ぶれない原則

 

鍋では山椒の佃煮にブリ大根がグツグツいっている。

久方ぶりにちゃんと食事を作っている。日曜はお隣の長野県に出張。仕事のついでに立ち寄った諏訪の魚屋で甘エビにブリの刺身に生牡蠣をゲット。ついでに半額になっていたブリのアラも買って、夜の間に仕込んでおく。最近この仕込みの時間がとれなくて、なかなかきちんとした料理が作れないのが残念。だから、パートナーがもらってきた山椒も佃煮にするために、ついでに火にかける。つまみ食いしているうちに、口の中が「ぴりりと辛い」。でも、ゆっくり料理が出来るのは、至福の時間である。お供のコノスル(白ワイン)も美味だ。

というくらい、悲しいかな、最近はドタバタする日々。結局11月はブログの更新がたった三日。たぶん、これまでのワースト記録だ。土曜日には、このあやしいブログを読んでます、と仰る奇特な方にも遭遇。でも、こんなに更新が少ないと、さすがにもう読まれないよなぁ。と思ってみたり。

土曜日は東京で朝から学会主催の研究会に出席。自分の発表もあったが、他の基調講演や実践発表もすごく楽しめた。それだけでなく、事務局の人々の細やかな心遣いに脱帽。R大学の大学院生の方々なのだが、現場のソーシャルワーカーでもあるので、非常にしっかりした事務局体制で、かつ細やかな気を遣っておられる。アドミニストレーションがしっかりしている会は、本当に参加していて気持ちよい。ありがたい限りだ。

ありがたい、と言えば、なんと私の博論を読んだ、という方にまで遭遇。自分の論文は、誰も興味が持ってくれない蛸壺分野で水脈のない井戸を掘っている気分だったので、多少なりとも興味を持ってくださる方と遭遇出来るだけで、ありがたい。きちんと井戸を掘り続けなければ、と気持ちを新たにする。

で、強引に数珠繋ぎしていくと、気持ちを新たにするフレーズは、今日の風呂読書の一節にもあった。

「大学教員という恵まれた、安定した境遇に身を置きながら、そして自らの行動に目を向けることなく、自分の分析対象を厳しく断罪するのでは、おそらく多くの理解と共感を得ることは出来ないだろう。他人に向ける厳しい批判の目は自らにも向ける必要があるし、自分自身を許す行動は他人をも許さなければならない。(中略)反論の余地のない極めつけの言葉を並べられ、積極的な前向きの意欲がわいてくるわけではない。むしろ逆である。かえって意気消沈し、今度こそ本当にやる気を喪失してしまわないとも限らない。私たちは他人から理解され、評価されることによって、自らを動機づけることがある。極めつけはどの対極にあって、相手を全面的に否定してしまう。それが『理論』の名において、あるいは『専門家』の口から発せられることのマイナスの効果は絶大である。」(「『論理的』思考のすすめ」石原武政著、有斐閣 p113-4

商店街をフィールドワークにしておられる経営学者の箴言は、福祉の現場にもそっくり当てはまる。「反論の余地のない極めつけの言葉」がどれだけ巷にあふれているだろう。いくら研究者がああだこうだ言ったところで、結局の所、現場の最前線にたつ方々が「積極的な前向きの意欲」を持たない限り、何もかわらない。なのに、その現場の人々をディスパワメントするような言説が、何と研究者などの外野からはかれていることか。高見の見物、というのは、本当にたちが悪い。「『理論』の名において、あるいは『専門家』の口から発せられる」言葉には、好むと好まざるとに関わらず、権威やパワーがつきまとってしまう。だからこそ、そのパワーが現場の方々のエンパワメントにもディスパワメントにも繋がることに、自覚的であらねばならないのだ。

それは、今日のケアマネ研修の現場でも強く感じた。

今日から県のケアマネ従事者研修(初任者)の講義が始まった。今回、5日間のプログラムを、特別アドバイザーの立場から、コーディネートさせて頂いた。その関係もあり、今日もあれこれ喋っていたのだが、現場の皆さんを前にして、私が何を語るか、も大きく問われている、と実感。なんせ相手の皆さんは、私とは違い、実際の相談支援の最前線にたたれる方々ばかりである。自立支援法の批判をしたところで、その自立支援法を活用して、現場の支援を組み立てるべき役割をもたれている。「○○が悪い」といっても、実際に明日の支援にどう結びつけるのか、現場をどうよりよくするのか、が問われている方々だ。その方々に、多少なりとも腑に落ち、かつ元気になって現場に帰って頂くために、どのような講義内容が必要だろうか。そういうことも、ちゃんと考えると結構たいへん。でも、博論以後、ずっと追いかけているのが、そういう「支援者が諦めないための何か」なので、こういう現任者講習のコーディネートを任せて頂けることも、感謝感謝。

「自分自身を許す行動は他人をも許さなければならない」と言われたら、ほとんど何の行動も「許」しまくりになりそうだ。ただ、どんな場合でもぶれてはいけない原則として、「聞く耳を持つ」「変化を恐れない」「何とか自分の頭で理屈を構築」ということだけは、譲れずに大切にしている。これらを大切に護り、どう当事者の権利擁護を大切にした研修なり、支援なりが構築できるか? ここらが課題だよなぁ、と思いながら、仕事おわりの赤ワインも身にしみる今宵であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。