだよ。それはね・・・』といった具合である。このような人々は、常に自分のホームビデオをほかの人の生活に映写している。接するすべての人々に、自分がかけている眼鏡をかけさせようとする。」(「7つの習慣」スティーブン・コヴィー著、キングベアー出版 p354

そう、僕自身、しばしば「理解しようとして聞いているのではなく、答えようとして聞いているのだ」。学生を支援する立場の僕自身が、学生を理解しよう、彼ら彼女らの問題を解決しよう、と思いながらも、実のところ、僕の「自叙伝を相手の生活に映し出しているだけ」だとしたら・・・。僕自身が本人中心主義ではなく、専門家主導を体現していることになる。他人に「本人中心主義」を伝えようとしている本人自体の口調、やり方が「staff oriented」なら、二枚舌であり、大いなる矛盾そのものである。こうやって、支援者変革論を考えていくと、真っ先に自分自身の変革や、自分自身の矛盾に直面する、なんて思ってもいなかった。でも、人に説得力ある論に高めていくためには、まずその論を元に自身が変わることが出来なくては・・・。

そう思って、最近、まずは我が身でビジョン形成系の本を読みあさって学習していたりします。さて、本当にタケバタ自身は変われるのか? それは・・・こうご期待。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。