役割期待と心の余裕

 

気がつけば5月末。

先日、父の誕生日のお祝いの電話を実家にかけた際、両親から「ちゃんと休んでいるの?」と言われる。そう、実家にいた10代後半から落ち着きのなさに拍車がかかり、大学生以後、ずっとバタバタが代名詞だったのだ。そういう癖をよく知っているが故に、慶賀の電話でもご心配いただく。

いえ、最近は案外休める時もあります、と答える。

確かに昨年度は前期に東京の大学で非常勤(お世話になった先生のサバティカル期間の代講)を入れてしまったばっかりに、付随して東京で仕事が増えたり、後半には三重の仕事も入ったり、と本当に休みが少なかった。昨年からグーグルカレンダーに移行しているのでPCの前では日程チェックがすぐに可能だが、1年前を見てみて、空白の日がほとんどなかったことに、改めてあきれかえる。だが、それもよく考えてみれば「夢に見たこと」だったかもしれない、とも。

10代の頃から、少しませたガキで、同年代の話よりも、上の世代の話に加わろうとする子供だった。その延長線上で、早く大人になりたい、バリバリと働きたい、必要とされる人物になりたい、という内容なき形式への憧れがなかった、といえば嘘になる。声がかかればほいほいどこでも出かけたし、出かけた現場でわあわあわめきたてたのも、真っ当な正義感ゆえか、その衣にくるんだ自らのアイデンティティ保障か、と言われると、必ずしも前者だけであった、とは言い難い。何者でもない、という立場の不明確さを、行動力と発言力で補おう、という戦略。惜しむらくは、そこに「勉強と思考の積み重ね」をいれておかなかったことだ。それがあれば、今はこんなに苦労しないのだが

閑話休題。
立場が幸か不幸か定まってしまうと、その立場に合わせた役割期待がかぶさってくる、ということに、なってみて初めて気がつく。その役割期待は、千差万別。自分が感じているものも刻々と違うし、関わる現場でもマチマチだ。だが、何かの関わりをもつ様々な現場で、何らかの役割期待がかせられ、その内容が少しずつ大きくなるのも感じる。その上で、この役割期待と同化すべきか、拒否すべきか、是々非々なのか、がおそらく10年後の自分に大きな岐路として出てくるのだろうな、とも感じる。

この役割期待への対処の際、肝心なのは、当たり前の話だが、心の余裕である。判断に一貫性があり、柔軟ではあるが筋目を違えない判断をするためには、バランス感覚と落ち着きが必要だ。で、それらの力を持つためには、ある程度の時間的余裕、が必要である、ということが、去年、ある程度時間的に追い込んでみて、つくづく感じた。ちいさな事であれ、何らかの事をなすには、余裕がないと向き合えないのだ。こういう当然なことも、自分事でないと、体感出来ない。で、判断をまともにし続けるためには、休息という手段が最も効果的である、とも。

とまあ、ぐだぐだ書いてきたが、結果的に週末に料理をしたり、本を読んだり、のんびりする時間が昨年度より少しは増えた。だから、以前に比べたら歪みが多少は減っててきたのではないか、と思う。昨日は道の駅に出かけ、人が群がるトウモロコシも少しは買ったが、それよりニンニクも山ほど買い込んで、おうちでひたすらむきまくる。瓶一杯にニンニクを詰めたら、上からどぼどぼと酢を流し込んで、冷蔵庫に。1週間もすればドレッシングのベースであるニンニク酢に仕上がるはずだ。で、残りのニンニクは、みじん切りにしてフードプロセッサーにかけ、餃子の具に。今回はニラを買わずに、大根の葉っぱの「有効活用」。ついでに終わりかけのタケノコも水煮したり、今朝は下処理を終えて若竹煮をしこんだり、と久しぶりに台所に立ち続けた。

こうして料理に無心になって、すっきりと自分の「あく抜き」も出来た。さて、休みが少なくなる来月の戦略をボチボチ考えるとするか

「理想(ねがい)」と「現状(いまのまま)」

 

ここしばらく、1冊の小説を読んでいる。文庫本で700ページもある大作。読めるのだろうか、と疑心暗鬼で読み始めたら、何だか不思議な魅力にとりつかれ、ずっと読み続けている。その作品世界の面白さもさることながら、登場人物の発言の中に、思わずハッとさせられる場面が度々あるのも惹きつけられている理由かも知れない。例えばこんなところ。

「頭のなかの理想(ねがい)は、すぐそのまま現実(まこと)の政治(まつりごと)になるわけはない。その理想(ねがい)が高ければ高いほど、実際に現れた姿は、みじめなものに見えることが多い。理想(ねがい)を追う者は、現状(いまのまま)を眼にして、一段といきり立つ。焦燥に駆られる。そして駄馬に鞭打つように、必死となって、動かぬ廷臣たちに苛酷な要求を押しつける。それがますます理想(ねがい)に背馳し、復古(むかし)への刷新とは逆に、徒らな行政(まつりごと)の遅滞(とどこおり)を生み出すようになると、頼長殿は一段と廷臣達の精励恪勤(しごとのはげみ)を要求するようになる。」(辻邦生『西行花伝』新潮文庫、p372)

保元の乱で失脚することになる藤原頼長が、権力の中枢に昇詰める段階のエピソード。今から800年以上前の出来事を眼前の物語のように展開させる辻邦生氏のストーリーテリングの確かさに深くはまる一方で、この頼長の発言にはハッとさせられる。「理想(ねがい)」と「現状(いまのまま)」を対置した際、前者のみに眼がくらむと、「現状(いまのまま)」がどうしても陳腐に見えてくる。で、権力者ほどその実態に我慢ならず、部下に「苛酷な要求を押しつけ」、結果として「それがますます理想(ねがい)に背馳」することになる。もちろん、「現状(いまのまま)」の絶対的肯定は何も産み出さないが、。「理想(ねがい)」の絶対的肯定も、それと表裏一体の関係に、結果的になってしまう。

このページを折りながら、真っ先に頭に浮かんだのが、どこぞやで知事職を勤める人。彼が何「への刷新」を狙っているのかはもう一つ見えないが、とにかく「徒らな行政(まつりごと)の遅滞(とどこおり)を生み出すようになる」とみているし、そういう噂はあれこれ聞こえてくる。あちこちでマスコミ受けする罵倒をし続けて、お茶の間有権者には聞こえがよくても、部下としては非常にやだろうなぁ、と思ってしまう。

トップダウンが喧伝されることが多いが、僕自身が心から納得出来るトップマネジメントは、伊丹先生のシンプルな三箇条である。

「・経営とは、個人の行動を管理することではない。人々に協働を促すことである。
・適切な状況設定さえできれば、人々は協働を自然に始める。
・経営の役割は、その状況設定を行うこと。あとは任せて大丈夫。」(伊丹敬之『場のマネジメント』NTT出版、p5)

「理想(ねがい)」と「現状(いまのまま)」の調和、というか、後者から前者を導き出すために、どうしたらよいだろうか? 本人が心からその通り、と思うこと(=納得すること)なしに、いくらがみがみと「廷臣達の精励恪勤(しごとのはげみ)を要求」(=説得)しても、物事は進まないのではないか。この前提に立って、「人々は協働を自然に始める」ような、「適切な状況設定」という納得環境をつくり出すことの方が大切、と伊丹氏は整理しているのだ。さらに、いったん人々が納得して動き始めたら、「あとは任せて大丈夫」という器量をもつことが、経営者側に求められている。これは、企業であっても、まつりごと(政治・行政)であっても、そして教育であっても同じ事。

教員をしていて、「現状(いまのまま)」をしっかりと認識して分析することのない、「理想(ねがい)」のみの妄想的追求が、如何に混乱をもたらすか、を我が事として認識してきた。そして、この伊丹先生の三原則に照らしてみた時、己が実践の反省をするだけでなく、他の人々のマネジメントもこの尺度で判断すると、実に興味深い診断結果として見えてくる。結果として、「行政(まつりごと)の遅滞(とどこおり)を生み出」している現場では、先述の三原則が見事に無視されている場が少なくない。他者への手放しの信用は問題だが、他者への絶対の不信感も、同様に問題なのだ。

経営者としてどのような枠組み設定と、その後の信頼関係を構築するか。説得してねじ込むのではなく、納得して自発的に協働がうまれる環境をどう構築するか。人々の「協働」から、「理想(ねがい)」をどう紡ぎ出すか。自らが関わるガバナンス現場でも、共通する課題として見えてくる。

私は誰?(増補版)

 

変なエントリーで、すいません。

実は、この春、当スルメHPをブログを除いて閉鎖したのでありますが、その際、自己紹介ページも省いてしまいました。なので、たまたま覗かれた方は、いったい誰だよ、とお考えかも知れません。じきに最低限の自己紹介を掲載する予定ですが、名無しであれこれ無責任に書くのはいやなので、とりあえず最低限のご挨拶を。

タケバタと申します。大学教員をしております。くわしくは、こちらを。

で、こういう自己紹介、つまり「私は誰か」を規定するにあたって、実に興味深い二つのブログ記事を拝読した。

ひとつはたまに引用させて頂く、大阪のとみたさんのここ何回かのブログ。中途半端な研究者の姿勢を鋭く斬っていく筆力にいつも自分の身を切られる思いをしながらも、欠かさずに読ませて頂いているのだが、気がつけば己のブログがまな板にのっておりました。で、そのまな板のうえで、もう一つの調理材料にされていたのが、こちらはお会いしたことは無いのだが、ブログを拝読させて頂いているlessorさんの記事。とみたさんが「まな板」に載せられたことを受けて、大変興味深いことを書いておられる。普段、一方的な読者のつもりだったブログに自分の書いた何かが載っけられていると、何だかこそばゆい。

このなかで、lessorさんが私の紹介を、「スルメコラムの作者さん(過去に名乗っておられたこともあったと思いますが、一応伏せときます)」と書かれて頂いたので、一応、最初に名を名乗ってみたのだ。ただ、この自己規定の段階で、先にご紹介したお二人のブログから、大きく問いかけられている(と自分で勝手に議論を引き継いでしまう)。「あんたは、誰なん?何してくれんのん?」(いや、こんなガラのわるい言い方は、私しかしないでしょうね

とみたさんは、福祉現場の要役をしながら、研究者としての視点もきっちりお持ちなので、こういう視点で問いかけられる。

「私の中では、現場から求められる研究者像というのを実はいまだに捨てきれず、模索し続けている。
 いわゆる基礎的研究=現場に即にはやくにはたたないけれども、絶対に必要となる研究。(実は社会福祉にはこれがとても少ない と思っている)
 と、もう一つは、現場の実践を吸い上げて、現場とは違う視点で切ってくれる研究。
 いまの研究は、現場の紹介でしかない なんていうと、また叱られるだろうが、中途半端だと思う。」
「事件は現場で起きているんだ!」 では・・・

片腹痛し、とはこのこと。自分自身がここ数年、疑問に感じ、また自分自身がそうなのではないか、と反省してきたのは、この「中途半端」さである。とみたさんの分類で、価値ある研究をしている方を障害者福祉の分野で考えてみると、前者の代表格としては立岩真也氏などが、後者の代表格としては北野誠一氏や、我が師、大熊一夫氏、大熊由紀子氏などが思い浮かぶ。で、この対比をしながら、立岩氏が大熊一夫氏に関して、実に興味深いことを書いていたことを思い出した。

「さて「学者」は何をするか。大熊は前記のインタヴューで、学者の作品は「味も素っ気もないものになっている。つまらない文章ばかりだし、こんな研究して何で障害者のためになっているのかわからないようなものばかり目立つ。」と言う。そうかもしれない。
 もちろん、統計的な調査がこうしたルポルタージュと並存し互いに補って意味があることはあるだろう。では、前回取り上げたゴッフマンの著作のような質的調査、フィールドワーク、エスノグラフィー、エスノメソドロジー、などど呼ばれたりするものはどうだろう。私は、ジャーナリズムの作品とこれらの間になにが違うというほどはっきりした違いはないし、またある必要もないと考える。ただ、大熊の批判を肯定しながら居直るような妙な言い方になってしまうのだが、衝撃・感動・・・をとりあえず与えなくてもよいという自由が「研究」にはあって、それがうまくいった場合には利点になるとも思っている。」
(立岩真也「大熊一夫の本

私は大学院時代、前述の二人の師から、そして最近ではアメリカ調査にご一緒させて頂く北野さんからも、「障害者のためになっているのか」という視点を徹底的にたたき込まれた。だが、「障害者のためにな」る議論を本質的に掘りさげていくと、「現場の実践を吸い上げて、現場とは違う視点で切ってくれる」という事の深みと難しさに突き当たる。それは、フィールドワークやエスノグラフィーの「まがいもの」は、下手をしたら「現場の紹介でしかない」ものになるからだ。そしてそういう「研究」は、「ジャーナリズムの作品とこれらの間になにが違うというほどはっきりした違いはない」だけでなく、すぐれた「ジャーナリズムの作品」よりも遙かにレベルの低いものになってしまうのである。そういえば、こないだ「にわか読書」をしたブルデューもこう書いていた。

「一部のエスノメソトロジー研究者達は、一次経験を記述するだけで満足しており、そうした経験を可能にしている社会的条件、すなわち社会構造と思考構造との一致、世界の客観的構造とその構造を把握している認知構造との一致について自問することがありません。したがってこの研究者たちは、現実の現実性(実在性)について、もっとも伝統的な哲学のもっとも伝統的な問いかけを繰り返す以上のことは何もしていないのです。」(ブルデュー「リフレクシヴ・ソシオロジーの実践」ブルデュー&ヴァカン『リフレクティブソシオロジーに向けて』藤原書店 p301

このブルデューのいう「一次経験を記述するだけで満足しており」という事態に対して、とみたさんは同じ点から、次のように書いている。

「人類学的な調査手法がひろがり、参与観察や質的調査法がいろいろな場面で利用されるようになった。しかし研究者が研究の方法として使うときいくら参与観察者として現場にいても、その人は現場の人ではない。その逆もしかり。こんなあたりまえのことが当たり前になっていない気もする。」(「事件は現場で起きている」では 研究者は?

もちろん参与観察や人類学的手法そのものが問題、というのではない。方法論の中途半端な理解と応用が、百害あって一利無し、の可能性となっているのだ。この点、エスノグラフィーの大家、佐藤郁哉氏も、次のように警告している。

「ご都合主義的引用型、天下り式のキーワード偏重型、要因関連図型の場合には、いずれも一般的・抽象的な概念の世界に重きをおくあまり、対象となった人々の意味を読み取っていく作業がおろそかになってしまったものだと言える。また、これらの場合は、対象者たちの思いや考え方に対する研究自身のコミットメントは非常に浅いものになるため、研究者個人の体験や思いが研究者コミュニティと対象者たちの意味世界を媒介する上で果たす役割は、非常に小さなものとなる。
 それとは逆に(略)、ディテール偏重型と引用過多型およびたたき上げ式のキーワード偏重型の場合には、対象者たちの個別具体的な意味の世界に対する研究者のコミットメントは、やや過剰気味のものとなっている。その結果として、対象者達の言葉や行為の意味を一般的・抽象的な学問の言葉へと翻訳していく作業は、中途半端なままにとどまってしまうことになる。」(佐藤郁哉『質的データ分析法』新曜社、p28-29)

佐藤氏は「現場の言葉」と「理論の言葉」の「文化の翻訳」こそが、質的研究の成否を裏付ける最大の鍵だ、と主張している。さきにご紹介した現場のお二人は、「理論の言葉」にも精通しながら、「現場の言葉」の世界に生きる、「翻訳者的存在」であるからこそ、中途半端な研究(翻訳になっていない駄作)に憤っておられるのではないだろうか。次のlessorさんの指摘に、そのあたりが端的に表れている、と僕は感じる。

「研究者が中途半端に現場に入り、現場で既に自明視されているようなことをさも自分が発見した「新しい事実」であるかのように示して自己満足するぐらいならば、「現場のものの見方」に擦り寄ろうとするのではなく、徹底的に「研究者としてのものの見方」を押し通すことで見えてくるものに期待をかけたほうがずっと有意義だと思う。」(現場と学問の距離

このlessorさんの言う「「研究者としてのものの見方」を押し通すことで見えてくるもの」という指摘こそ、ブルデューの「そうした経験を可能にしている社会的条件、すなわち社会構造と思考構造との一致、世界の客観的構造とその構造を把握している認知構造との一致について自問」と重なってくるし、佐藤氏の言う「現場の言葉」を「研究の言葉」へ翻訳する作業なのだと思う。そして、それこそとみたさんの言う「現場とは違う視点で切ってくれる研究」であり、そうした研究は、「衝撃・感動・・・をとりあえず与えなくてもよいという自由が「研究」にはあって、それがうまくいった場合」となる。繰り返して言うが、「うまくい」かない研究は、衝撃も感動も、そして「現場とは違う視点」もない、「既に自明視されているようなことをさも自分が発見した」「自己満足」にしかすぎないのである。

こううねうね書いてきて、ようやくタイトルに突き当たる。(よく大阪のMさんに、もう少し短くなんないかなか、とお叱りを受けるが、本当に長い

「私は誰なのか?」

誰、というのは個人タケバタという意味で指しているのではない。そうではなくて、研究者という肩書きを標榜して、糊口を凌がせていただいている者として、そう名乗るだけの充分な視点や力量を兼ね備えた誰か、になりえているか、という問いである。「一次経験を記述するだけで満足して」いないか、「徹底的に「研究者としてのものの見方」を押し通すこと」が出来ているか、その上で、「こんな研究して何で障害者のためになっているのかわからないようなもの」でごまかしてない、誰かになれているか、である。

もし、研究者という立ち位置で、それが出来ないのであれば、とみたさんやlessorさんのような優れた「翻訳者」が大学で教えられた方が、よほど福祉政策に実りある展開となる。lessorさんは謙遜されて、「現場のプレイヤーとして研究を深めることに徹する研究者もまた存在してよいはずなのだ」と仰っておられるが、「よい」だけでなく、むしろそういう本物の「翻訳者的研究者」こそ、今の中途半端な社会福祉学界の閉塞性を切り開く役割をして頂けるのであろう。

で、だからこそ、タイトルの問いが、もう一度胸に突き刺さる。

僕自身は、誰なんだ? 「現場のプレイヤーとして研究を深めることに徹する研究者」と対比しても、多少なりとも役立てる何かがあるのか。本当に研究者などと名乗っていいのか。

鋭いお二人の分析から、崖っぷちでしがみついている自分自身が見えてくる。

参与的客観化

 

連休の最終日に、以前からしたかったファイルメーカーによる研究メモの構築がようやく完成。で、その第一号として、こないだ読んだブルデューの著作を読み返しながら、抜き書きとバタメモ、という形で30弱ほどメモしていく。そして、その最後の「抜き書き」を前に、考え込んでしまった。

「社会学者とその対象のあいだの関係を客観化することは、今のケースからはっきりわかるように社会学者がその対象に思い入れをする(投資する)という、対象への「利害=関心」の根源の傾向を断ち切るために必要な条件です。ゲームの中にいて他のプレイヤーに対して抱くことのできる、単純な、還元主義的で一面的な見方ではなくて、ゲームからリタイアしているがゆえに把握することのできる、ゲーム全体についての包括的な見方という意味での客観化がおこなえるためには、対象に介入する目的で科学(社会学)を利用する誘惑をあらかじめ捨てていなければなりません。社会学の社会学、そして社会学者についての社会学だけが、科学的目的を直接追求することを通じてねらえるような社会的目標をある意味でコントロール出来るのです。参与的客観化は、社会学の技法のうちでおそらく最高の形式です。この客観化は、参加という事実の中に刻み込まれた客観化のもたらす利益をできるだけ完全に客観化し、その利益とそれがもたらすあらゆる表現とを停止させることを足場としなければ、わずかでも達成する見込みはありません。」(ブルデュー「リフレクシヴ・ソシオロジーの実践」ブルデュー&ヴァカン『リフレクティブソシオロジーに向けて』藤原書店 p318-319

この「参与的客観化」が、現時点で一番難しい。なぜなら、現時点で僕自身、「対象に思い入れをする(投資する)」行為に突入していないか、と言われたら、多いにしている自分を発見してしまったからである。つまり、ある種のゲームプレーヤーになっているから、「単純な、還元主義的で一面的な見方」に終わってしまうのだ。この間、アドバイザーや様々な現地調査で失敗した多くの事例は、いつの間にか自分がゲームプレーヤーになる愚を犯すが故の問題である。彼の言葉が、グッと胸に刺さって痛い。

恥ずかしながら、少し前まで自分自身が、世の中の為になるのならプレーヤーでないと、という「単純な、還元主義的で一面的な見方」に終始していた。しかし、それなら研究者をやめ、実践家なり政治家なり、プレイヤーに転向する必要がある。実際、前回のブログで紹介した西水さんは世界銀行における実践家に転向したし、熊本県知事の蒲島郁夫氏は、政治を「参与的客観化」する立場から、文字通りのプレイヤーに転向した。そういう生き方もある。

ただ、現時点での僕は転向していない。その段階で、「プレイヤー気取り」をしても、実は真のプレイヤーではないのである。なのに、プレイヤーのように「科学的目的を直接追求する」行いそのものが、実は問題があり、誤った結論を導くだけなのだ。この位相のズレの無理解がもたらす行為の失敗の構図に、今ようやく、少しずつ気がつき始めた。遅すぎる、というおしかりを受けそうだが

「ゲームからリタイアしている」というか、プレイヤー気取りでも、実は本当は現時点ではプレイヤーではないのである。であれば、その立ち位置をきちんとわきまえてゲームを眺める「がゆえに把握することのできる、ゲーム全体についての包括的な見方という意味での客観化がおこなえる」のである。そして、それはプレイヤーでないからこそ出来る、ゲーム全体への貢献なのかもしれない。

色々な現場に、今年度も関わる。だが、その現場への関わりが、プレイヤーとしてなのか、参与的客観化が求められる研究者としてなのか、で、そこから出てくるアウトプットが大きく異なる。連休以後、いよいよ本格化する今年度の関わりに対して、「参加という事実の中に刻み込まれた客観化のもたらす利益をできるだけ完全に客観化し、その利益とそれがもたらすあらゆる表現とを停止させること」がどれだけ出来るか。

隘路を抜けられるかどうか、の瀬戸際である。

風通しの良さ

 

この連休はどこにも出かける予定はない。こないだのアメリカ調査で調べたことの一部をある雑誌で報告する事になり、その原稿書きに休みを使うことに。そんな半分仕事モードの連休初日、ジムに行く途中の本屋で偶然出会った一冊から、実に多くのことを気づかされ、学ぶことが出来た。

「国家指導者が本腰を入れて貧困と戦えば、十五年で『半減』どころか、貧しさを知らぬ世の中さえ無茶ではない。それでも、貧困削減が世界各国の首脳を賛同させる課題になったことを、素直には喜べなかった。動機が気に入らなかったからだ。(略)
 カネや情報、そのうえ企業まで国籍や国境などおかまいなしになった今日、先進国が抱える二十一世紀の課題は、移民問題につきる。地球人口の過半数を占める途上国との格差をなんとかせねば、空恐ろしいことになるというのが、北の本音だと見た。一方、途上国の権力者の多くは、国連宣言により政治的に動く安易な援助が増大し、よりいっそう甘い汁を吸うことを期待する。南北の私利私欲が合致するからこそ『ミレニアム宣言』なのだと考えた。
 政治家や官僚は、民衆の悩みや苦しみを肌で感じることが不得意だ。どん底の生活にあえぐ貧民のことなど、数字と頭でとらえていればましなほうだろう。先進国でも途上国でも違いはなく、我が国も例外ではない。」(西水美恵子『国をつくるという仕事』英治出版、p220-221)

抑制の効いたピリリと辛口な文章。しかし、単に批評家の辛口ではない。世界銀行の責任者(最後には副総裁)として、一貫して援助対象現場の、特に貧困でマージナルな地域に通い続ける中でこそ「数字と頭」を超えた生の「民衆の悩みや苦しみを肌で感じる」体験を積み重ねてきた。そのリアリティから、どんな「権力者」とも一歩も引かずに是々非々の戦いを続けてきた「闘士」だからこそ、政策の背景にある「動機が気に入らなかった」のである。

不勉強な私は、この本を読んで初めて世界銀行の役割の重要性をもよくわかった。そして、彼女がその世界銀行のミッションを実に真っ当に果たそうとしていることも。

「世界銀行グループは加盟国国民の『共済組合』だと知る人は意外に少ない。市場から好条件で借りる力のない『組合員』に、いろいろな形で長期復興開発資金を用立てるのが本命。(略)
 気が遠くなるほど長い融資だ。今日生まれた乳飲み子が社会人となるまで国体が持続するかを見極めなければならない。その確率判断をもとに貸倒引当金を計上し、準備金高を決定するのだから、真剣勝負。(略)
 初めは、恐ろしい大責任だと考え込んでしまった。悩み抜いた末、国体持続の判断は、歴史的観点を踏まえたうえで、国民と国家指導者の信頼関係を感じ取るしかないと思った。だから、草の根を歩き巡り、貧村やスラム街にホームステイをし、体を耳にするのが仕事なのだと決めた。そそてい、その判断をもとに良い改革への正の外圧となることが、世銀のリスク管理と営業の真髄だと考えた。」(同上、p31-32

世界銀行の「本命」である融資に必要な「確率判断」という「真剣勝負」をするために、悩み抜いた末、その真剣勝負には「国民と国家指導者の信頼関係を感じ取るしかない」と考える。国民の本音に向き合い、「体を耳にするのが仕事なのだと決めた」。そして「良い改革への正の外圧となること」を「真髄と考えた」。

さらりと書かれているが、ここに込められた意味合いは実に深い。プリンストン大学助教授の職を辞して着いた新たな職場で、「加盟国国民の『共済組合』」という意味合いを徹底的に「悩み抜いた」。だからこそ「草の根を歩き巡り、貧村やスラム街にホームステイをし、体を耳にするのが仕事」という原則に辿り着いた。そして、副総裁になってもこの原則を守り抜き、アジアの各地で文字通り「草の根を歩き巡り」続けた。そして、そこで援助対象になる当事者の思いや願いを肌で感じ続けたからこそ、大統領や軍のトップが相手であっても、誰かさんと違って文字通り「恐れず、怯まず」、正しさを貫くことが出来た。

彼女の様々な国での、草の根への目線は本当に温かい。解説の田坂広志氏が「自分の姿を見る」「共感」の姿勢で彼女が臨んで来たからだ、と指摘しているが、まさに彼女はどの国でも対象国の貧困削減や貧村の幸福を「自分事」として願っている。だからこそ、現地の人に教えられ、だからこそ、怯まない力が備わる。そんな彼女の「正しい」行いは、権力者だけでなく、多くの現場の人びとやジャーナリスト、官僚や政治家をも動かす。

こういう、声なき声に耳を傾け、そこで語られた社会的弱者の声に基づく「正しい行動」を積み重ねる彼女の文章には、お仕着せがましさや不遜な部分が感じられない。個人のエゴや主張ではない、普遍性のあるロゴスが言霊となって、風通しの良さとして文体にも表れている。読み手も読んでいて、実に気持ちが良い。そしてその普遍的な魂に触れて、己の中にも気持ちの良い風がサーッと流れ込んでくる。

今、自分の「現場」で、自分のミッションを「悩み抜い」て考え詰めているか。「自分の姿を見る」ことから、「共感」に基づいた、真っ当な仕事が出来ているか。読みすすめる中で文字通り、襟を正したくなる一冊だった。自分に出来ることは何だろう。そう、改めて考え直した。