研修企画者の類型化?

 

風邪がようやく治った、と思って、教員テニスクラブに久方ぶりに出かける。ねんざなどしないように、入念に足首のストレッチをする。ラケットは、そういえばグリップテープがもろもろになっていて、感触がよくない。こりゃあ、来週でも張り替えなきゃね、と思いながら、とりあえず練習の輪の中に入る。ボレー・ボレーのようだ。久しぶりにラケットを握って、ボールが来たときに打ち返す。力を込める。

ボキィ

鈍い音と共に、痛みが襲ってくる。音の感じは、関節をぼきぼき鳴らした時のような音。しかし、それに痛みが伴う。手をブラブラさせていると、痛みはない。、だが、グリップを握って球を打つとやっぱり痛い。筋違えのようだ。せっかく久しぶりの運動なのに。20分で終了して、あえなく帰宅。骨は折れていなかったのだが、筋が痛んでいる模様で、不幸中の幸いは、こうしてPC入力や車の運転には不自由がないこと。ただ、運動が出来なくなったのが、また少し太ってしまった身体には悲しい。そう、ストレッチって、手もやらないとダメなんですねぇ。

で、昨晩は新大阪の駅前ホテルに投宿。今週末は岡山で学会なので、それにくっつけて、西日本方面!でのあれやこれやの打ち合わせなどを入れ込んでいく。そのついでに、最近祖母が元気がない、と聞いたので、今日は少し足を伸ばして島根まで日帰りで出かけてくるつもり。で、ビックリしたのが、昨日打ち合わせで訪れた西宮駅で今朝の「のぞみ」を予約しようとしたら、満席! そうか、世間は三連休、なのですね。流浪する民は、すっかり世間の約束事を忘れていたのです。ま、それでも何とか席を確保し、今日は島根岡山へ、で、明日は学会が終わった後に三重に。「ついでに」と言うにはあまりなスケジュールだが、10月から12月にかけて、福祉業界は「研修」三昧で、こちらもあれやこれやお手伝いすることになってしまった。なので、珍しく「西日本」方面に行くときは、ついでに、ついでにと重ねていった結果、こうなってしまう。あれまぁ。

さて、昨日の西宮の打ち合わせでは、今度山梨の障害者ケアマネジメント従事者研修にお越し頂く玉木さんや北野さん議論。この研修は各都道府県で必ず行うものなのだが、全国的にみて、その落差が色々あるようだ。山梨の場合、昨年と今年の研修のデザインに参画させて頂いているので、何とか「来て良かった」「自分が変わるきっかけとなった」研修に高める為の仕掛けと仕込みをしている。

研修に講師の立場で関わらせて頂くことが多くなって、よくわかりはじめたこと。それは、研修を依頼する側のスタンスやデザイン如何で、その研修の持ち味や中身は大きく変わりうる、ということ。研修の善し悪しは、講師の力量や話術にも勿論左右される部分がある。だが、それよりも、研修企画者側が、研修のミッションをどう定義し、聞きに来る人に「どう変わってもらいたいか」というビジョンを持っているか、それを講師に伝えて、講師からその部分に対する叡智を引き出せるか、にかかっているのだということだ。
実は研修のデザイン如何によって、講師の力量を何倍に活かす可能性も、逆に何分の1かに減じる可能性もあるのだ。つまり、研修の「仕込み」と「仕掛け」が、その研修を正負の両方に引っ張る大きな要因となるのである。

そこで、この設計をする側が、上記の「仕込み」と「仕掛け」にどれだけ自覚的か、という点が肝になるのだが、実際はどうだろうか。私が講師依頼された場合は、よほどのことが無い限り、出来る限り事前に打ち合わせの時間をとって頂き、研修担当者と議論する場を作って頂く。そうして、少なからぬ担当者の方と会う中で、次のような類型化が出来るのではないか、と感じ始めている。

【丸投げ型】:とりあえず職務だからやるけど内容はよくわからない(興味がない)ので講師に丸投げ
【暗中模索型】:その内容にある程度興味も持っているのだけれど、具体的にどうしたらいいのかよくわからない
【積極的対応型】:企画者側にある程度こうなってほしいという意図や問題意識があり、それを講師に伝えた上で、後は講師に任せ、ミッションを遂行してもらいたい
【共同設計型】:企画者としてプランニングを十分にし、各講師にも企画段階から練り上げる為に関わってもらい、一緒に研修を作り上げる役割を主体的に担ってもらう
【専制型】:全体について完全に企画者側が主導権を握り、講師には指示されたパーツのみの働きを求める

実際に研究室におこしになる方で、のタイプにはめったに出会わない。だいたいはのどれかの方である。それでも年に1,2度はでおこしになる方と出会うのだが、その落差に驚いて唖然としてしまう。そういう「丸投げ」研修は、正直こちらも気乗りがせず、無難にこなして逃げ帰ることがある。

そして、の暗中模索タイプの方なら、こちらが適切な問いを投げかけることによって、その方の中で何かかがはじけ、タイプに変化される方もいる。これって、実は「学習」に対する姿勢の類型化でもある。全くやる気がなくてこなすだけの勉強()から、自分に必要なところだけをつまみ食いする自習に近い状態()まで。で、自習して学べるのならいいけど、本では学びにくいエッセンスや新しい視点を取り入れるために研修がある、とするなら、「どうしていいのかわからない」という状態()から、「こうすればもっと良くなるとワクワク新たな試みを続ける状態」()に高める、というのは、普段ゼミ生の指導でやっている事と同じ、なのだ。そういう意味で言えば、研修企画者の為の研修、的なものが本当は必要なのだが、どうも見回しても、適切なそういう研修はないようである。

なので、お節介タケバタは、の人に出会うと、ついになってほしい、とあれこれ聞いてしまう。その結果、ありがたいことに継続的に研修の依頼が来る、という面は、多少は効果があった、ということで喜ぶべき事なのだろうけど、10月から12月までみっちり入った研修を見て、とほほ、とも。まあ、これぞ身から出た錆、ではなくて、良い循環、なのですね。

というわけで、自分が企画者側に回った際は、何とかが出来ないか、と苦慮している。その際、遠くても、可能であれば会ってミーティングすることも大切。だから、昨日は西宮で、明日は岡山で、明後日は三重で、それぞれ仕込みの打ち合わせをするのだ。どんなものでも手間暇かけないと良いモノはできない。そんな当たり前のことを今更ながら実感しているうちに、のぞみ1号は広島駅へと近づいていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。