四年目の春

 

先週大阪に出張の折、久々にこのHPの管理人N氏とお茶をする。このHPの体裁を少しリニューアル出来ないか、という議論。

山梨に仕事が決まった時に、高校の後輩で今ではウェブ関連の仕事をしている彼に、HPのコンセプトを一緒に考えてもらい、一からデザインして頂いた。有り難い友人である。だが、ご案内のように、ブログ以外はほとんど更新が出来ていない。もちろん忙しいから、というのもあるのだが、それ以外に、HPのコンセプトに関する認識が、大学で講義をし始めて、だいぶ変わってきたから、というのもある。それは、自分自身のものの考え方の変化、というものと密接につながっている。

ちょうど4年前の今日、辞令交付式で初めて正規職員としての採用証書をもらった頃は、まだ大学の研究者、というより、頭の中身はそれまでのドメインであった「大学院生」「予備校講師」といったものが支配していた。そういうノリでHPの構築もしたし、授業の組み立てもしていた。勿論、その当時を振り返ってみて、その当時の考え方自体が間違っていた、とは思わない。だが、3年ほど研究や教育にフルタイムのプロ(対価を貰うという意味での)として携わる中で、その職業に関する認識やスタンスは徐々に、時には急激に変化していった。

ここしばらく、このブログ上で自身のスタンスの不甲斐なさ、中途半端さを新しい(再)発見に織り交ぜながら書いていたが、それをご覧になられたM先生が、「タケバタさんは今、反省モードなのですね」と仰っておられた。確かにそのモード、である。誰にもあんまり相手にされない、ぺーぺーの学生、のつもりでいたが、気づいたらその発言が多少影響力を持ってしまう立場に変わっていた。福祉関連の書籍や論文を読んでいて「つまんないよ」とブーたれていた一方的読者の立場から、時には「書き手」として「月並みな文章だね」と批判を受けはじめた。外野席から大声でヤジを飛ばしていた時から、内野席でコーチ兼プレーヤーとして、ヤジも含めて受け止めながら、試合展開に気を配ることになった。そして何より、一緒に学ぼうとしてくれる学生達と出合い始めた

こういったポジショニングの転換の中でも、もちろん元々持つ志向性や思考の癖、のようなものは変わっていない。だが一方、その方法論、というか、メッセージの伝え方、ものの受け止め方、といった広義のコミュニケーション戦略については、変えた方がうまく伝わりそうで、かつそれに合理的な理由があると感じられた時には、変え始めている。そのチャンネルの切り替えが十全に出来ているか、と言われると、それはまた別問題だが、とにもかくにも、職責を全うする、と言う意味でのプロフェッショナルとしては、ちゃんとそれをすべきなんだよなぁ、と感じ、行動しようとしている。その中で、研究者としてのポジショニングがどこにあるのだろう、とこの春休みにずっと考えていたから、ここ最近の(再)発見モードになっていたのだ。

先週末の大阪では、山梨に引っ越す前にずいぶんお世話になっていた、あるNPOに立ち寄り、大阪の「お母様」と「妹」と慕う二人の麗しい女性と議論。その場でもすごく感じたのが、「自分はもう、現場の人間ではない」という当たり前の事実だ。確かにそこにはコミットし、年に数回はその現場の活動に参加するし、電話でのやり取りも結構行っている。だが、3年という月日の流れの中で、当然の事ながら、その現場のリアリティは、第一線としては感じられなくなっている。だが、それを単に否定するのではなく、その上での「自分がその現場に返せる役割って何だろう」と考えていた。研究者として、生煮えの中途半端に小難しい言説を吐くことが、決して私に求められている訳ではない。そうではなくて、その現場の実践を、別の立場・角度から分析、整理、説明した上で、その現場の活動・営みが再び元気に・よりよくなってもらうような仕事がしたい、と願っている。明らかにアクションリサーチ的な、対象から離れて客観的に掴む、というより、その対象と寄り添いながら、しかも、その現場が上手く変遷していくお手伝いをしたい、という志向性が昔から強い。だからこそ、では「どう寄り添うのか」、「どう整理するのか」、「どう再定義し直すのか」といったことが問われているのだと思う。

これは自身が関わらせて頂いている県の仕事でも同様だ。昨年度1年間動き回ってみて、必死になって関わる中で、一定程度の認知と多少の信頼は、市町村行政や現場支援者、当事者の方々に持って頂けたのではないか、と思っている。そして、あと1年の任期の間に、では何が出来るか、が問われている。当然そこで求められるのは色んな要素があると思うが、寄り添い方、整理の仕方として現在自分が考えているのが、「特別アドバイザーの任期が終わった後も持続するシステム・考え方・方向性を、どのように作るか」ということだ。これまで行政に一貫性がない、とか、担当者が変わればコロコロ方針が変わる、と批判されてきた。当事者の思いや願いに基づいた政策、ではなく、あるいは政策主体的、とも言い切れず、その場その場で変わる部分は、どの行政をみても、ゼロとは決して言えないと思う。そして、そう批判される行政の中には、一担当者の思いではどうにもならない、構造的問題が色々あることも、少しは学んだ。

そういう所与の条件を加味した上で、自立支援協議会という枠組みを舞台に、どう当事者主体のしかけを作れるのか、そしてそれをどう引き継げるのか、が大きな課題だ。この仕事の後半戦に入って、変えてはいけないスタンスと、そろそろ変えた方が良い部分と、感じている。

そう、教育も、研究も、実践も、新年度で心機一転が求められている。そういう意味で、あのときの決意表明は「エイプリールフール」だったんです、なんて格好悪いことを言わなくてもいいようにしないと、ねぇ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。