送り出す側、受け止める側

 

この一週間も高速で過ぎ去っていった。

日曜日の大阪に行って、水曜日まで調査などであれこれこなす。当然お宿はホテル京阪京橋で、朝からせっせとジム通い。で、食前に運動するとお腹が空いて、朝ご飯をもりもり食べていたら、何だか逆に太ってきたのか?、昨日甲府のジムのプールではかったら、79キロ。ううん・・・。ようわからんけど、食事量が多すぎるのと、あとは火曜の夜にイタメシ屋でチーズやら肉類やら最近さけていたものをドカ食いし、ワインをたんと飲んだことが原因か? あるいは、多少脂肪が筋肉になったのか? 両方のような気がしている。実は明日からもまた出張なのだが、なんと明日だけは定宿が満室でとれず! しゃあないので、明日は新大阪で宿を取るのだが、明後日から定宿が確保できたので、朝10時には京橋に向かい、荷物だけ預けて、執念のようにジムに行ってから、午後の現場に向かう予定。こうなったら、ジムが趣味状態になってきたのか・・・。

そう、水曜の朝まで大阪にいて、土曜にはまた大阪に舞い戻るのだったら、実家にでも泊まっていた方が移動を考えると楽なのだが・・・昨日今日と大学教員としてはずせない用事が。そう、昨日は卒業式だったのだ。2年前に初めて担当した3年生のゼミ生を、これも初めて送り出す日であった。先日カリフォルニアで買ったスーツと、年末に八ヶ岳のアウトレット屋で買った質のよい白シャツもおろし、新鮮な気分で大学へ。ギリギリ間に合った、3人のゼミ生の卒論を綴じた卒論集にメッセージを書いていると、今の3年ゼミ生達が花束を持って現れる。彼ら彼女らが自発的に考えた企画で、僕はその寄せ書きにもメッセージを書き込む。で、体育館での式典を終え、研究室でゼミ生3人に一人ずつ、卒業証書を手渡す。せっかくなので、お一人ずつ、代読しながら証書を手渡していると、いろいろな思い出がこみ上げてくる。

それまで大学や専門学校で授業はしていたし、専門学校の卒論は担当したことがあるが、大学のゼミを担当したことはなかった。しかも僕自身、大学時代は社会学系であり、母校の社会学講座は「自由放任」をモットーとしていたので、ゼミ単位、という発想が全くなかった。教育系や心理系の人々が毎週ゼミという場で集まっているのは少しうらやましかったが、でも大学3年生の時は学外でのボランティアにのめり込んで大学に寄りつかなかったので、ゼミがないのはありがたかった。しかも卒論時期になると、ちゃっかり社会学の重鎮の指導教官の先生のご自宅に指導をして頂きによく乗り込んでいた。大学院でも修士時代は同期がもう一人いたが、博士課程では講座では何名か同期がいたが、一期生で指導教官に対しては僕一人だけだったので、指導教官と僕、という枠組みには慣れていたものの、ゼミという場、は全くイメージすることが出来ていなかった。なので、試行錯誤のよちよち歩きからゼミはスタートする。

個性的な三人のゼミ生と、僕。私立大学としては珍しいたった計四人のゼミだったので、ゼミも研究室で行い、毎回お茶とお菓子を出しながら、とにかく色々しゃべっていた。最初は新聞記事を読んでのディスカッションなどもやっていたが、現場と離れたことをやるのがもどかしくなって、どうせなら、と車一台で出かけられる人数だったので、人づてにご紹介頂いた現場をいくつか訪問させて頂く。山梨の現場訪問は僕自身にとっても初めての経験なので、学生達と一緒になって質問したりしながら、ゼミ生達にもイメージを少しずつ抱いてもらう。そして、何となく興味が出てきた分野について、三人には夏休みにボランティアに出かけてもらい、夏休み明けにはそのレポートを提出。その後、その分野に関する本を読んで三週間に一度発表、という枠組みを作ってきた。三人によるとこのあたりから「だんだん大変になってきた」そうで、こちらも少しずつコツがつかめてきたので、グイグイと学生さん達を押していく。そこで、気づいた。あ、これって塾講師のやり方に似ているじゃん、と。

何度かこのブログにも書いたことがあるかも知れないが、僕は大学一年生の時から十年間、高校三年生相手の塾講師をし続けてきた。インチキ英語講師として、英語の担当者、というよりも、英語以外の受験指導や保護者面談、時には小論文指導なども一手に引き受ける何でも屋、だった。昔から「伝える」ということに興味を持っていたタケバタは、塾や予備校でも良い先生の授業の「型」をすごく学んでいたと思う。そして、それらの先生方から学んだ「型」を自分も伝える側になって試してみたい、とお節介にも思っていた。なので、大学一年の時から、そういうチャンスが巡ってきたのは、今から考えると、すごくラッキーだったのだろう。今にして思えば、よくもまあ、そういうアヤシイ大学一年生を、一つ下の子を教える、という世界に受け入れて頂いたものだ。

で、僕の青春時代の何割かは、この「教える」「伝える」という仕事に費やされていく。今にして思うと、もうちょっと勉強したり他のことに費やしてもよかったのだが、その当時、この二つが自分にとって一番面白いことの一つだった。たった一年、ないし二・三年(高校三年生のクラスだが、高一や高二の子もいる無学年英語クラスであった)のおつきあいで、一定の成果(大学合格)というゴールを目指し、相当密なコミュニケーションを取る。夜7時から10時、というのが一応の授業時間だが、その後第二部の裏授業をしたり、個人面談や相談にのったり、はたまた彼ら彼女らと語り合ったり、としているうちに、午前様になる、というのがごく当たり前のようにあった。そこで、忘れられない出会いをした生徒さんもいて、未だにやりとりをしたり、慕ってくださる方もいる。毎年10人から20人規模の少人数クラスだったので、今にして思えば、あれは明らかに一種のゼミナール状態、だった。

だが、大学で勤め始めた時、妙に塾世界と大学世界に線引きをしている自分がいた。塾では大学受験やセンター試験、という、割合ゴールがはっきり決まっていて、かつ○×がはっきりしている問題を解くためのスキルを身につけることに主眼がおかれている。成績が上がる、一定数志望校に合格させる、という絶対条件をクリアしないと翌年度の契約がない厳しい世界で、おかげさまで10年間、その条件をクリアし続けてきたのだ。だがこれまでは大学に送り出す側の視点しかなかった。それが、大学で受け止める側になった際、ゴールは一元的でないし、また内容も○×で解答できる課題ではないので、自分の中で「全く別」と考えていたのだ。ちなみにこのブログの母体であるsurumeの思想は、予備校講師時代に作り上げたものなので、大学教員になってから、それをうまく生かせずにいた。

でもよく考えてみると、表面的なゴール概念は違えど、1年2年というスパンで生徒とじっくり向き合って、こちらから一人一人にあった課題を出し、生徒はそれに必死になって取り組み、時には彼ら彼女らといろんな話題を語り合うことを通じて、大学受験なり卒論なりに向かって歩んでいく、という枠組み自体は、同じだった。そして、その枠組みなら、10年かけて練り上げてきたものがある、と、気づいたのが、山梨に来て半年を過ぎたあたりからだった。

そのころから、ゼミや授業に関する態度も変わる。当初は同僚に「どないしたらいいのだろう」とよく嘆いていたのだが、後期あたりから、「本質は塾や予備校講師とかわんない」と気づいていらい、遠慮することがなくなった。そう、厚かましいタケバタが、遠慮していたのだ。塾講師時代、学生を伸ばすために、相当圧力もかけたし、課題もたんと出したし、一人一人にかなりコミットもしていた。一定の成果を出し続けられたのは、そういう「あつい(熱い?暑苦しい?)」関わりの結果、だったのだ。でも、大学という正規教育の場に移し、妙によそよそしくなった、というか、遠慮した、というか、その場の雰囲気に飲まれた、というか、少し様子を見ていた、というか、つまりは一歩引いてしまっていた。もともと一歩も二歩もずかずかと学生に近づいていくのが自分の持ち味だったので、結局それを減じるような方向で動いていた。であれば、授業はうまくいくはずがない。ゼミにしても同じ。なので、すごく運営に困っていたのだが、どうしたらよいか、気づかせてくれたのも、この卒論一期生だった。彼ら彼女らと毎週お茶を飲みながら、時には自分がうまくいかない愚痴などを聞いてもらいながら、気づいたのだ。よく考えたら、彼ら彼女らは、僕が10年間付き合ってきた受験生とたいして年齢も変わらないじゃん、と。そこから、ふっきれたのである。

と、とんでもなく回り道をしたけれど、ようやく卒論生の話に戻ってくる。以来、ゼミ生は塾生、という目で見始めたので、就職活動の小論指導もしたし、卒論指導の課題も塾講師時代のようにどんどん出していき、要求レベルのバーもどんどん上げていった。大学時代にこんなに勉強したことがない、とゼミ生に言わしめるほど、課題をあれこれ出していった。でも、塾生同様、彼ら彼女らが出来ない一番下の部分に目線を合わせることから初めて、一つずつステップを駆け上がり、段々そのステップを高くしていくと、グイグイ伸びていく。要求レベルを上げれば上げるほど、彼ら彼女らのポテンシャルはどんどん拡がっていく。これは全くもって大学受験でも卒論指導でも同じだった。だから結果として、一期生の三人は、三者三様の見事な卒論を仕上げてくれた。そして昨日、その一期生達が、無事に巣立っていったのである。彼ら彼女らの二年間の成長に、自分自身の成長も重ね合わせ、本当に感慨もひとしおだった。

で、今日はこれから、長野の上田まで模擬講義。もうすぐ高校3年生になる「未来の大学生」相手に、1時間授業をしてくる。高校生から大学生まで、お客様の幅が増えたので、こういうお仕事は実に楽しい。なんせこちらは、大学に送り出す側も受け入れる側も経験しているのだ。さて、今日はどういう出会いがあるか。学生達にどういう新しい発見をしてもらえるか。送り出した後だから、すがすがしい新たな気持ちで、出かけてこよう。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。