目が飛び出るほどの

 

一週間のご無沙汰です。
この一週間、目が飛び出んばかりの忙しさに翻弄されていた。

水曜日、エプソンマシンが届く。そう、実家が光フレッツの工事を気に、昔寄贈したウインドウズ98マシンから卒業することとなり、我が家でこれまで働いてくれていたダイナブック君を実家に寄進することになったのだ。で、急ぎニューマシンを購入する。もちろん、金銭的余裕があろうはずもなく、ボーナス一括払い、ってやつである。いやはや、フリーターをしていた頃に比べると、この部分がありがたい。でも、結構データの移行って大変で、結局この1週間、いろんなデータの移し替えで翻弄させられる。これが忙しさのその1。

で、忙しさのその2。先週の火曜日に突如として現れた課題。この1週間で(=つまり明日までに)とある報告書の「中間報告」を出さなければまずくなった、とのこと。青天の霹靂。ひっくり返りそうになりながら、でも、研究班メンバーの中で、この1週間で時間がとれるのは、どう考えても僕だけだ、ということが判明。なので、先週末の連休以来、ずっと調査結果の分析と考察を作る作業に追われていた。一応の締め切りが今日の夕方で、脱稿が午後9時。でも、あさってのプレゼンまでに、Mさん、Hさんにご苦労をおかけすることになる。すんません。でも、15人分のインタビュー分析だけでも、これほど苦労したんです。ほんと、ここ数日は熟眠感もなく、とにかく馬車馬のようにデータの集計に明け暮れていた。ま、なんとか仕上がったので、今は赤ワインを飲んで、ほろよい、である。

忙しさその3。教育と研究。そう、明日は6時起きで河口湖まで出かける。わが二年生のゼミ生が、この一年間、「知的障害者を犯罪から守る」というテーマで一生懸命取材を続けて来たのだが、その成果の発表会を、今日は僕の授業で行い、明日は健康科学大学の授業で行うことになったのだ。いやはや、福祉学部でもない法学部の、しかもまだ2年生の学生たちなのに、ほんとうによく頑張っている。彼ら彼女らのがんばりをたたえながら、それを何とか形にして、成長の証に出来るよう、教員として、側面努力をしているつもりだ。そういう教育的なことと、研究といえば、来週の火曜日は、研究会で博論以来取り組んでいるテーマの発表でもある。週末、突発的仕事で研究が出来ず、しかも土曜はまた急遽大阪出張が入ったので、考察もままならないテーマをどうするか。ここも課題で、忙しい。

そういえば、アジアのとある国から帰国している人が、こんなことを書いていたっけ。

「前回の帰国のときから感じていたことですが、国で素朴な生活を送っていると、東京や大阪の慌しい都会生活の何気ないこと、たとえば電車に乗って表情のない人たちを見ているだけで、精神的に非常に疲れを感じています。」

そう、日本の特に都会は、ものすごくワーカホリックな雰囲気が町中にあふれているよね。僕も、スウェーデンから帰国した当初、そう思っていました。でも恐ろしいのが、それになれると「精神的に非常に疲れ」るはずなのに、それを忘れた振りが出来ること。とはいえ、絶対どこかに蓄積されていのです。今週末までハードな日々が続くけど、こういう蓄積から自由になるために、何とか自分のコントロール能力を死守しなければ、とワインの酔いで濁った頭でも、自覚はしていた。

類縁性と帰納的アプローチ

 

昨日書いたブリコラージュについてネットで検索してみたら、ほほぉ、という記述に出会った。

「学問とは同一性や反復性を確認したがるものである。それが対象領域と拘束条件の設定が大好きな科学や社会科学の立脚点というものだ。けれども、類縁性はそうした個別の立脚点をやすやすと越えていく。跨いでいく。それは「答えのない問い」によるオイデュプスの神話そのものなのである。「なんだか似ている」ということ、「なんとなくつながっている」ということ、そのことを考えるのがレヴィ=ストロースの学問であり、つまりは『悲しき熱帯』だったのだ。」(松岡正剛の千夜千冊 第三百十七夜 『悲しき熱帯』レヴィ=ストロース

なるほど、確かにレヴィ=ストロースがブリコラージュを説明する「野生の思考」の第一章を「具体の科学」と名付けたのは、「同一性や反復性を確認したがる」「科学や社会科学の立脚点」を超えた所にある「類縁性」をブリコラージュは大切にしているからであった、と言えそうだ。この「類縁性」については、昨日引いた内田先生は「『これ』って、『あれ』じゃないか」的な発想法」と書いておられる。この「『これ』って、『あれ』じゃないか」という発想は、確かに「科学的」ではないかもしれない。でも、いくつかのフィールド現場で出会うソーシャルワーカーや看護師、作業療法士に「同一性」や「反復性」よりも、といったfront lineで裁量を活かして働く人びとという「類縁性」を感じていたタケバタにとって、まさに自分自身の発想法がブリコラージュそのものだったとようやく気づく。それと共に、僕が感じていた「類縁性」の中身にも、別の「ブリコラージュ」があることに気がつく。

博論以来ずっと現場で働く人びとの「裁量」に着目している、と書いてきた。例えば現場のワーカーは、限られた社会資源の中で、出来る限り当事者が望む支援内容を、自身の裁量を最大限に使って、何とか組み立てていく。これって、ブリコラージュそのものなのだ。

「彼の使う資材の世界は閉じている。そして『もちあわせ』、すなわちそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。」(レヴィ=ストロース「野生の思考」みすず書房、p23)

「科学者は構造を用いて出来事を作る(世界を変える)」。科学者でなくとも、自立支援法の制定や報酬単価の改定(減額)といった、とんでもない構造変化が「世界を変え」んばかりの勢いで迫っている。その際に、こういう日本全体を覆う巨大な構造変化に対して、一現場が新たな「構造」を持ち出したところで、そう簡単に変わるわけではない(そうは言っても、現場から「世界を変える」ことが不可能と僕は思っているわけではない)。だが、「世界を変える」ことにコミット出来なくとも、「そのとき限られた道具と材料の集合で何とかする」ことは可能である。そして、その時に「何とかする」担い手が、現場のソーシャルワーカーなのである。

「いままでに集めてもっている道具と材料の全体をふりかえってみて、何があるかをすべて調べ上げ、もしくは調べなおさなければならない。そのつぎには、とりわけ大切なことなのだが、道具材料と一種の対話を交わし、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な解答を全て並べ出してみる。しかるのちその中から採用すべきものを選ぶのである。」 (前掲、p24)

あるミッションを遂行したいワーカーは、まず「いままでに集めてもっている道具と材料の全体をふりかえってみて、何があるかをすべて調べ上げ」てみる。その中で、「道具材料と一種の対話を交わし」、一番相応しい「解答」を「採用」する。この過程がまさに現場ワーカーの裁量部分であり、腕の見せ所であり、達人ワーカーと新人ワーカーの差として現れてくるのだ。ここからは、ある達人ワーカーがしばしば次のように言い続けているのを思い出す。

「制度や法律は使い倒した上で、ないものはどう新しく作れるか。それが僕たちの課題だ」

そう、この「使い倒した上で、ないものを新しく作る」という発想が、まさにブリコラージュそのものであり、現場ワーカーの裁量の最大の特色でもあるのである。

ついでに類縁性つながりでいくならば、看護の世界でもこんなことがいわれ始めている。

「科学は、個別の違いを捨象して普遍性を考えていくものである。医師が行う診断は、診断基準に照らしてその違いを取り除き、合致する点を選択していく過程である(演繹的アプローチ)。各種検査の結果、臨床症状を診るのは、あくまでも正常か異常かの基準に照らして判断するための作業である。一方、看護実践は、さまざまな生活歴をもった個別な患者のひとりひとりに対応すべく、看護の原則論を頭におきつつも、最終的には限られた資源のなかでより健康的な方向へ向かう、個別のニーズに対応する実践の過程である(帰納的アプローチ)。」(陣田泰子「看護現場学への招待エキスパートナースは現場で育つ」医学書院 p86)

「限られた資源のなかでより健康的な方向へ向かう、個別のニーズに対応する実践の過程」そのものが、「そのとき限られた道具と材料の集合で何とかする」というブリコラージュそのものなのだ。そういう意味では、看護だけでなく、福祉の現場でも、その多くが「帰納的アプローチ」としての類縁性を持つ。ケアマネジメントの「科学化」が何となく気持ち悪いのは、従来の個別支援という「帰納的アプローチ」を「標準化」という「演繹的アプローチ」に変えよう、という点での気持ち悪さ、といえばいいだろうか。陣田さんも、この点について次のように指摘している。

「いま、医療現場で進行している『標準化』は、医療を取り巻く環境の中で来たるべくして来た流れではあるが、医師の行う診断、治療はともかく、看護においては、どこかで『標準化』の流れとは相容れず、ジレンマに出会う。いま『標準化』の流れだからこそ、ナースは、ベッドサイドで個別のニーズに可能な限り対応する意味がある。」(前掲、p86-87)

医療を福祉に、医師の行う診断を一次審査・二次審査に、標準化を要介護認定や障害程度区分に置き換えれば、まさに福祉の現場そのものの話である。でもそこでナースをワーカーに置き換えた時、利用者のそばで「個別のニーズに可能な限り対応する意味」をどれほど個別のワーカーが噛みしめられる余裕があるだろうか。そんなことをふと、考えてしまった。

科学者と器用人の接点とは?

 

「人間にとってたいせつなのは『新しい状況』にそのつど『新しいスキーム』をあてはめるせわしない知のアクロバシーを演じ続けることではない。そうではなくて、人間がこれまで拾い集め、蓄え、作り上げてきたすべてのものに向かって、『でも、これにも何か使い道があるんじゃないかな?』と問いかけることではないのか。レヴィ=ストロースはそういうことが言いたかったんじゃないか。」(内田樹「東京ファイティングキッズ・リターンズ」バジリコ p115)

先週の大阪出張時に内田樹さんと池田晶子さんという、僕が「即買い」する二人の哲学者のエッセーが出たので、ここしばらく、家で風呂読書が実に楽しい。池田晶子さんの話はまた今度するとして、内田氏のこの対談本の中で出てきた、レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」についての解説に、なんだかピンときた。そこで、今週末の出張地である静岡の書店で、これまで不勉強で読んだことがなかったレヴィ=ストロース大先生の「野生の思考」を購入。読み始めると、これが実に面白い。で、出張先のホテルで折り目を付けたのが、次の部分だった。

「科学者と器用人(ブリコロール)の相違は、手段と目的に関して、出来事と構造に与える機能が逆になることである。科学者が構造を用いて出来事を作る(世界を変える)のに対し、器用人は出来事を用いて構造を作る。」(レヴィ=ストロース「野生の思考」みすず書房、p29)

そう、新しい構造なりスキームなりシステムなり制度なりで、旧体系を壊す、という「出来事を作る」前に、これまで蓄積してきた「出来事」を組み合わせる中で、何らかの寄せ集めの「構造」が立ち上がってくるのではないか。そして、それは、新しい「構造」でなくても、案外「使い道がある」「構造」になりうるのではないか。

この、内田先生とレヴィ=ストロース大先生のご指摘は、今日の静岡から帰りの電車の中での議論につながっていく。

今日は経営学の先生と病院経営について議論をしていた。その中で、病院のマネジメントに関して、議論が出てきた。医療費がこれだけ社会保障費全体を圧迫する中で、病院経営も楽ではない。その中で、マネジメントやコンサルティングの専門家が病院経営に助言や参画する場面も増えてきた、とのことである。で、そこで気になったのが、経営の専門家達の立ち位置である。やはり経営の専門家が病院経営の分析をする中で、圧倒的な人件費の比率の高さをいかに抑制するか、が課題になるという。確かに(特に国公立の)病院における人件費の比重の高さは、よくニュースでも話題になっている。で、そこで興味深いのが、「かといってなかなか看護の人件費を削減できない」という経営側の視点をどう捉えるのか、という点であった。

確かに、病院の売りを突き詰めて考えると、どれだけ名医がいるか?という点に収斂される。だが、では名医さえいれば、看護やコメディカルはどのような質であってもよいのか、というと、それは違う。執刀するのは医師でも、病態の急変に気付いたり、病室での適切な処置をする最前線にいるのは、看護職である。また、病気療養後の「社会復帰」へのつなぎをつけるのは、ソーシャルワーカーといったコメディカルの仕事である。そして、看護やコメディカルの専門家は、医師に比べたら低い立場で見られやすいが、彼ら彼女らが病院組織にかける思いは、決して医師にひけをとらない。医師に比べて(時としてとんでもなく)低い給料でも、多くの看護やコメディカル職員が、その現場で、自分たちの専門性を活かして、最大限の「出来事」を蓄積してきたのだ。それを、コストカットという新しい「構造」の錦の御旗の下で、古い「出来事」をバッサリ切り捨てて、経営改善一色で進んでいって、果たして非営利組織、ヒューマンサービス組織が立ちゆくのだろうか。

ここで付記しておきたいのは、決してコストカットが必要ない、というつもりは毛頭無い、ということだ。どんな組織であれ、マネジメントの側面は必要であり、経営の効率化と収支の改善、無駄を省く、ということは、ごく当たり前の常識として必要とされる。この部分には全く異存はない。ただ、収支改善をする一方で、ヒューマンサービス組織としてのミッション、「利用者本位」「患者本位」というミッションを時に忘却していないか、それが経営学サイドから書かれる病院や福祉組織分析の本を読んでいて感じる疑問であった。医療や福祉で「いいことをしているんだから」というお題目を「隠れ蓑」にして、自身の改善を放置することは、今や許されない。だが、その一方、コストカット、経営改善という新しい「構造」を「錦の御旗」にして、これまでの「いいこと」をするために培ってきた、蓄積してきた、現場の「出来事」の大部分をばっさり切り落としてしまっていいのか? その部分が疑問なのだ。ようは、経営改善と現場の蓄積の活用を、どう両立出来るのか? そこに医療や福祉組織の改善のヒントがあるような気がしている。

そうすると、ここで大切になってくるのが、「科学者」と「器用人」の接点といえよう。「器用人」である現場の人々が蓄積してきた「出来事」と、「科学者」である研究者や経営者、コンサルタント、厚労省・・・が持ち込んできた収支改善といった新たな「構造」がどう出会えるのか? その際、従来の蓄積された「出来事」をどれほど活かしながら、新たな「構造」の良い点を取り込んでいけるのか? その際、「科学者」と「器用人」がどのように「チーム」を組みうるのか? こういった点が、新たな課題なんだろうなぁ・・・。そんなことを考えていた。

自己変革へのアシスト

 

今日は出張で静岡に宿泊。静岡の友人と久しぶりに議論していた。

あんたの関心の中心は「人」なんだね、と解釈され、改めて自分の研究を振り返ってみる。確かに、社会に変わってほしい、組織も変革してほしい、と思うけど、「その前に個人が変わらなきゃ」と博論以来一貫して主張し続けている自分がいる。いや、起源をさかのぼれば、大学生になる以前から、「○○だからしかたない」という言説が大嫌いだった。あれって、自己変革しない言い訳、他責的文法で逃げるための方便だと思う、というので、意見が一致。そういう無責任が一番問題である。特に、若い頃「社会変革」をしきりに叫んでいたのに、自分がいざ「変えうる」ポジションについた時に、保身と事なかれ主義にどっぷりつかって何も変えないどころか、下の世代の変革の芽を積極的に潰している団塊の世代について議論が白熱。私たちの社会でどのように「言い訳」から自由になるか、言い訳というロジックを使わないで、きちんと向き合えるか、そのために教育は何をなすべきなのか、などについて議論を重ねていった。

そう、議論といえば、友人の職場でも、私の職場でも、どうも議論そのものに慣れていない世代が増えているのではないか、という話になっていった。ある議題について、つっこんで話をする、ということはなく、「わからない」「興味ない」「つまんない」と簡単にふたをしてしまう場面が、大学だけでなく、多くの職場でもみられる、という。他者と議論する土壌が貧しくなる中で、自分の知らないことに対する畏敬の念や、謙虚な自信、あるいは知らない世界への想像力の翼、といったものが少しずつ失われつつあるのではないか。そして、そういう世代に対して、「最近の若者は」という古典的説話形式から抜け出せない、私たちより上の世代に問題の固有性や深刻性が横たわっているのではないか、という話につながっていく。もっと言うと、「わからない」と口にする若者を、無視したり論外と切り捨ててきたのは、他ならぬそういう「昔若者」の市民なのだから。

今、自分が「職員研修」「現任者教育」に大きな興味を寄せているのも、このあたりが所以なのかもしれない。個々人の素質や先天的能力に問題をすべて押しつけるのではなくて、個々人が何に困り、どう解決し(できなかったのか)の分析の中から、何らかの「カイゼン」なり、個人や組織・社会の自己変革や成長へのアシストが産まれてくるのではないか。そんなことを話していた。

そう、静岡といえば濃いだしの静岡おでん。今日はいけなかったが、美味しいお店も紹介していただく。明日こそは、そこに出かけてみよう。

おでんと想像力

 

昨夕、生まれて初めて自分でおでんを作ってみた。
週末大阪出張で、久々に自宅に泊まっていた時、母親が夕飯に出してくれた「残り物のおでん」がめちゃくちゃ旨かったのである。「こんな美味しいの、どうやって作ったらいいの?」と食いしん坊は思わず口に出してしまう。すると、母親は「そんなん簡単よ」とレシピを教えてくれた。ま、レシピ、というほどでもないのですが。そのレシピでおでんを作り始める。もちろん、がんもどきも忘れない。

がんもどき、実家のおでんの定番メニューであり、外食おでんと「ひと味違う」ところ。なんのことはない、あぶらげの中にゴボウやにんじん、鶏肉を詰めて、爪楊枝で蓋を閉めてできあがり、のやつである。父親が大好きで、おでんでは毎回出てくるのだが、我が家では一気にパクパク食べていた。で、今回自分でつくってみて始めて気がついたこと。がんもどきを作るのは、結構手間がかかるのだ。

ごぼうをまず切って洗って、ささがきにする。にんじんも同様。そのあと、今回はえのきを切ってボウルに混ぜ、その具と鶏肉をあぶらげの中に入れていく。この作業、楽しいのは楽しいのだが、意外に手間がかかるのだ。そういう手間をかけながら、気付いた。「こうやって手間暇かかるってことに、僕自身は感謝もせずに食べていたよなぁ」と。そう、実家に住んでいたころ、こうやって母が手間暇かけてつくってくれるものが「当たり前」だった。だから、当たり前のごとく、感謝もせずに、食べていたのだ。いやはや、有り難いことだったのに。一人暮らしを始めた後、自炊をするようになったが、今では忙しいから、そうそう手の込んだものは作れない。確かにおでんは簡単な方であるが、それでも作り込むための下準備に手間はかかる。この手間をかける、ということの、有り難さ、に、自分が手間取りはじめてようやく気付いたのだ。そう、手間暇への想像力に欠けていたのだ。

この他者への想像力というものを働かせるのは、自分自身でも、すごく難しい。母の料理の手間暇という身内への想像力だって、なかなか羽ばたかないのだ。ましてや、自分の身内ではない、社会問題への想像力に至っては。授業で障害者の問題を扱っていると、この社会問題への想像力の翼をどう学生に持ってもらうのか、で苦労する。学生に「僕の授業では出来る限りコメントで本音を書いてほしい」とお願いしたことが功を奏し、いろんな本音が寄せられる。中には、「障害者に先生は甘すぎる」「過保護だ」「もっと自立するために障害者も努力すべき」という声も。こういう声を前にして、“You are wrong, I am right.”というのはたやすい。だが、そうではなくて、いかに本人自身が何かを気付き、自分で変わろうとする変容プロセスに教員の竹端がアシストできるか、そのあたりが大変難しいのだ。

想像力を身につけるとは、水平的知識の拡大ではなく、「自分が知らないと言うことを知ること」、内田樹氏流に言えば、「階段を上がること」である。こういう世界があったんだ、自分はその世界にまったくコミットしていなかったのだ、知らなかったよ、ということを、他人事ではなく自分事としてどう知覚してもらえるように、授業を通じてアシスト出来るか? これは大変難しい課題だ。明日の朝一の地域福祉論の授業では、その難題に取り組んでみよう、と思う。ひたひたにつかったがんもどきや大根をハフハフ言わせながら、シャルドネの辛口と共に頂きながら、そんなことを考えていた・・・。というのは、半分だけ本当で、実のところ、食事中はもっぱら「のだめ」に心を奪われていたタケバタであった。

しばらくコメント欄を閉鎖します

 

業務連絡的なご報告です。

もしかしたら、読まれている方の中に、コメントをお書き頂いた方もいるかもしれません。ただ、それがアップロードできずにいます。というのも、毎日100通以上の「バイアグラ」だの「ドラッグ」だのの広告コメント(たぶん自動的に貼り付けるプログラムを悪用したもの)がコメント欄に届いていて、処理しきれなくなったからです。現在その数4500。しかも、25通の削除に5分以上かかる、というローテクであります。さらに言えば、技術を担当くださるN氏に聞いてみても、「今のシステムでは、そういう機械的攻撃は防げない」とのこと。

ボランティアでこのサイト管理をしてくださっているN氏も、今は本業がお忙しいので、無理もいえません。なので、ここしばらく、コメント欄は閉鎖します。もしかして、書き込み頂いた方、誠に申し訳ありません。
で、何かありましたら、タケバタ宛にメール(h-takebata[at]ygu.ac.jp・・・atは@です。これも自動的迷惑メール防止対策)までお送り頂ければ幸いです。ちなみに大学アドレスもどこで漏れたか、最近は毎日迷惑メールがどっさり。なんだかねぇ・・・。

甲府はぐっと朝が冷え込んできました。昨晩の天気予報によれば、今朝の最低気温は7度とか。確かに、いつもより今朝は格段に冷えています。朝、歩こうかな、と思ったのですが、布団の中で二の足を踏んだのがまずかった。気づいたら、中途半端な6時15分。そういえばお弁当用の米も炊いていなかった、と家事をし出したら、歩いている暇が無くなってしまいました。なので、さっさと洗濯したり、昨日の焼きそばの残りを処理したり、と家事モード。ついでに、パソコン関連のいろいろな整理整頓にも手を出した、という感じです。

整理整頓、というと、何か困惑したとき、最近はとにかく「まず片づけよう」と思っています。
「机の上が整理されているのは、頭の中が整理されていること。整理された頭には、ヴィジョンと展望が開けます」(カレン・キングストン著 「ガラクタ捨てれば自分が見える」 小学館文庫p117)
影響されやすいタケバタですが、確かに整理をすると、少しは落ち着いてくるのも、また事実。さて、今日はさっさと大学に出かけて、まずグチャグチャの机まわりを片づけますか。

自分が変わらなきゃ

 

ぐっと朝が冷え込んできた。ようやく秋らしさを感じる。

今朝も6時に起きて、テクテク近所の里山方面へと歩みを進める。最近、出張などで遅くならない限り、日付変更線を過ぎる前には寝てしまうので、6時頃、目が覚めるのだ。朝起きられる時には起きて歩こう、と、思い立って歩き始めたのだが、意外に続いている。まあ、あんまりストイックにならず、起きれたら、時間の許す範囲で歩けばいいや、というのが、続いているコツなのだろうか。出来れば4,5キロ体重を落として、もう少しフットワークが軽くなったほうが良いのだが・・・。

フットワーク、というと、週末、久しぶりに妻とテニスをしてみた。我が家は僕以外はみんなテニスが上手いので、僕もストローク程度ならたしなむこともできる。実は小学校の頃、肥満児だったので、テニススクールにも1,2年通っていた。サッカーや野球といった団体競技は下手くそだし好きでもなく、どちらかというとプールやテニス、などの個人競技あるいはそれに近いものの方が性にあっていたようだ。プールもテニスも、どちらも数年間はやっていた。で、久しぶりに一時間みっちり打つと、身体がクタクタになる。でも、健全なクタクタは、心を豊かにしてくれる、ということを、これまた久しぶりに思い出した瞬間だった。ただ、今週末以後、しばらくはほぼ毎週末、出張が重なるので、なかなかテニスも出来そうにないが。

そう、こういうスポーツが出来ない言い訳を、僕は昔から山ほど用意していたのだ。書いていて、今気づいてしまった。その一方で、例えば興味深い会合がある、面白い実践がある、というと、遠い場所でも、なんとか時間を見つけて(作って)、時には(昔はしょっちゅう)無理してでも、都合をつけて関わっていた。だが例えばジムでもテニスでも散歩でも、毎日都合をつければ出来る、ということについては、ついつい「明日やればいいから」と言い訳をして、逃げる。興味あることはのめり込むのに、面倒なことはおざなりにしている自分がいるのだ。講演なんかで「諦めていないか」と問いかけている自分自身が、自己の体調管理や運動を「諦め」ていては、格好が付かないし、言葉が薄っぺらくなるよなぁ、と反省しきり。やはりせめてテクテク歩きとジムは「諦め」ないで続けねば。

今日はこれから忙しい一日。午前中に明日の授業2コマの準備をして、昼からは「これからの社協」というネタで講演。最近ずっと考えている「支援者変革論」が組織変革、地域変革とどう有機的に繋がっていくか、というテーマを少し現場の方々にぶつけてみようと思う。そのあと、夕方にはこれまた研修関連で打ち合わせ。人に変われ、という前に、まず自分が変わらなきゃ、と今日は言い続けるのだ。そう、これは、他人に言う前に、まず自分に説き伏せる文言でもある。さて、はじめますか。

強ばりからの解放

 

「生き延びたいなら、前進したいなら、状況を相手に、あるいは人々を相手に、最悪の事態を予想してはならない。そう、あたしにはあたしの乗り越えてゆくべき道がある。レイラーには若々しいシナモンとバラの香りに満ちた未来があり、マルジャーンには次々と見事な料理を創り出す才能があるけれど、それらは二人の旅であり、あたしの旅じゃない。自分の強みがなんなのかはまだわからないけれど、それは見つけ出されるべく行く手にあるのだ。」(マーシャ・メヘラーン「柘榴のスープ」白水社 p248)

革命時のイランを間一髪で抜け出して、アイルランドの小さな村でカフェを開く三姉妹の、過去と現在、アイルランドとイランを織りなしながら、ぽっかり空いた傷口を希望の入り口へと変えていくお話。長女マルジャーンが作るハーブたっぷりの料理に多くの人々が心の強ばりがほどけ、三女レイラーの美貌に多くの男性がいちころになる。一方のバハールは、一番大きい傷口を抱え、姉と妹の「旅」をうらやみながら、自身の偏頭痛とトラウマを結びつけ、なかなか「旅」に出れずにいた。それが・・・・。

大阪の書店で、装丁が魅力的で、「ペルシャ料理のレシピ付き」というそれだけの理由で買ってしまったこの本。「柘榴のスープ」だけでなく、一つ一つのレシピが、お話の中で実に効果的に味わいを出してくる、実に深みのあるストーリーだった。著者は後書きで、こんな風にも言っている。

「料理は、愛を表現する完璧な手段です。料理を通して相手に自分を与えているとき、それは、相手の空腹を満たしてあげているだけではなく、気兼ねなくくつろげつ場所を求める気持ちに応え、自分がここに属しているという感覚を与えているということなのです。あなは私の世界のかけがえのない一部なのよと伝えているわけです。」

久しぶりの休日だった昨日、午前中はぐっすり寝て、午後何気なく読み出したら止まらなくなり、夕方読み終える頃には、「ちゃんと今日はご飯を作りたい」と思うようになっていたのだから、まあ単純と言えば単純な私。近所のスーパーであじの開きと茗荷を買い、天ぷらとかき揚げを作る。親が送ってくれたニシンの昆布締めをナスと煮付けにする。あと、10月下旬から販売を再開した、大学の近所で買う絶品のハウストマトもさっくり切る。きりりとした辛口の白ワインが実によく合う夕食となった。かけがえのない時間を、今日も二人でおいしく過ごせることに感謝しながら。

冒頭に触れたバハールの言葉に戻ると、僕自身、昔から結構、「状況を相手に、あるいは人々を相手に、最悪の事態を予想」していた。新たな局面にさしかかるときは、根は楽天的なはずなのに、しばしば予想される「最悪の事態」を先取りして、ため息をつくことがある。正直、僕自身の旅は順風満帆ではないし、現時点でもこれからどういう「旅」になるのか、は予想がつかない。でも、バハールの言うように、「それは見つけ出されるべく行く手にあるのだ」。そう思うと、自分の中の強ばりが、少しだけ溶けてきたような気がした。さて、とにかく先に行ってみますか。