最近気づいた墓穴

 

6月に入り、仕事が立て込むシーズンが到来した。ブログの更新も、、こうして遅れがちになり、そしてまたいつものように夜の「かいじ号」ブログになるのである。今日は三重から。

先週末は、八王子で「ノーマライゼーションの今日的課題」というたいそうなテーマで、研究会プレゼンを行い、日曜日は名古屋で、「障害福祉政策における政府間関係と市民参画」というこれまた大きなテーマで研究発表を行う。二日続けて、全く違うネタで話をするということは、当然準備もいつもの二倍かかる。通常の学内業務に県の仕事も入れながら、なので、かなりハードであった。ただ、おかげさまである程度準備をして臨んだので、両方の発表ともかなり充実し、次につながるレスポンスも頂け、大変勉強になる。そういう発表をすると、改めて感じるのだ。昔は、不勉強なまま発表していたなぁ、と。

正直、研究発表というものを、かつては嘗めていた自分がいた。耳障りのよいフレーズを、ほどよくまぶせばそれで許される、と大きく誤解をしていた。ただ、襟元をただしてくださったのが、恩師のお一人、K先生だ。ある時一言、こうおっしゃった。

「研究者の発表と落語を誤解するな」

曰く、落語という芸は、同じネタを何度も繰り返し練習する中で、自家薬籠中のものにした上で、ストーリーという型をベースに、芸としてのオリジナリティを出していくもの。研究者の発表発表とはそれとは真逆で、毎回違うネタをどんどん継ぎ足していく中で、新しい考え方を自分の中に貪欲に取り入れ、その考え方を自家薬籠中のものにしていくこと。落語の芸と研究者の研究とは、全く違う。そこを誤解してはならない。だから、研究者の発表において同じネタを繰り返し使うようになっては、研究者としてはオシマイだ、と。

その話を伺ったのは、ちょうど1年半前あたりのこと。講演や研究会などに出るチャンスが多くなり始めた頃だった。そして、阿呆な僕は、そういう人前で話すチャンスが増えた事に、あろう事か増長しはじめていた(のだと思う)。先生の「落語になるな」という一言に、まさに冷や水を浴びせられるだけでなく、心まで凍り付いたのを覚えている。図星だ、と。

その時期、忙しくなって来たことを理由に、同じネタをたらい回しにしたりする傾向がみられた。直接ご指導頂いたのは、ある学会発表の際、テーマは勿論新しいものだったが、分析枠組みとしては、これまでにある程度斜め読みをしていてわかったつもりになっていた日本語文献を、それこそ権威漬けのようにまぶしたような、いい加減な発表だったのだ。その発表をご覧になった先生曰く、「こういう品位のかけらもない発表をしていたら、君の研究者としての力量そのものを疑われる。それに学会発表という、新しい内容へのチャレンジの場を誤解している」と言われたのだ。

まさに、その通り。手抜きの発表は、私は馬鹿です、と公言して回るようなもの。また、同業者のピアレビューの場なのだから、知ったかぶりをするよりも、自らにとってもチャレンジングな課題に果敢に取り組んで、その内容について研究者仲間からアドバイスをもらうことこそ、一番必要とされていること。そう気づいて以来、口頭発表(講演も含め)の内容を、大きく変えはじめた。とにかく、発表するテーマに関して、絶えず新しい(自分の中では消化し切れていない)内容を盛り込んで、何とか発表するために自家薬籠中のものにすべく苦闘する。その努力が出来ないテーマでは発表しない。講演においても、与えられたテーマに関して、今までのパワポ(というなの紙芝居)のつなげ合わせだけではなく、必ず何らかの新しい情報なり考え方を入れ込む。

これを原則にしたので、以後の学会発表なり講演なりの準備は本当に苦しい。終わり無き新ネタ主義、は、特に日程がタイトになると、目が回りそうになる。だが、それでもやっているうちに、吸収効率があがり、何とか作り込めるようになってくる。そして、そういう作り込んだ内容で発表してみると、発表後のレスポンスが確実に変わってくるのだ。聞き手を揺り動かすかどうか、というのは、話し手側の努力に確実に比例しているのだ、と。これまでの努力をしないクズ発表を痛烈に反省し、今は多少努力をしておりますです、はい。

そして、今日は三重でのお仕事。昨日の学会発表で話したテーマの延長線上で、三重県の特別アドバイザーとして関わる現場での打ち合わせ。一つは、ある市のモデル事業に関する打ち合わせと、県レベルでの研修に関する打ち合わせ。昨年度の成果を踏まえ、今年度何が出来るか、を話し合う議論であった。

こういう議論の場で、研究者というアドバイザー役割について、しみじみと感じることがある。それは、「他人を通じて事をなす」という以前引いた伊丹敬之氏の箴言だ。

山梨でもそうなのだが、市町村なり県なり事業所なり様々な組織やシステムに関わるが、私は経営者でもないし、そこの従業員でもない。外部者としてのアドバイスを求められる。その際、どこまで何をするか、が大きく問われている。この点について、肩肘を張っていた部分があったことや、「失敗する権利」もあると言われて少し楽になったことなど、こないだのブログでは書いた。この件に関して、実はその後、お忙しい中にも関わらず、尊敬する先輩であるとみたさんから個人メールで色々ご指摘頂く。現場の人と外部者である研究者の「失敗する権利」とは違うのではないですか、と。

そうなのだ。現場の人は、失敗したら後がなかったり、あるいは良くない結果を自分で引き受ける、という第一義的責任と、それゆえにどのような選択をするか、という選択権がある。外部者である僕は、責任を引き受けないため、最終的な選択権はないのだ。つまり、どんなに良いと思った事でも、それがよいかどうかを決めるのは、その現場にある。その部分で、あなたが余計な責任を引き受けたつもりになって、無駄な刀を振り下ろしていませんか、と、ご指摘頂いた(のだと僕自身は勝手に解釈している)。つまり、研究者としての役割とその限界を理解していますか、ということだ。

先ほどの話とくっつけるならば、この部分が、僕には無理解だったと今になって理解出来はじめた。全く遅すぎてすいません。研究者が落語家と違って持つべき職業的矜持と、それゆえに犯してはいけない一線。ここが不明確であったり不十分であったりすると、あらぬ誤解やいらぬフラストレーション、ハレーションなどを巻き起こす。私もしんどいし、周りもしんどい。故に、最終的には、ごり押しをしても、自滅する以外の道筋がなくなっていく。そう、役割の無理解と逸脱は、自らの選択肢を狭めるだけの、文字通り墓穴を掘る行為なのだ。

そういう理解ができはじめたから、少しは真っ当に仕事ができはじめた。と共に、今更ながら掘り続けてきた墓穴という穴の大きさと深さに、自分の阿呆らしさに、情けなくなるばかりだ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。