叩き出すことと待つこと

 

出張からようやく帰還。久しぶりに午前の東京行き新幹線に乗る。いつもは夜に帰る事が多かったのだが、昨日は講演先で宿まで確保して頂いたので、ご厚意に甘えたのだ。朝の御堂筋を久しぶりに歩いてよい気分だった。

今日は運動できなかったけど、昨日おとといと泊まっていた京橋のホテルでは、ちゃんとフィットネスクラブで、朝から一汗をかいていた。昨日朝はかったら、体重がなんと78.8キロ。79キロを瞬間風速的にでも切れた事は、大変よろしいことである。そういえば、久しぶりに電話でお声を聞いたKさんからも、「ダイエットがんばってる? 80キロ切った?」と励ましをいただく。こういう声があると、やはり励みになる。何より今回出張にはいてきたズボン、お気に入りだったのだが、去年とうとうはけなくなって「お蔵入り」していたズボンであった。それがすっと余裕を持ってはけるのだから、これほど嬉しいことはない。来週はまたアメリカ出張なのだが、滞在先のホテルにフィットネスクラブがあるようなので、身銭を切って脂肪を落とさねば、アメリカはこってり料理、だもんね。どうやらダイエットモード、という「枠組み」を何とか「身体化」し始めているようで何よりである。

そうそう、「枠組み」といえば、今回の旅のお供に持参した一冊から、思わずはっとさせられた一言を引いてみる。

「言葉が訥々としかこぼれ落ちてこないにしても、長い沈黙があいだに挟まるしても、それでもひとは聴かなければならない。なぜか。苦しむひとがみずからその鬱ぎについて語るというのは、その鬱ぎを整序し、それから距離をとるということだからだ。語ることで、その鬱ぎとの関係そのものが少しずつ変わってゆく。溺れたままでは語れないのである。とすれば、この溺れから脱すること、そのプロセスをたどりきることが苦しみについての語りの要だということになる。が、聴くひとは、とぎれとぎれの語りの、その遅さに耐えきれない。耐えきれずに、つい言葉を挟む。『あなたが言いたいのは、あるいは言いよどんでいるのはこういうことじゃないの?』というふうに。鬱ぎの中にあるひとは、ついこの『物語』に飛びついてしまう。とぎれとぎれにしか語りえないこと、整然とは語りづらいことを滑らかに語る言葉が、そこに並ぶからである。-『そう、わたしが言いたかったことはそのことなの。』
が、これはなんの解決でもない。語る、つまりは自分を鬱ぎから解き放つそのプロセスが、そのことで省略されるからだ。そのときはすかっとした気になるが、問題の解決は先送りされたにすぎない。語る者がみずからの鬱ぎから距離をとるそのチャンスが、聴く者によって横取りされたのである。
聴く者はつねに待機していなければならないのに、ついに待ちきれなかった。」
(「『待つ』ということ」鷲田清一著、角川選書 p71

障害のある人や支援者への聞き取り調査をする事が多い僕にとって、この鷲田氏の指摘は、身につまされる部分がある。何気なく、あるいは時には確信犯的に、あれこれ聴いていく質問者の僕の前で、訥々とお話される、あるいは長い沈黙の状態におかれる方も少なくない。障害ゆえにお話しにくかったり、まとめることが苦手な方が、こちらの問いかけに苦吟される現場に立ち会うことも少なくない。そういう場面で、僕という「聴く者はつねに待機していなければならないのに、ついに待ちきれな」くて話しかけてしまう、そんなことがしばしばあったのだ。

「とぎれとぎれの語りの、その遅さに耐えきれない。耐えきれずに、つい言葉を挟む。『あなたが言いたいのは、あるいは言いよどんでいるのは、こういうことじゃないの?』」

そういえば以前、ある後輩はこのことを指して、「叩き出しインタビューだね」と言っていたっけ。相手が話し終わるまでじっくり聴いて待つ、という事ではなく、自分の関心のあるポイントでどんどん叩いていって、その相手の反応から、さらに叩いていく、そういう鋳型作りのようなインタビュー形式だ、というのである。

この形式は、こちらがある程度、こういうものを把握したい、という枠組みがしっかりしている時には、有効である。だが、その枠組み自体が、話し手の枠組みではなく、聞き手である私の枠組みであることに注意が必要だ。その枠組みで話してもらうと、相手は「すかっとした気になるが、問題の解決は先送りされた」にすぎない。いや、相手ではなく「すかっとした気になる」のは、実は僕だけなのかもしれない。

今ここまで書いていて気づいたのだが、これって田原総一郎的なやり方である。話を強引に途中で遮り、こちらの聴きたい方向性の枠組みに強引に持って行く。テレビ的にはおもしろいかもしれないが、しかしそれでは討論のつもりであっても実質は聞き手のモノローグになってしまうのだ。こういう「無自覚な自身の枠組みへの埋没」がどれほど危険か、ということに、もう少し自覚的でないとまずい、と書きながら気づいた。

ダイアローグにするためには、常に自分を開いておくことが寛容。そのためにも、バイアスのかかった自身の勝手な枠組み(物語)に自家中毒にならないような、待ちの姿勢が求められているのである。

投稿者 bata : 23:25 | コメント (0)

20070212

年越しそばと有言実行

年越しそばは塩尻駅のなめこそば

と言っても年末のことではない。大阪出張に向かう、2月8日のことである。そう、翌日のニクの日は、32歳になる日なのだ。今年も年越しは、旅先であった。去年・今年と連続で呼んでくださったとある組織の会合で講演をさせて頂くために、教授会の後、神戸のポートピアホテルへと向かう。三宮で幹事役の方々と餃子をつまみながら歓談しているうちに、あっという間に31歳は過ぎてしまった。

で、32歳の朝は、1000円払ってポートピアホテルのプールで一泳ぎ。水着とゴーグル、キャップも付いているので、まともなホテルにしては、決して高くないお値段。常連っぽい先客がいたが、一レーン一人で泳げるので、いい気分。昨晩は餃子をパクパク食べてしまったので、朝からこってり汗をかいておかねば、と、32歳の今年はダイエットに燃えている事を、朝から自分に再確認。プールの後、ミストサウナも気持ちよく、たっぷり汗をかいて、美味しい朝食をバッチリ食べたら、会の始まりの時間に少し遅刻してしまう。本来の僕の講演開始時間はもう少し後だったのだが、さっさと司会進行が進んでしまい、昨晩ご一緒した方が先に話をしてくださる。すんません。頭がのんびりしていたが、バトンタッチされて、エンジンをフル回転。朝ご飯と運動が効いてか、結構頭がクルクル回っていた。

その後、午後はシンポジウムのコーディネーター。「医療観察法と退院促進事業」という大変なテーマで、かつ論客揃い。会自体は何とかまとめてみたが、今の自分の実力では、正直きちんと迫りきれなかった、と不全感が残る。対象の本質に迫りきれない、きちんと各シンポジストの本当の想いに聞き耳を立てきれていない、自分の狭い枠組みのの要因を取り込めていない、ある言葉の背景因子やイデオロギー、思惑をきちんと析出した分析が出来ていない・・・そういう意味では、実力のなさをも見せつけられる「年明け」の日であった。

その日は、無理してその日中に甲府に帰る。週末は妙高高原にスキーに出かけてみた。三連休で今期一番人が多い、とホテルの人が言うだけあって、とんでもない人だらけだったが、でも土曜の晩に大雪が降ったおかげで、日曜日は抜群のパウダースノー。というか、ちょっと降りすぎで前が見えず、それはそれで大変だったが、以前Tコーチに教わった「足の裏で滑る」という教えを実践しているうちに、おぼろげながらうまくターンが出来るようになってきた。いきなり上級こぶだらけコースに迷い込んでしまったが、何とか乗り切れたのも、Tコーチのおかげ。本当にあのときのレッスンは、価値ある時間だった、と感謝しまくっていた。

また、明日から大阪出張なので、今日は半分休み、半分仕事の準備な一日。どうも風邪を引く直前きわきわで推移していたので、午前中は大学で資料整理をした後、昼ご飯を家で食べて、ぐっすり眠る。体重を気にし始めて、最近、身体のサインに少しずつ気がつき始めた。そう、何だかのどの調子が優れない、という微妙な兆候は、身体から発されているのである。その微かな徴に気づいて、ちゃんとそれに従うか、あるいは「忙しいから」と無茶するか、で後の大きな分かれ目にさしかかる。32歳は、こういう兆候にも敏感でありたい、と想う。

そんな気持ちで、風呂読書には、以前の「てこ読書」に推薦されていた「フォーカル・ポイント」(ブライアン・トレーシー著、主婦の友社)。絶版で、アマゾンでは3万円!という高値で古本が売り出されていた(今日見たら、5000円というのもあった。でも1680円の定価なんだけどね)ので、図書館で取り寄せてもらう。

アマゾンの書評でも書かれているとおり、「具体的なノウハウが整然と書かれて」いる本。「7つの習慣」やら、ドラッカーやら、ナポレオン・ヒルなどのエッセンスを取り込みながら、筆者流のアレンジを交えつつ、上手な整理が出来ている。そういう意味では、ここしばらく色々この手の本を読みあさってきた僕にとっては「復習」的な本だったのだが、読みながら、ふと気づくことがある。そう、この手の本に書いてあることは、結局は実行しなければ意味がないのだ。

Practice makes Perfect!  やらん限り、どれだけ読んでも意味がない。ダイエットしかり、仕事の選択と集中しかり。口で色々言っても、それを行動に移す、という点で、多くの人が挫折し、このごくごく当たり前の格言が貴重な意味を持ってくるのである。能書きをあれこれ読むのは、もうそろそろやめにしよう。それより、理解した「つもり」になっていることを、きちんと実践しよう。明日からの出張も、今日のこの意気込みをちゃんと活かせるようにしたい。何よりまず、宿泊先のホテルでは「ジム付きプラン」を選んだから、こってり汗をかかなきゃね。32歳は、“carry out one’s word!(有言実行)な年になりますように。ダイエットと年始の言葉を思い起こすためにも、出張中の夕方はカロリーオフのそばでいきたいものである。そう、やはり入り口はまず、「動くこと」と「食べること」なのだ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。