峻別する視点

 

「テクストは、語ることによって騙り、(語ってよさそうなことを)語らないことによって語るのである。」(竹内洋著『丸山眞男の時代』中公新書、p201)

戦後最大の知識人の一人である丸山眞男の膨大なテクストや、それ以上に山ほどある「丸山論」を図として、その背後にある「語ってよさそうな」語られていないこと(地)を探りながら、大学や知識人、ジャーナリズムの果たした歴史的役割やその変遷を捉えた一冊。

以前取り上げた間宮陽介氏による「丸山論」が、正統派、というか、「彼がどのような問題と格闘したかを理解する」ために、「思想家という生身の人間の歴史と社会の歴史とそして思想の歴史という三つの歴史の交わる地点」を丹念に追いかけた力作とするならば、竹内氏の新書は、蓑田胸喜という戦前・戦中に活躍した右翼思想家を丸山理解のための「補助線」として用いることによって、「語ることによって騙」られている、つまりは無意識or意識的に外されている論点を焙り出そうという手法である。テキストを徹底的に読み込むことによって「語り」の背後にある著者の格闘を追体験しようとする間宮「丸山論」と、外側にある「語らないこと」から新たな丸山像を出そうとする竹内「丸山」論。対称的な両者の論だからこそ、図と地をつなぐ事が出来、複眼的に「丸山眞男」を通じての現代史を振り返ることが出来た。甲乙つけがたいほど、両方ともオモシロイ。

ただ、今回の竹内「丸山論」の最大の面白さは、丸山が代表する主流派知識人に対して糾弾姿勢をとった戦前の「蓑田的なるもの」(国家主義)と、戦後の「全共闘世代」(マルクス主義)が、「政治的教養主義としては等価なもの」(p286)と整理してみせた部分や、あるいはその補助線を元に次のようにまとめているポイントなどであろう。

「晩年の丸山の研究は、長い間、生理的嫌悪の対象でしかなかった蓑田・原理日本社的なるものへの正面からの格闘であった」(p272)

「補助線」の活用によって、「(語ってよさそうなことを)語らないことによって語る」部分とは何かを指摘し、丸山の意図をより立体的に焙り出そうとする著者の論点の鮮やかさが際立っている部分のひとつでもある。

僕自身は思想家ではないし、なれる能力もない。だが、一読者として、ジャンルは別だけれど研究の世界の端っこにいる人間として、この竹内氏が焙り出す「方法論」は、多いに学ぶ点がある。冒頭に引用したが、テクストの中から、「語ることによって騙り」、つまり煙に巻かれている部分と、「(語ってよさそうなことを)語らないことによって語る」部分を峻別する視点をこそ、ちゃんと持ちたいよなぁ、と思わせてくれる一冊だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。