社会の当事者として

 

札幌行きの飛行機の中で読み終えた本は、いろいろな意味で考えさせられる一冊だった。

「行政や政治が悪いと責めるだけで、社会はよくなるであろうか。市民の1人1人がこの社会を作っているのだ。暮らしやすい社会作りのために自分たちに何が出来るか、を考える時期でもあると思う。私たちは、消費者として金を払ってサービスを買うだけ、そして不十分なサービスに対してクレームをつけるだけ、自分は一方的な被害者で何の責任もない、という関係に慣れきっていないだろうか。たしかに、私たちは消費者でもあるが、社会の当事者でもある。人と人のつながりや安全な地域社会はお金で買えない。ガードマンを雇うだけで、地域の安全の問題が解決するわけではない。」(前田正子『福祉がいまできること』岩波書店、p207)

著者はもともと子育て政策についても著書があり、民間のシンクタンクなどで働いてきた専門家。自身も子育て中の母親として、中田市長就任時の4年間、副市長を勤めた。その中で、子育てだけでなく、福祉行政全般にわたって、副市長のポジションから政策的課題を解決すべく模索してきた専門家。そこで触れられる子育て支援や児童虐待、生活保護やワーキングプア、日雇い労働者の高齢化問題など、どれも待ったなしの問題であり、かつ告発調ではなく、何とかその現状を変えようと現場で奮闘する人々の声を丹念に拾っている。しかも、文章が読みやすく、説得力のある筆力。

山手線車内で読み始めたのだが、千歳空港到着時には一気に読了した。多様化・複雑化する社会問題と、それに比べて伸び悩む予算、行政に対するバッシングなどを整理していった後の、上記の一言は、大変に重く、説得力がある。そして、この文章に辿り着いて、その前の甲府から新宿に向かう「かいじ号」の中で読了した、別の本を思い出していた。

「高福祉・高負担の国は、みんなが高い負担を引き受け、みんなが高福祉の受益者となる仕組を原則としているのであって、一部の弱者を救済する手段として福祉を位置づけているわけではない。この場合、福祉とは社会全体の連帯を意味し、高額納税者であれ誰であれ、全員が何らかの形で福祉国家に暮らす恩恵を受けるようになっているのである。この論理が受け入れられるためには、国民の間に社会的連帯意識が成立していなければならない。そうでなければ、納税者たる自分に対するサービスが悪いという理由だけで、『官』という存在が非難されることになってしまう。(略)自分のカネが自由に使えず、税金や社会保険負担に多くを取られるような社会、それは、ある意味で不自由な社会だ。だが、その不自由さを悪だと決めつけることは、やや早計であろう。」(薬師院仁志『日本とフランス 二つの民主主義』光文社新書、p119

フランス在住経験のある社会学者の目には、アメリカや日本のように自由を崇高で最大限に尊重する民主主義、以外の選択肢がフランスにはあると見えてきた。それは、不平等な状態におかれた対象となる他者を支援するためには、時としては自分自身の自由を制限する(税金を多く納める、ストに不満を言わず支援する、自分の主観・価値観・利己主義的信条を押しつけない)こともいとわない、という平等重視の「社会全体の連帯」の民主主義、である。この社会学者の視点を、行政の最前線にいた前田氏の議論に絡めると、事態が立体的に見えてくる。

消費者への顧客満足度重視が至上主義となる自由主義的民主主義は、時として「不十分なサービスに対してクレームをつけるだけ」となりがちだ。だが、特に行政が関わる社会サービスの分野にあっては、「暮らしやすい社会作りのために自分たちに何が出来るか」を考え、暮らしにくい状態にある人のことも自分事として考える「当事者」意識、つまりは「社会全体の連帯」を基盤としたものの見方や関わり方も大切なのではないか。このお二人の主張は、山梨の現場のお手伝いに関わらせて頂いている僕自身にも、本当にその通り、と赤ペンで線を引きまくるように、納得していた。

だからこそ、これを整理していて浮かんだ問いは、小さくない。

「では、みんなが当事者意識を持ち、社会的に連帯していくためには、どうしたらいいのだろう?」

これは、大学で講義をしていても、明日のように講演に呼ばれて話す際も、いつも気にかける点である。日本人が当たり前に持つ、自由主義的資本主義を所与の現実としている限り、上記の整理は実に偏った極論に思える。だが、日本でもアメリカでもない国のリアリティに触れたとき、また、日本の国内であっても市場原理主義的ソリューションで解決できない福祉現場に直面したとき、私たちが当たり前にしているこの常識そのものへの違和感が生じてくる。そして、その中から見えてくるのは、行政を悪と単純に見なし、公務員削減と効率的小さな政府を是とするワンフレーズポリティックスに関する違和感である。これは、僕も福祉現場に関わらせて頂き、またスウェーデンに半年ばかし住んでみて、すごく感じた。そして、今、山梨の現場で行政や地域の皆さんと関わっていて、切実な問いとして、目の前に差し出されている部分でもある。

だからこそ、自身に問われるのだ。では、どうしたらその「違う現実」を伝えられるのだろうか、と。

そんなことを考えているうちに、エアポートライナーは8年ぶりくらいの札幌駅に、僕を運んでくれていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。