ドタバタな7月末

 

前回、前々回と久しぶりに二日連続でブログを書いていたので、ようやっと「週刊タケバタヒロシ」状態か、と思いきや、すんません、また「週刊誌」状態に逆戻り。そんな余裕をかましている暇が、全くなくなってしまったのだ。

それが発覚したのは先週の月曜あたりのこと。お盆頃だ、と思っていたとあるプロジェクトの〆切が、今月末、ということが発覚したのだ。こちらは、火曜日にテスト監督を一日こなしたあと、ようやく7月末〆切の原稿二つにとりかかり、それを終えてから8月上旬にこのプロジェクト原稿に集中的に取り組もう、ともくろんでいた。でも、チームで取り組み、どのみち9月の学会でも報告するテーマなので、7月末が〆切なら、最優先課題にせざるを得ない。しかも、プロジェクトチームのブレーン役のH氏から火曜朝に届いたメールには、割り振られた箇所(10ページ分)の他に、「竹端とH氏の担当分となっている所は、今週末に原稿を上げてしまい」という記述が。そんなアホな!とわめきたくなりながら、でもネジを巻かねば仕方ない。とにかく、火曜日は自分の試験も含めて4コマ連続でテスト監督、水曜午前は午後の会議の書類作り、午後からは2時間半の長丁場の会議でヨレヨレ。で、ようやっと取り組みはじめたのが木曜日の午前で、午後は現場他大学で会議、だった。その後何とか金曜日にとにかく骨格を仕上げて、息抜きにプールで一泳ぎ。その後、土曜の朝に書き足して、午後はオープンキャンパス。そして、日曜の午前中に何とか脱稿して、そこからようやく次の原稿に。

この次の原稿は、編者をさせて頂いているとある教科書なんだけれど、とある先生が〆切を2ヶ月もすぎてから「書けない」とバンザイされてしまったので、一番下っ端の私が穴を埋める必要が出てきた。しかも、編集者曰く「11月に出さないと私のクビがアブナイ」という大変な事態。で、初稿は7月末にこちらも入れないと、間に合わない。当然の事ながら、とてもひとりでは出来ないので、最近仲良くさせてもらっているMさんに泣きつく。何とかその章の3節分はお願いできたのだけれど、21世紀に入った後の福祉改革の歴史は、こちらが引き受けざるを得ない。これまで書き散らかした原稿を編集し、重複をさけ、さっさと整理してエイヤッと日曜日に仕上げてお送りする。Mさんがその前後を見事に整理してくださっていたので、何とか格好はついた。

以上、非常事態下にあった原稿を優先すると、25日が〆切だったアメリカの精神障害者の権利擁護に関するレポートに、ようやっと取り組みはじめたのが、〆切を5日過ぎた昨日になってから。その雑誌の編集者に8月第二週まで待って欲しい、と事前に交渉はしておいたけれど、でも情勢は非常によろしくない。というのも、一般に流通する雑誌に書かせてもらう、というのは、僕のような実力のない下っ端の研究者にとって、すごく大切な機会。編集者の信用を失うのは死活問題だから、〆切とその内容の両方を、きちんと守らねばならないのだ。実力もない私が〆切延長、というのは、信用失墜の一歩手前、崖っぷちなのである。

タイトな日程だけれど、きちんと書く事を決めておかないと、特に海外物は英語を読み返すのが億劫になって、お蔵入りしてしまう。そう思って「夏休みなら大丈夫なはず」と思って、お願いした連載のスペース。編集者のKさんも大変よくしてくださるので、期待を失望に変えてはいけない。トラブル続きで1週間、書き始めるタイミングを逸した、から、と言って、ズルズル〆切を延ばしてもいけないし、中身が薄くなったら、もっとやばい。でも一方で、英語の資料は、身体に馴染むまで数日かかる。馴染まないうちに書いてしまうと、何のヒネリもない、どうしようもない報告になる。さて、どうしようと焦りながら先週から仕込んでいたけれど、英語がようやくじんわりしみてきたのが、昨日の夕方から。ただおかげさんで、一端しみこんでみると、なぜ2回の連載をお願いしたか、という「書きたいポイント」もようやく思い出す。と、同時に、今回書くべきフレームも、やっとのことで見えてくる。この輪郭さえ見えると、あとは早い。今日は会議を挟みながらも、一日粘って、ようやくこちらも骨格が固まる。明日、書き上がったものをシェイプすれば、とにかく週末までに編集者に送れそうだ。

と、自分が忙しい事をひけらかすようで、何だかイヤな感じなのだが、世の中には僕より遙かに忙しい人々が確実に存在する。次の文章を読んでいると、えげつない、という思いが半分、これぐらいで根を上げてはいかんよなぁという思いが半分、ためいきがそれ以上、出てくる。

「仕事をしながら勉強を続けていくことは難しい。特に、能力があると見なされると、仕事が自分の要領をはるかに超えて任されるようになるので、それこそ睡眠時間を削り、土、日も大使館に行っても仕事を全部処理することは出来なくなる。『何を切り捨てるか』について真剣に考えなくてはならなくなる。僕の場合、大学で講義をする、学会で発表する、締め切りのある原稿を引き受ける等、のっぴきならない状況を作り、新しいことを勉強するようにした。」(佐藤優『獄中記』岩波書店、389-390

ご承知のように、僕に特段何らかの能力があるわけではない。だが、確実に30代に入ってから、「仕事が自分の要領をはるかに超えて任されるようにな」りはじめた。睡眠時間も削りたくないし、かといって全く休みをゼロにするのも忍びない。今回7月末の10日間、うんと集中できたのも、7月の中旬までに、何回か家でゆっくり出来たり、息抜きが出来たからだ。だからといって、「何を切り捨てるか」という局面で、「仕事をしながら勉強を続けていくこと」を僕が選択すると、これはおまんま食い上げ、の事態になる。すると、「学会で発表する、締め切りのある原稿を引き受ける等、のっぴきならない状況を作り、新しいことを勉強する」ことが、唯一の両立の機会になるのだ。

そう思うと、今回の締め切り直前のドタバタも、これを通じて一定の整理や、また新しいテーマ、それに積み残しの宿題の再確認とモチベーションアップなど、いろいろな「勉強」になった。標題通りのドタバタタケバタであったが、それはそれとして何かを得られたのだ。それにしても、これからは何らの事を「切り捨てる」ことも視野に入れないと、回りきらないのも事実。選択と集中、それをかみしめた7月末でもあった。

「宿命論」と恋バナ-限界状況を超えること(その2)-

 

「眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることができる。男が女を愛しいと思う。女が愛しいと思うその気持ちに名をつけて呪(しば)れば恋」(岡野玲子「陰陽師1」白水社p85)

昨日ブログに陰陽師のことを思い出して書いていたが、実は当のコミックをなくしてしまっていたので、早速帰り、近所の本屋で購入。あらためて、この漫画のクオリティの高さに恐れ入る。と同時に、前回書いた安倍晴明の文言が全く漫画の文章と違うことに驚き。自分が記憶しているのは、自分の記憶したい様な記憶の仕方であるんだなぁ、と改めて思う。

で、改めて引用してみて思うのは、「眼に見えぬものさえ名という呪で縛ることができる」ということの重みだ。それに「宿命論」をかけると、どうして「名付け」(=name)に自分がピピッときたのか、がよりクリアに整理できる。

なぜだか知らないけれど、僕は昔から「どうせ・・・」「○○したってしゃあない」という諦めの文言が大嫌い、という癖をもっていた。参議院選挙の報道でも、選挙には関心があるけど、自分の一票で変わると思わない、と考える層が少なくない、という調査結果が出ていた。そう、このような、最初から「どうせ」と既定路線の枠組みに宿命論的に従う、ということに、生理的違和感や嫌悪感を感じているのだ。確かに諦めなければならない時も、僕自身にもたくさんあった。でも、何でもかんでも「どうせ」で片づけて、そのくせ飲み屋の端っこでくだを巻いているオヤヂにだけはなりたくない、そういう気持ちを子供の頃から持っていた。変な少年である。まあ、たぶんに小学校の頃からテレビっ子で、特にニュース番組大好きっ子だった事も左右しているのかもしれない。アニメやドラマよりはニュースステーションや報道特集、NHKスペシャルに鼻をふくらませていた変なガキんちょだったので、そういう「刷り込み」があったのかもしれない。そのあたりは定かでないが、とにかく「どうせ・・・」と言ってしまうことは、体制内順応であり、結局何も変わらない事を唯々諾々と受け入れる、そのガス抜きの文言として「どうせ・・・」という言葉があるんだ、と何となく受け止めていた。

で、フレイレに戻ると、昨日この部分を引用していた。

「対話とは、世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間との出会いである」(訳文p97)

なんだか日本語のつながりがわかりにくいので、昨日アマゾンからもう届いてしまった英語版をひいてみると、この部分はこんな風にかいてある。

“Dialogue is the encounter between men, mediated by the world, in order to name the world.”Freire pp88)

下手くそながらこんな風に訳してみると、自分では腑に落ちた。

「対話とは、『世界』によって左右される二人が、その当の『世界』に名付けを行うために、邂逅することである」

ここで二人がmenと書いてあるのは男性中心主義だ、と1970年の文章に対して、今の文脈や政治的正しさ(political correctness)から目くじらを立ててはいけない。そうではなくて、英語を読んでみてわかったのだが、当の「世界」に縛られているはずの二人、しかも抑圧者と被抑圧者の関係にもなりうる二人が、偶然に出会って、そこからお互いが納得できる形で新たに「世界」を名付けなおす。既存の「世界」への言明に唯々諾々と従うのではなく、二人でコンセンサスを得る形で、「これってこうなっているんだよね」と状況を主体的に定義し直す。その過程の中から、「どうせ」「しゃあない」と諦めきっていた状況が変化し、「もしかしたら変わりうるかもしれない」「事態が打開できるかも知れない」という希望が宿ってくる。つまり、この対話の過程に、希望の生成過程があるのではないか、そう感じたのだ。

先ほどの陰陽師の話に戻ると、「あ、俺って恋しているかも」って心の中で唱えることによって、恋が始まるケースなんて、これまで少なくともタケバタにはたくさんあった。正直に言えば、気が付いたら誰かを本当に好きになっている、なんてことはなく、「好きなんじゃないかな」という名付け(name)が心の中でなされてから、後付的に心の中にその気持ちが宿り、時間を経て熟成されていったような気がする。その行為をクールに言えば、岡野玲子が安倍晴明に語らせた様に、「愛しいと思うその気持ちに名をつけて呪(しば)れば恋」なのだ。

ここで肝要なのは、「気持ちに名をつけて呪(しば)」ることである。つまり、名付ける時点までは「なんとなく」というとりとめもない感情に、「恋」という一つの概念、イメージ、方向性を与えて固定化・確定化させてしまうことが、「呪」の本質である、ということだ。その時点までは、友達以上恋人未満、で、なんか良い感じ、だけど、どうなんだろう・・・っていうもやもやした中途半端な気持ちに、「恋」という命名をしてしまうや否や、私たちは当該文化における「恋」のドレスコードに見事に拘束される。「これって恋、かも!!??」という枠組みに囚われるやいなや、それまで意識しなかったのに急に相手のことを意識しはじめるし、どきどきもするし、他人の恋バナが急に気になるし、めざましテレビの「今日の占いカウントダウンハイパー」を急に真剣に眺めはじめるのだ。いやはや、人間って、なんて単純なんだろう。(え、人間じゃなくて、それはあんた自身のことじゃないかって?ええ、その通りでございます)

恋愛話で脱線したが、日本語を運用する私たちは、日本文化がその言語に託したイメージを、その語を口にすることによって、内面化してしまうのである。だから、「しゃあない」「どうせ」と口にすればするほど、そのイメージなり世界を内面化してしまい、ますます「しゃあない」「どうせ」スパイラルに陥るのだ。(また脱線するなら、演歌的歌詞の世界はスパイラル世界の究極的形、とも言える。) そして、そこから抜け出す方法として、フレイレが「対話」という手法を編み出したから、この本が世界中で売れた名著になったのだ。そういえば真っ赤な表紙の英語版は30周年記念版なのだが、「世界中で75万冊売れた」って書いてあるしね。

で、恋バナ関連で妙に盛り上がってしまったので、肝心の「対話」の話を書こうと思ったら、あれまあ今日もお弁当を作る時間になりました。では、続きはまた。

限界状況を超えること(その1?)

 

日曜は東京で有志が集まっての勉強会。真面目に議論する場があると、にわか勉強にも弾みがつく。取り上げたのが、パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』(亜紀書房)。30年以上前の古典だが、噛めば噛むほど味わい深い。以下、議論で出たことも踏まえながら、備忘録的に面白かった部分をふくらましておきたい。

全員が各自本を読んだ上で、担当者がレジュメを切って発表、というスタイルだったのだが、当日発表者のHさんの次の箇所にまずはピピッと来てしまった。

「相互主体的な関係にある人と人の間で世界を指し示す(name)言葉が発せられ、対話となる」(Freire pp.88-89)

nameなんて部分があったっけ?と思って本をめくるが、なかなか該当箇所にたどり着かない。それもそのはず、Hさんは英語版の“Pedagogy of the Oppressed”を読んでいて、それを元にレジュメにしてくれていたのだ。で、該当部分を確認して、日本語訳を見てみると、こんな風に書いてあった。

「対話とは、世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間との出会いである」(訳文p97)

「命名」と言われても、もう一つピンとこなかったのか、ここにチェックは入れていなかった。だが、世界を「指し示す」(=名付ける“name”)といわれて、しかも、Hさんのレジュメのその下には、こんな気の利いた参考文献までついていた。

「ものの根本的な在様を縛るというのは、名だぞ」「この世に名づけられぬものがあるとすれば、それは何ものでもないということだ。存在しないと言ってもよかろうな」(夢枕獏『陰陽師』文春文庫)

僕は思わず膝をたたいた。何故って、僕もこの『陰陽師』の「呪」(しゅ)という考え方を思い出していたからだ。聖書の「初めに言葉ありき」も同じだが、世界に名前を付けて、口に出すから、その世界が始まる。たしか、安倍晴明は、口に出して言うということは、すなわちそこに言霊が宿り、そこから恨みも含めた気持ちが込められる、だから安易に口にしてはならない、というようなことを言っていたなぁ、と、岡野玲子のクールなタッチの漫画を思い浮かべながら、連想していたのだ。(本当はこの先に言語論の展開もあるのだが、「ある」ということを知っているだけで、不勉強なタケバタはそれ以上論じる力量はございません)

で、世界を「指し示す」(=name)することが出来る、ということは、その世界に対して自らが枠づける(frame)ことも出来るし、場合によっては枠組みを変更する(reframe)ことだってできる。キリスト教的にはこの命名は「神のみぞ知る」世界なのかもしれないのだが、実は「被抑圧者の教育」においても、このことは決定的に大切な要素を持ってくる。「どうせ世の中って・・・」と悲嘆にくれる、現実世界を「諦め」ている人々の多くが、自らが決めた枠組みではなく、他人の(=フレイレの文脈では「抑圧者」の)枠組みを「宿命論」として受け入れている。そして、「宿命論」として受け入れている枠組みに対しては、疑う、という行為は起こりようがない。だが、自らを呪縛している枠組みの状況(=フレイレはそれを「限界状況」(=limit situation)と整理している)について自覚的になり、これってこういう枠なんだよねぇ、と世界を「指し示す」ことが出来れば、その枠組みに対する「捉え直し」をすることが可能であり、それはこれまで宿命論的に受け入れてきた自身の世界観の変更(reframe)にもつながるのだ。

「この状況そのものを課題として人間につきつける。状況がかれらの認識対象になるにつれて、かれらの宿命論を生み出してきた閉じられた呪術的知覚は、現実を知覚する時でさえもその知覚行為自体を知覚することができ、かくして現実を批判的に客体化することができる知覚に道を譲り渡すのである」(訳文p90)

そして、この「呪術的知覚」と「知覚行為自体を知覚」の違いの背景には、教育観の二つの違いがあるのだが・・・ぼちぼちお弁当を詰めて「テスト監督」に出かける時間なので、この続きは、また次回に。

ミッションとポジション

 

前回、甲府で微弱な揺れがあったことについて書いたが、先週末にはご案内の通り、中越で大震災が起こる。仕事場からの帰りのラジオで、「渋滞が発生し、乾パン以外の食料が届けられていない避難所がいくつも存在する」という報道に接すると、胸が痛む。学生時代であれば時間があったので、何かお役に立てれば、と現場に駆けつける事が可能だった。今は予定がタイトに入っているので、義捐金など別のやり方を考えなければ、と思う。

現場に駆けつける、と言えば、もう10年近く前、トルコでおそった大震災(トルコ中西部地震)の後、被災地KOBEから義捐金と復興に向けた経験を伝えよう、という想いの詰まった救援チームが結成された。専門性も何も持たない大学院生だった私も、ひょんな契機からこのチームに参加する事となる。「自分なんかが行っては邪魔になるのでは」という思いで一杯だったのだが、チームの一員になってしまった以上、現地到着後、とにかく自分にも出来ることを、と必死になって探し、チームの活動記録の作成や日本へのレポート送信などの後方支援活動のお手伝いをしていた。当時は「何かお役に立ちたい」という強い思いと、「でも僕なんかが行っても足手まといになるのでは」という無力感に引き裂かれ、とにかくしんどい想いだった。

しかし、今になって思うと、マスコミ報道などの断片的なこと以外、日本ではあまり知られていなかった被災地の現状を伝える、という仕事にも、一定の役割はあった、と思う。その昔、ボーイスカウトで緑化募金などをやっていても、義捐金がどう使われるか、について集める当の本人が理解していなかった。そういう「寄付金の宛先」についてディスクロージャーする役目が、現地での活動を報告する、という役割にもあった。「兵站」「ロジスティック」なんて言葉は当時は全く知らなかったが、そういう「縁の下の力持ち」の仕事をあの当時はしていたのである。

ただこれも、その後いくつもの国際会議などに参加して、ロジスティック担当(=ロジ担)の方々の活躍ぶりを垣間見て、その仕事の重要さを理解して、今にしてようやく「ああ、トルコでは僕もロジ担だったんだねぇ」と整理できた。ところが視野狭窄の当時、そういう「後方支援」の本質を理解していなかった私は、前方支援に立てない自分の無力さ・歯痒さで一杯いっぱいになっていたのだから、本当に情けない限り。「自分が」何かをする、という「自分」意識が前に出るが故の問題なのだ。被災地のためにチーム全体がうまく機能することが第一のミッションならば、専門性を持たない自分のポジションで何が出来るか、という全体像の中での自分の位置づけを考え、出来る範囲の最大限の仕事をすればいい、というクールさが足りなかった。使い古された言葉だが、cool headなきwarm heartの限界を、今改めて感じる。

話は変わるが、このcool headwarm heartは、先週末に開かれたシンポジウムの壇上でも聞いていた言葉だった。長野における障害者の地域支援体制を作り上げてきた第一人者のお一人、福岡寿さんを迎えてのシンポジウムで、福岡さんの口から、長野ではどう地域作りを「仕込む」か、についてcool headwarm heartを持って次々と手を打ってきた、という話を伺う。

2年前の自立支援法制定時に既に、「これからは市町村が主役だから」と、私が今やっている全市町村周りも既に終えておられた福岡さん。各地域の底上げをするなかで、もちろん前提としてwarm hearを持ちながら、地域の資源をどううまく活かして地域支援というミッションを育んでいくか、をcool headで分析した上での行動であることが、福岡さんの講演の端々にほとばしっていた。私自身、山梨でお手伝いをする立場にいて、福岡さんほどの視野の広さを持ててはいないが、せめて10年前の頃よりは「全体像」を意識したいものだ。間違っても「自分が」なんて囚われに陥ることなく、「山梨の豊かな地域支援作りというミッションを実現するために、私のポジションで何が出来るのか」というチームの一員としての意識を持ち続けたい。

そう、どんなポジションであれ、ミッションという全体像を忘れないポジショニングを意識化・内面化できれば、過たずに真っ当な行動が出来る。トルコと長野の話をつなげていくと、こういう整理が見えてきた。

二つの世界

 

今朝は地震で目覚める。微弱な揺れだが、久しぶりにグラッとくると、嫌な感じ。
今日は5時半頃の揺れだったが、それから15分後の阪神大震災のとてつもない立て揺れが酷かったので、それを思いだして、嫌な感じになっていたのだ。まあ、今日は微弱な横揺れで、当時は11階、今日は3階、なので大きな違いだが。

嫌な感じ、というと、昨日は本当にその感じが続いていた。前日最終の「かいじ」で東京から帰ってきたので、寝不足だった、というのがベースにあった。その上に、仕事上のストレスやもやもや感、そして運動不足にさらには湿度の高さまで加わって、全体的に鬱々とした気分だったのだ。口をつくと、ネガティブな言葉しか出てこない。こういう時は部屋の掃除をするに限るのだが、掃除をしてみても、まだ気分は超低空飛行。これは、フィジカルな環境を変えねばまずい、と、その日に〆切の書類だけ何とか仕上げ、早々に大学を退出。5時前にはジムの人に。エアロバイクにサウナでこってり汗をかくと、ようやく心も体も楽になってくる。なるほど、水が溜まっていたんだねぇ。科学的な説明ではないが、イメージ的には体内が余計な水分で充満していたような感じだったので、水抜きして飽和状態から下げると、ぐっと楽になる。私の場合、気分の落ち込みは、身体的変調とリンクしていることが多いんだよなぁ、とつくづく感じる。

昨日のジムのお供に選んだのは、積ん読本だった一冊。インタビュー分析のために読まねば、と半ば義務的に持って行ったのだが、目を見開かれる思いがした。

「同一の世界について異なった経験が生じれば、それらはこの決定的な世界、つまり信任された世界と対立するものとして吟味され、表現され、誤った経験として扱われる。そして結局は誤った主観性の産物とされてしまうのだ。」(メルヴィン・ポルナー「おまえの心の迷いです-リアリティ分離のアナトミー」『エスノメソトロジー』せりか書房、p45)

昨日のジムに行くまでの鬱々とした気分。自分にとっては、どうも変な(=誤った)感じがしていた。だから、ジムで汗をかきながら、なんとかその感じを元に戻そうとしていていた。この変な、あるいは元に戻そう、という感覚は、「信任された世界と対立する」経験なのだ、という確信から生じる。一方で、「異なった経験」をしている、という事実はあるが、「信任された世界」への「決定的」な信頼があるがゆえに、その「異なった経験」のストーリーにはまりきることはなかった。「今日はあかん日やなぁ」と鬱々としていても、「いつもはそんなことはない」という「信任された世界」へのリアリティがまだ確実に残っているから、「信任された世界」に戻ることが可能だ。だが、それが戻れなくなるポイント、というのも確実に存在している。

「自己の最初の世界経験の正当性に対してコミットメントを放棄した者が再び基礎づけを獲得するのは、彼が以前に敵対していた者の世界経験を受け入れた後だけである。自己のコミットメントを変えること、つまり転向とはかつて敵対した集団に自己を加入させることに結局なる。彼は今や仲間であり、彼らの経験世界を共有する。彼が仲間だというのは、彼が『何が実際に起こったか』について彼らの世界経験に従い、それを準拠点として自分の昔の主張や経験がもとづいていた方法を主観的であり、にせもので、誤っていたことを明らかにするからである。」(同上、p62)

筆者はこの「転向」を「一つの基礎づけから別な基礎づけへの跳躍」(同上、p62)とも言っている。
僕が昨日体験していた鬱々とした気分は、まだ「一つの基礎づけ」の「世界経験」の枠内にあってのものだっただけに、「逸脱」経験の範疇の中にあり、「今日は変だ」という形でのコントロールなり、対処が可能なものである。だが、その「逸脱」経験が毎日継続的に続いていくと、やがて「逸脱」状態が常態化するようになる。すると、これまでの「基礎づけ」そのものへの不信感が募ってくる。「敵対していた者の世界経験」に近づいている、という意識を、それとは違う「世界経験」と併存させておくことは、すごくしんどい。だから、そのとき、元の世界に戻るか、別の世界に「転向」するか、の選択を迫られるのである。この「準拠点」の選択は、「跳躍」を時として伴うものであり、いったん飛んだら、もとの世界に戻れないものなのだ。

なぜそんなことが気になるのか? ポルナー氏の議論の先には、このような整理がなされている。

「研究者の世界経験がそれ以外の世界経験を考察するための準拠点として確立される。少なくとも分析者本人や彼の研究仲間は、分析者の世界経験に特権的地位を与えているため、それ以外の世界経験はただ単にどのような社会学的メカニズムや心理学的メカニズムによって維持されているのか探求されるだけになり、結局は皮肉られるのである。ここで分析者は、自己の世界経験に特権的な地位を与えることによって、まさに経験の政治学に従事しているのである。なぜなら、『何が実際に起こっているのか』を決定するとき、競合する世界経験に直面し、それに逆らっても自己の世界経験を準拠点として使うことによって、分析者はもはや合意を伴った経験のとどかない一つのコミットメントを選択し、それに基づいて行為しているからである。」(同上、p72)

ここに至って、最近繰り返しこのブログにも書いている、枠組みの限界性、ということと、ポルナー氏は同じ事を伝えていることに気づく。“You are wrong!”と何らかの対象に対して「問題がある」と宣言する時には、その背後に“I am right.”という暗黙の前提がある。この前提は、客観的なものを装っているが、実は「競合する世界経験」の中で、「合意を伴った経験の届かない一つのコミットメントを選択し」た上での判断基準なのである。つまりは、“I am right.”というのは、「自己の世界経験に特権的な地位を与える」ための、きわめて「政治学」的な言明なのである。

さて、話を昨日の話に戻してみよう。
私は昨日、大変鬱々とした気分だった。そして、それを「いつもとは違う」という形で「変だ」と有徴化してみていた。そのため、ジムに行き、サウナにも入り、汗をかいてスッキリして、「元に戻った」。これは、状態がその前の日と同じような形に戻った、つまりは「一つの基礎づけ」の枠内に留まったからこそ、昨日の自分を「皮肉る」ことが出来る。だが、もしも昨日のような気分がずっと続いていたら、どうなるのだろう? 「皮肉」ろうにも、その状態がずっと続いていたら、それは笑えない話だ。それまで自分が「競合する世界経験」と考えていたものを内面化してしまうと、「準拠点」そのものが揺さぶられる。その際、「転向」し、「自分の昔の主張や経験がもとづいていた方法を主観的であり、にせもので、誤っていたことを明らかにする」営みか、「自己の最初の世界経験の正当性」に固執する営みか、その二者択一しかないのだろうか? リアリティ分離の状態にあって、引き裂かれつつも両義的に考え続けることが出来ないのだろうか? この両義的な思考がなければ、障害者福祉の研究なんて所詮無理なのではないか?

そんなことを考えていた。

視座の往復

 

気が付けばもう7月。
ももやすももが美味しい季節になってきた。大家さんに頂いた甘酸っぱいすももを、今朝も三個ほおばる。

ここのところ、朝は6時前には目覚める。年を取った、のもあるかもしれないけど、カーテンのすき間から覗く明るさと気持ちのいい鳥の鳴き声(たまに鬱陶しいカラスの声もあるけれど・・・)で、勝手に目が覚めるのだ。以前はそれでも「まだ後1時間」と無理して眠ろうとしていた。だが、「身体が起きるのなら、起きて活動した方がいいよね」と思い直し、一人サマータイムの導入。その代わり、もう11時には眠くて床に入っております。

さて、最近読んで「おもろい切り口」と思ったのが、佐藤優氏の視点。養老孟司氏が書評で褒めていた本を買って読んでみると、確かに面白くて、最後までスルッと読んでしまう。ある新聞に載せた時評と後からの注釈、という形で進んでいく本論はもちろん面白いのだが、むしろ後書きの方が気になった。

「第二の要素である分析の視座について筆者の考えを述べたい。
いまから約200年前、ドイツの哲学者ヘーゲルは、『精神現象学』を著し、この世界に現れる出来事をどのように解釈したらよいかについて、ユニークな方法を提示した。(中略)ヘーゲルの分析手法の特質は視座が移動することだ。ヘーゲルは、特定の出来事を分析する場合、まず当事者にとっての意味を明らかにする。対象の内在的論理をつかむことと言い換えてもよい。その上で、今度は、対象を突き放した上で、学術的素養があり、分析の訓練を積んだわれわれ(有識者)にとっての意味を明らかにする。更に有識者の学術的分析が当事者にどう見えるかを明らかにするといった手順で議論を進めていく。当事者と有識者の間で視座が往復するのだ。この方法が国際情勢を分析する上でも役に立つ。」(佐藤優『地球を斬る』角川学芸出版 p266-7)

「対象の内在的論理」と「有識者の学術的分析」「の間で視座が往復」すること。これが実に鮮やかに出来ていることが、この佐藤氏の時評を引き立たせている。彼は「この方法が国際情勢を分析する上でも役に立つ」と書いた後に北朝鮮の「内在的論理」に肉薄し、「学術的分析」との「視座」の「往復」を鮮やかに示してみせるが、これはなにも「国際情勢を分析」するときにだけ、役立つものではない。福祉の世界だって、全く同じ事が必要とされている。

インテークや地域診断、アセスメントという言葉で語られる時、「対象の内在的論理」を掴むことが念頭に置かれている。ただ、佐藤氏の分析を読んでいてハッと気づいたのだが、その際に「対象」からの聞き取りをしながらも、「内在的論理」ではなく「有識者の学術的分析」をこそ、優先させていないだろうか。「この人は○○できないから、△△しないと仕方ない」という言葉を、アセスメントの場面で聞くことがある。特に、認知上の障害を持つ方やコミュニケーションの障害を持つ方へのアセスメントの際、「有識者」の側が、「よくわからないから」という理由で、しばしば本人の「内在的論理」に肉薄せずに、「われわれ(有識者)にとっての意味」だけですませてしまう場面がある。これは、福祉の「有識者」も陥りやすい手法であり、「内在的論理」をくぐらせることなく、外形的基準(しかも標準化出来る基準)のみで判断することの危険性を、障害当事者は身体を張って訴えてきたのだ。

福祉の世界では、この往復は、すごく難しい。「内在的論理」をきちんと聞くと、そっちに引っ張られてしまい、「対象を突き放した」議論が出来なくなることもある。逆に、「有識者の学術的分析」を前提にしすぎると、当事者の訴えの中から、分析者の側の視点に馴染みやすい部分のみを選択的に抽出し、結果として本人の「内在的論理」の構築に至らないケースもある。この視点の往復こそ、難しいが、それが出来なければ、インテークや地域診断なんて、絶対に不可能なのだ。

私もここ2ヶ月で、以前から書いている「特別アドバイザー」の仕事で、28市町村のうち、23市町村の役場に訪問を終えた。出かけてみて本当によかった、と思うのは、県庁や県の出先機関に集まってもらって話を聞くだけでは絶対につかめない、各市町村(やその担当者レベル)の「内在的論理」を肌で感じることが出来るからだ。「特別アドバイザー」としては、たぶんに「有識者の学術的分析」が求められるのだが、それを「内在的論理」とはかけ離れた「べき論」で片づけてはならない。あくまでも一つ一つの自治体を思い浮かべながら、「有識者の学術的分析が当事者にどう見えるか」という「視座」の「往復」をしつづけるからこそ、その地域にあったアドバイスなり支援が可能である。支援もアドバイスも助言も、当たり前のことだが、標準化できるものではない。「学術的分析」に一定の柱があったとしても、あくまでも「内在的論理」との呼応関係の中でのみ、その柱は生きてくる。そのあたりをきちんと理解して対話し続けるか、が私の仕事にとっても大きな課題になっている。

国際情勢を分析する「インテリジェンス」から、私自身へのアドバイスをもらえるとは思ってもいなかった。