暗黙の価値観

 

3日(日)の朝日新聞3面と社説では、介護・看護における外国人労働者の受け入れに関する記事が大きく載せられていた。そして、社説のタイトルは「ケアの開国」。こういう記事を読んでいると、何だかなぁ、と思ってしまう。それは、記事が暗黙の前提としているいくつかの「事実」が、強く一定方向の「価値」を帯びている、と感じてしまうからだ。

例えば、外国人労働者を受け入れる前提として「人手不足の解消」というのが、「事実」として語られる。しかし、そもそも「なぜ」人手不足なのか、については、「労働環境がきびしく」としか書かれていない。では「なぜ」労働環境が厳しいのか、について、言及することなく、社説では次のように書いている。

「まずは働く人がそこでがんばろうと思える職場に変えることだ。特に介護の職場では、重労働のわりに低い賃金が離職の主な原因になっている。そのような労働条件を放置したままで日本で腕を磨こうと海を越えてくる人たちを失望させてしまうのではないか。来日志望者たちは、高い学歴や実務経験があり、将来はリーダーになれるような人たちだ。」

これを読んで、ボンヤリ頭の私でも、「おいおい」と思ってしまった。たった数行のこの文章は、事実の表明ではなく、多くの価値が投影されている。前半の「介護の職場では、重労働のわりに低い賃金が離職の主な原因になっている」という所までは、否定出来ない事実だ。だが、その後、急に外国人労働者が「失望」と書いてある。しかし、ちょっと待って、そもそも、人手不足になっているのは、この「労働条件の放置」にまず「失望」したのは、国内の労働者ではなかったか? その国内労働者が「もう介護分野には戻って来ない」という価値判断をした上で、更に「来日志望者」は「将来はリーダー」になる、つまり「介護分野は外国人労働者が支配的になる」という価値判断をしている。さらっと事実言明のような装いをしながら、大きな分岐点を軽々と超え、価値判断をしている。この価値判断、本当に正しいの?

大阪にいる時にはよくわからなかったが、山梨に来てよくわかったことがある。それは、特に地方出身の若者の多くが、自分が生まれ育った地方で暮らしたい、と願っている、ということである。親の面倒を見たい、住み慣れた地域がいい、東京は怖いいろんな理由があるが、ともあれ、生まれ育った地域で住みたいという人は少なくない。だが、大都会以外では、安定した収入を確保出来る労働が少ない。だからこそ、私の所属校のように、公務員試験に受かる学生が多い、という大学には、全国各地の「地方」とよばれるエリアから、多くの志願者がやってくる。ゼミ生に聞いても、「実家の近所で安定収入があるって、やっぱ公務員くらいしかないっすから」という答えが返ってくる。そして、生まれ育った地域での「安定収入」、という幻想が、少なくとも3年前くらいまで、介護の分野でも続いていたのではないか?

介護は、全国あまねく全ての地域で必要とされる。しかも、地方に行けば行くほど、そのニーズは一般的にいって強い。地元経済が弱い(少ない)地域であっても、確実に要介護者はいる。だから、介護や福祉の分野なら、食いっぱぐれはないだろうし、地元でずっと暮らせるのではないか? 90年代の福祉学部のバブル的増加や、社会福祉士・介護福祉士など空前の国家資格取得ブームの背景に、こういう「地方のニーズ」が少なからずあったと思う。しかし実態はご案内の通り、政府の社会保障費の伸び率の抑制等により、介護報酬を減らし、看護の世界でも人手不足が激しい。「重労働のわりに低い賃金」という現実が構成されている。福祉学部の定員割れも、ここ一二年ひどいらしい。だが、ここで朝日の社説では外されているが、この現実を変えたら、私はまず日本人の労働者が戻ってくる可能性があるのではないか、と思っている。

勘違いして頂きたくないのは、私のこの整理は、外国人労働者の排除を意図しているのではない。そうではなくて、まずは国内労働者の、特に「地方で働きたい」というニーズに応えていない中で、付け焼き刃的に「安かろう」の発想で外国人労働者をこの分野に導入することは、結局のところ、当の外国人労働者だけでなく、日本人の潜在的労働者の排除にも繋がるのではないか、という点である。

昨年の2年生ゼミでは、介護労働者の労働実態に関して県内での調査を行った。その中でわかったことは、介護の仕事にやりがいを感じる人は全体の53%に達する一方で、賃金に不満のある人は46%という結果だった。この結果は県の社会福祉協議会の季刊紙に掲載して頂いたが、結構反響が大きく、報告書が欲しい、と、いう問い合わせもいくつかった。(その掲載紙「やまなしの福祉」2008年5月号はネットでみれます)

介護保険スタート以後、介護労働に関わり始めた労働者の少なからぬ数が、仕事そのものにはやりがいを感じている。だが、その一方で、低賃金という待遇上の問題から、離職を含めた検討をしている、というのだ。つまり、人手不足はその労働自体の魅力のなさ、ではなさそうだ、というのが、山梨で調査したゼミ生達の調査から明らかになっただけでなく、実はこないだ発表された全国調査も同様の結果だった。介護労働安定センターの調査によると、平成19年度での介護労働者の「現在の仕事の満足度」としては「仕事の内容・やりがい」が55.0%である一方、「働条件・仕事の負担についての悩み、不安、不満等」について、「仕事のわりに賃金が低い」が49.4%を占めた、という。(平成19年度介護労働実態調査結果

ただ、もちろん、仕事は金だけではない、というのも確かだ。どんな仕事であれ、対価だけがインセンティブになっているわけではない。やりがい、働きがい、そこでの人間関係や充実感によって、仕事を継続するか、辞めるかが変わってくる。とはいえ、そもそも対価が低いとわかっていて、やりがいがあるから頑張りなさい、というのは、とみたさんも言うようにガソリンをくべずに「死ぬ気で頑張れ」と言っているのに等しい。ガソリンを入れずに、あるいはガソリンの量を極端に減らして、精神論だけで頑張りなさい、無理なら、外国人で穴埋め、という発想(=この記事が前提としている暗黙の価値観)は、60年前以上に日本が突き進んだ道と全く変わっていない。その悲劇を何度繰り返せば済むのだろう

事実の背後にある価値観を前景化させるために、「なぜ」としつこく問い続けること。このごく当たり前のことが、今更ながら、すごく大切だよなぁ、とこの記事を読みながらため息をついていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。