二つの裁量

 

伊勢湾の朝日をホテルから眺める。山梨にはない光景である。もやがかかった昨朝とは違って、今朝の上空は澄んでいて、17階からは伊勢湾ごしに対岸の知多半島をもぼんやり眺めることが出来る。京都の盆地に生まれ育った僕にとって、水平線を眺められる、というのは、なんだか珍しく、故に大好きな光景の一つだ。

昨日は、ご当地の障害福祉に関わる方々の職員研修に関わらせて頂いた。その後、とある若手の自治体職員と話していたら、ぼそっと次のような感想を漏らされた。「目の前の仕事をこなすだけで必死だったけど、福祉の仕事って、理想を持ってやってもいいんですね。」 

どれほどの対価よりも、こういう感想ほど、嬉しいものはない。研修って何のためにやるのか、というと、もちろん知識や技術を伝えるのも大切だけれど、一方でその知識や技術を何のために使うのか、という魂の部分、というか、志の部分を伝えることも大切だ、と感じている。青臭いかもしれないけれど、そういう心意気は、ご自身の仕事の方向性に大きく影響している。

福祉の仕事は、特に市町村など最前線で行う業務は、その担当者のやる気や心意気、考え方といった一個人の裁量で、大きく変わる部分がある。これをリプスキーは「ストリートレベルの官僚制」として批判した。確かに、その担当者が「障害者は家族が基本的に支えるものであり、行政サービスはあくまでもどうしてもサポートできないかわいそうな人への残余的なものだ」と考えるなら、その人へのサービス支給決定はすごく限定的なものとなる。その一方、「重い障害があっても、この人は地域で自分らしく暮らす権利があるし、それを行政として、限られた財源の中でもどう支えられるかを一緒に考えたい」という気持ちで臨めば、相談支援事業者との連携の中で、何かを産み出すきっかけになるかもしれない。

つまり、行政担当者の裁量は、ポジティブにもネガティブにも働きうるのである。そして、厚労省が「好事例」として全国的に広める事例の中には、こうしたポジティブな裁量を活かした最前線の職員の努力の中から、現場の変革に結びついた場合も少なくない。福祉の世界では90年代以後、「カリスマ職員」という言葉がはやったが、彼ら彼女らの「カリスマ」な理由は、当事者の声にふれあい、自分の枠組みを超え、裁量権をポジティブに発揮して現場を変えてきたことが、滅多にない、カリスマ的な存在であったゆえ、と認識している。

そして、自立支援法の中で、相談支援体制や地域自立支援協議会のような、そういうカリスマ職員が個人的に切り開いてきたネットワークを公的な責任の下で行う「枠組み」が形作られた。だが、私が研修に呼ばれたように、おそらく全国的に、こういう「枠組み」をどう活かしていいのかわからない、という事態は少なくないと思う。これは三重や山梨だけでなく、この前、相談支援従事者初任者研修で訪れた札幌でも痛感したことである。つまり、形作って魂入らず、という事態が、今全国で見られているのだ。

だからこそ、研修の局面で、これまでの障害者福祉の流れを説明した上で、権利擁護やノーマライゼーションをキーワードに、どうして相談支援が大切なのか、を伝える仕事は、重要性を増してくる。その中で、仕事をされる最前線の方々が、自身の仕事にどのような意味や背景があり、どういう方向に向かって、どんな裁量を活かすことが、その地域の障害者福祉を充実するために大切なのか、に自覚的であってほしいからだ。そういう意味では、微力ながらも研修では知識や理念だけでなく、そこに魂を込めようとするし、それが伝わって冒頭のような感想を頂けると、少しはお役に立てた、という実感がわいて、すごく嬉しくなってしまうのだ。

もちろん、だからって図に乗ってはいけないし、乗るつもりもない。こういったことを人前で話せるようになったのは、多くの方々の実践から学ばせて頂いた叡智を、自分なりに受け止め、整理したにすぎない。つまり僕自身が、先人の多くのバトンを引き継ぎ、会場で聞いてくださっている方々に次のバトンを託したにすぎない。そういうバトンリレーの中で、制度だけでなく、魂も引き継がれていくのだ、と感じている。そして、引き渡した僕は、また次のバトンをもらうべく、次の地点に向けて、走りながら考え続けるのだと思う。その中で、時には論文や原稿という形で、時には講演、ある時には授業という形で、後の人にその走りながら考えた事を整理して、伝え、共有していく役割が自分なのかな、とも感じている。そういう意味では、研究者と言うよりは、媒介役としてのメディア的存在であるのかもしれない。

その際に、文字の原義である中間的存在、が「中途半端」にならぬよう、更に勉強せんとまずいなぁ、と思いつつ、これから大阪に向けて旅立つのであった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。