希望の再組織化

 

今日火曜日は大学で講義が二コマある日。午後のボランティア・NPO論では、ゲストに明治学院大学のボランティアセンターに関わる三人組にお越し頂いた(この写真の中のお三人です)。

引率的な存在なのは、コーディネーターをしているよんちゃん。彼女は大学院時代からのおつきあいで、でも密に議論をしたり、ゲストに来て頂いたり、という関わりをするようになったのは、僕が山梨に来て、彼女も明学に着任した後のここ2,3年のこと。昨年はよんちゃんの、元々のボランティア活動と今のコーディネーターのお仕事、という彼女のパーソナリティーに光を当てたお話をして頂き、それはそれでめっちゃ面白かったのだが、今年は彼女が関わるお二人の学生さん(3年のY君と1年のIさん)も一緒に来て頂き、自分たちの活動を他大学である我が山梨学院で話して頂いた。この3人組の話は、受講生の学生達にとっても、また私自身にとっても、大いなるインパクトを与えるものだった。

まずボランティア・NPO論の受講生達にとって、最大の効果は何か。それは、同じピアの立場の他大学の学生が、他ならぬ自分たちの授業の場で講義をしてくれた、ということであろう。その中で、僕が質問する「お二人は特別ではないか」「偽善ではないのか」といった様々な質問(突っ込み)に対して、Y君もIさんも、自分の言葉で、自分の経験に基づき、率直に思いを返してくれた。「ボランティアなんかするよりバイトの方が身になるかも、と思った時期もあったけど、でも得難い経験が沢山出来ている」というY君。「私は一杯一杯だから、皆さんのような活動が出来ない」という問いかけに、「私も一杯一杯だけれど、空いている休み時間とか、そんな隙間の時間をボランティアに使っているだけ」と答えてくれたIさん。私が教員の立場で、上記の内容を百万遍唱えても「そんなの先生だから出来るので私は無理だよ」と切り替えされてオシマイになりそうだが、自分と同じ学生の立場のY君やIさんの言葉は、おそらく我がYGUの学生の皆さんにも、僕の言葉の百倍以上、重く響いたであろう。

で、重く響いた、という意味で言えば、僕自身がズシリと重く受け止めたのが、よんちゃんの最後の締めのいくつかの言葉だ。

「私は皆さん学生の一番良いところといえば、夢を語れる存在であることだと思います」「だから、大学におけるボランティアマネジメントとは何か、を一言でいうならば、『希望を組織すること』だと思います。」

これらの言葉に、文字通りガツンとやられた。

私自身、ここしばらく滅茶苦茶ヘビーなスケジュールで参りそうなのだが、それ以上に精神的に参りかけていた。よんちゃんの言葉を絡めて言うなら、「夢を語らない大人達」と多く出会う中で、希望が根絶やしになりかけていた。元々は超楽観主義者のハズなのに、変にリアリスト達の「どうせそんなの」「無理に決まっている」「そうは言っても」という否定的な言葉に出会い、心がどんどん蝕まれていくような、そんなクサクサした日々を送りつつあった。それに業務多忙が重なっていて、正直なところ、色んな事をを投げ出したくなる一歩手前の段階まで来ていた。そんな時に、「夢を語る」三人の話から、そしてよんちゃんの締めの言葉から、自分の「夢」自体をもう一度見つめ直すきっかけをもらった。

それと共に、前にも書いたプレイングマネジャーとして自分がやっていることは何か、と言われると「希望の(再)組織化」なんだ、と改めて感じた。僕が関わっている山梨や三重の障害者福祉の現場にしたって、あるいは継続的に関わるある通所施設にしたって、何らかのミッションなり使命なり業務範囲なり、という「組織化」が伴って、存在している。ただ、県レベルの相談支援体制にしても、あるいはある福祉組織の実態にしても、「組織化」した当時の実情に比べて現在、問題があまりにも複雑化、多元化しているため、「組織化」当初の整理と噛み合わなくなってきている。なのに、その根本と向き合わない中での表層的なパッチワークに終始していると、いつまでも「ズレ」「歪み」が補正されないまま、ますますその「ズレ」「歪み」が酷くなっている。そんな実情がある。

その中で、タケバタがここしばらくやっている仕事は何か。それはよんちゃんの言葉に触発されて言うならば、「希望の再組織化」なのだ。今現在の「組織化」ではまわりきらないから、問題点も含めて洗い直して、新たなミッションや方向性を作り、仕切直しのお手伝いをする。それが「再組織化」なのである。当然、その際には変革を恐れる人から、あるいはこれまで「再組織化」に失敗した・諦めている人から、様々な反対意見や水掛け論がおこる。正直、それらの緒論の波に流されそうになり、心が蝕まれそうになっていたのだ。だが、「希望の再組織化」という難事業に立ち向かっているならば、当然そういう波こそ越えていかなければならない。その際必要なのが、青臭い話だが、「夢を語り続ける」「その夢を共有する」ことそのものなのだと思う。明学の学生さん達とよんちゃんが作り上げてきた、そのエネルギーこそ、自分が今、一番欠けていたものなのだ。そんなことを気づかせてもらった。

ついでに、彼女と僕の出身大学院である(今は潰れてしまった)ボランティア人間科学講座についても触れておきたい。この講座も、実は「希望の(再)組織化」という共通のミッションを持っていた講座だったのだ、と今日の話を受けて、改めて感じていた。テーマが国際協力であれ、福祉であれ、防災であれ、希望を持って暮らし続けるためにどう「組織化」するのか。あるいはコンフリクトや災害後にあってどう「希望を再組織化」するのか。これらの課題は、テーマが変わっても共通する課題だ。だからこそ、病院ボランティアが子供達や病院とどう関わったか、がD論テーマであるよんちゃんと、精神科ソーシャルワーカーが地域作りにどのような役割を果たしているか、がD論テーマである僕が、「希望の組織化」という同じ土壌でアクセス可能なのである。

ここしばらく仕事が断れなくて、どういう基準で仕事を整理してよいのか、についても当惑していたが、「希望の組織化」という基準で優先順位をつければいいのだ、という事まで気づかせてもらった。よんちゃんは講義の中で「一石十鳥」とご自身の事を仰っておられたが、明学三人組から私自身は「一石百鳥」ほどのものを頂いた。なんて「儲けもん」なのでしょう!!

蝕まれつつあった心に、再び夢と希望のオイルが注ぎ込まれた一日だった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。