怒りからの気づき

 

猛烈に今、腹が立っている。
何に腹が立っているのか。それは、今、羽田空港からの帰りのバスの中にいるのだが、1時間、バスはほとんど動かない。石和の花火大会終了直後に巻き込まれ、全く身動き出来ないのだ。ただ、勘違いしないでほしい。この渋滞そのものは、確かにうんざりするが、それに腹を立てているのではない。腹が立つのは、この花火大会がある、という事実を、僕はバスに乗って運転手に言われるまで知らなかった、ということだ。空港で乗る前に教えてくれていたら、絶対に「あずさ」を選択した。後出しじゃんけんの様に、バスに乗った後になって「ご承知のように今日は花火大会があるので、石和以後、甲府竜王方面は相当に到着が遅れると思います」と言われ、しかもそれ以外の選択肢が奪われていること、このことにものすごく腹を立てているのだ。そして、ふと気づいた。この怒りは、あの怒りと同じだ、と。

火曜日朝一の飛行機で帯広に行き、水曜日は往復6時間かけて浦河まで遠征し、駆け足で2泊3日の調査に出かけた。久しぶりに師匠の取材に同行させて頂き、帯広と浦河、という、日本の地域精神保健を変えた二大先進地に出かけ、先駆者達のお話に耳を傾けたのだ。この二つの先進地の最大のポイント、それは「当事者の声に基づいた支援づくり」である。精神病という病のつらさ、だけでなく、この病を持つことによって様々な生活のしづらさ、人間関係のしんどさを抱えて生きている人に、どれだけ寄り添い、そこから支援を展開できるのか。この二つの地域はそのことに、真正面から向き合ってきた。そこで向き合った内容の一つに、前段で書いた僕の怒りと共通する怒りがあるのではないか、と思う。では、どういう点で、精神病者の方が感じたであろう怒りと僕の今の怒りが共通しているのか。それは、「理不尽なこと」というカテゴリーだと思われる。

突如襲った絶望的な現実。しかも、対処する術が、その時点でない。ただそのことを「諦め」るしかない。回避したり、被害を最小化する術もあったかもしれないが、この状態になった後にそう言われても、どうしようもない。怒りの持って行きようもない。とにかく、閉ざされた空間で、ただただ諦めて待つしかない。

ただ、僕の場合、この待つということも、所詮1,2時間程度の、終わりがある「待つ」である。この1時間で、1キロも進んでいないこと、そして抜ける術がないこと自体は本当に腹立たしいが、後1時間もすれば抜けれる(はず)である。終わりが見えている。しかし、精神病の場合、一過性のものではない。いつまで持続するかわからない不安。ずっと奈落の底に落ちていくのではないかという焦燥。以前の自分に戻ることが出来ないのではないかという絶望。それらが合わさった怒り。そんな理不尽の渦の中に放り込まれたのなら、どれほど激しく怒り、どれほど深く絶望するだろう、と考えてみる。それで僕自身の怒りが収まる訳ではない。だが、こんなもんじゃない怒り、とはどれほどのものか、と思うとき、その怒りに寄り添うことの意味合いをすごく感じてしまうのだ。

僕が今、ここで相当に怒っていることの理由として、お腹がすいていること(なんせもう夜10時だ)、疲れていること(二泊三日の強行軍の疲れが一気に出ている)、抜け出せないこと(バスから降りれない)、1人でいることなどが挙げられる。精神疾患でも、病気から抜け出せないことだけでなく、不眠や幻聴などで疲れがたまっていること、人間関係にひびが入って1人でいる孤独、働けなくなってしまった場合にはそれに加えて食事も含めた生活の維持に関する不安も重なるだろう。これらの不安が怒りに、そしてやがては絶望へと結びつくのだ。

では、この状態を変えるために、どうすればいいのか。まず、「抜け出すこと」は容易ではない。そもそも、抜け出せないことから、この怒りや絶望は始まっているのだ。では、現実的な対処として、お腹を満たしてほしい、それが無理なら(確かに鞄の中には弁当はない)、まずは「大変だねぇ」と共感してほしい。そう思っていたら、妻から電話があり、愚痴をぶちまけ、多少はすっきりした。そう、浦河も帯広も、精神障害者のしんどい現実に、まずは寄り添い、共感するところからスタートしていた、と今回の取材の中でわかったのである。(疲れているから、少し強引なつなぎに見えるかもしれないが)

セルフヘルプグループ研究の大家の上智大学の岡知史先生は、その著書の中で、セルフヘルプグループの三段階を説明している。同じ悩みや苦しみを持つ当事者同士が集まって、まず自分たちのしんどさを「わかちあい」できることが、出発点だ。その中で、苦しみを対象化し、そこから「ひとりだち」するきっかけが出来てくる。その過程の中で、苦しさや怒り、絶望や諦めといったものから「ときはなち」がうまれる。また、自身を押さえつけていた環境を変えようと、「ときはなち」は社会変革へも向かう。浦河や帯広でみたことも、このセルフヘルプグループの動きそのものであった、とも言える。絶望や怒りの渦の中にいる当事者であっても、同じ渦の中にいるもの同士なら、その苦しさや怒りを含めて共感(=わかちあい)が出来る、というのが、このセルフヘルプグループの最大の魅力であり、入口なのだ。

今、石和の交差点の大渋滞をようやく抜けだし、次は横根の信号までの混雑でまだのろのろ運転だが、多少動き始めたバスの中で、タケバタにはこの怒りを同時期に共感し合う仲間はいない。だが、読み手のあなたと「わかちあう」ことを目指したこの文章を書く中で、少しだけ、この怒りから「ときはなち」が出来、本来の自分の有り様に「ひとりだち」する契機をもらった。なるほど、どんな経験でも、考えようによっちゃあ養分になるのですね。でも、早くおうちに帰って、本物の養分(夕食)にありつきたい。バスは2時間弱の遅れが見込まれながら、少しずつ甲府駅を目指している。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。