エビの真実

 

今日はまだ時間が早いので、最終とは言っても、「かいじ」ではなく「ふじかわ」の人である。三重からの帰り道、と言えばいつも6時か7時頃まで打ち合わせをして帰るので、東京経由になる。だが、今日は5時前には打ち合わせが終わったので、何とか静岡経由での最終列車に間に合った。それにしても、昨日今日は濃厚だった。仕事のついでにお伊勢さんにお参りまでしてきたからである。だが、この話に入る前には、前段の「尾ひれ」が必要だ。

時計の針を先週に戻すと、先週の木曜日、干し草かブタクサの花粉にやられ、朝からヨークのホテルで死にそうになっていた。近所の薬局で症状を訴えると、「ヨークは盆地だから特に花粉症が酷いのよ」とのこと。早速市販薬を飲んで、少しするとだいぶ症状が緩和されてきた。

水曜午前で終わるエジンバラの学会(SPA)から金曜朝から始まるシェフィールドの学会(EASP)への移動日で、木曜は半日程度の休日。前日の夜はヨークの美しくコンパクトな中心街を一人でほっつき歩き、フィッシュアンドチップスを食べ、パブで一杯のお勧め地ビールを求めてハシゴした。そんな優雅な夕べだった故、ホテルの部屋に戻った夜中以後の急激な鼻づまりと絶不調は、天国から地獄そのもの。まさに身も心もクタクタになり、絶望的な気分だった故、朝10時に飲んだ抗アレルギー薬は、まさに「藁をもすがる」気分。1,2時間でぴたりと症状が止まったのは、本当によかった。

で、そういう絶不調からの回復期、せっかくヨークに来たのだから、とヨーク大聖堂に出かける。国内有数という大聖堂に佇まい、ぼんやりしていると、ひんやりした空気も手伝って、ようやく落ち着きを取り戻す。やはり、『土地の神様』にご挨拶するのは大切なことだ。

で、そうやってヨークの記憶がはっきりしていた月曜日の帰国後、一週間ため込んだ新聞記事を読んでいて、書評欄で井上章一氏の新作が出ていた。その名も、『伊勢神宮』。その記事を見た瞬間、ふと心によぎった。あ、昨年来しょっちゅう三重に出かけているのに、お伊勢さんにご挨拶に行っていないよな、と。しかも今週金曜の鳥羽での会議は、午後5時に着けばいい。早めの列車に乗れば、3時間は伊勢に滞在出来る。このチャンスを逃したら、次はいつかわからない。それが、急遽決まったお伊勢参り、につながったのだ。

実は伊勢神宮も、イギリスと同じ96年に訪れているから、奇しくもちょうど13年ぶりの訪問であった。正月の幕の内に友人と訪れている。だが、その時は内宮しか出かけず、かつ人が多くてほとんどその記憶も残っていない。今回は、伊勢市出身の県庁職員のアドバイスを受け、ちゃんと外宮から内宮へとお参りするプロセスを踏む。先週のヨークもその時期にしては異常なほど暑くて参ったが、今週の伊勢はムシムシしていて汗びっしょり、となる。しかし、手順を踏んだお参りをしていく中で、気持ちはすっきりしていく。

それにしても、予想以上の人の多さ。未だに伊勢神宮が引きつける魅力の大きさ、を感じずにはいられなかった。おかげ横丁で赤福なんぞをつまむ時間的余裕はなかったが、まずはきちんと本意を達成出来た事に大満足。徒然草に出てくる、石清水八幡宮の入口で引き返した「仁和寺のある法師」にならずに済んだ。

そういえば、行きの伊勢神宮予習本で、「仁和寺のある法師」のような間抜けなお坊さんの話を読んだ。(残念ながら井上章一氏の作品はアマゾンですぐに買えなかった)

「なぜ僧侶は普通の人と同じ場所で参拝出来なかったのか。それは僧侶が死の汚れに触れることが多いとされたからである。神宮は死を来れった。後で書くが、神道が理想とする『永遠に生きる』という理念に死ぬということは反する。現実には避けることのできない死という現実をできるだけ遠ざけたいとして、どうしても死者に接することの多い僧尼に遠慮願ったのだろう。でもそれは厳格になされたわけではない。(略)江戸時代にはお坊さんも鬘をすれば参拝できることとなり、宇治橋前に貸し鬘屋ができたという。当時は鬘のことをエビといった。そこでエビを着ければ参宮できると聞いた坊さん、つるつる頭に伊勢海老をくくりつけたという笑い話も伝わる。」(矢野憲一『伊勢神宮』角川選書、p130-131)

「仁和寺のある法師」といい、「つるつる頭に伊勢海老」といい、こういう僧侶のそそっかしいエピソードは、思わずクスリ、ときてしまう。そして、僕自身もスノッブで、かつ思いこみも決めつけが多い方だから、こういう勘違いをしてしまうなぁ、と思う。そういえば、帰りの名古屋駅の売店で買った本の中に、そんな決めつけに対する戒めのフレーズも見つけた。

「『自分の正体を明らかにせよ』
言語と同じくらい私たちの存在に染みついた、生存のための方法論。だからこそ、私は声を大にして、『正体を明らかにするな』と若者たちに言いたいのだ。心の中に青春の残り火を懸命に維持している大人たちにも呼びかけたいのだ。生命の本質は、異質なベクトル間のバランスのダイナミックスにある。たとえ、『正体を明らかにする』ことが市場の要請だとしても、『正体を明らかにしない』という衝動と釣り合って、はじめて私たちは生命を全うすることが出来る。」(茂木健一郎『疾走する精神』中公新書、p173)

そういえば、前々回のブログにも書いたが、前回ヨークや伊勢神宮を訪れた13年前。僕はまさしく「自分の正体を明らかに」したがる人間だった。早く認めて欲しい、少しは尊敬してもらいたい、社会の中に自分の活躍出来る居場所が欲しい。そういった若さ故の焦りと不遜な思い上がりに支配され、「自分の正体」はこれです、と決めつけ、それを売り込もう、認めてもらおう、と必死だったのかもしれない。その時は、自分の専門性のなさが非常に嫌で、早くひとかどの人物になりたい、早く何らかの専門家の入り口に入りたい、と焦っていたのかもしれない。

だが、13年後、今の段階でも結局『正体を明らかにしない』というか、それが出来ていない。未だに自分が専門家かどうかアヤシイし、よしんば専門家の片隅にいたとしても(一応そう世間で規定されているようだ)、一体何の専門家なのか、よくわかっていないし、説明出来ない。専門は?と聞かれ、その時々で障害者福祉論とも福祉政策とも社会福祉とも答えるが、どれも中途半端だし、どれも強く主張は出来ない。そのことで、自分の中での欠落感や未熟さを感じることは、少なくないし、ブログに書き続ける自己反省的言及に、それが如実に表れている。(それを見て、いつものくどさ、と思う方もいるかもしれないが)

だがそんな中でも、こうして山梨や三重でご縁を頂き、エンパワメントや支援に関わる仕事をしている。多少なりとも、現場にお役に立っているようだ。そこから考えると、中途半端な自己定義、というなの「決めつけ」が、自身の存在や考え方に限界を規定することでもあるのではないか、とこの茂木氏の文章から感じる。そして、自分への決めつけが、他者への、社会への決めつけへとつながる。そこから、「つるつる頭に伊勢海老」というお笑い種が生じる。周りから見れば、本人が至って真面目に伊勢海老をくくりつけているのが、可笑しい。だが、視点を変えれば、そういう「決めつけ」を正当化した人ほど、他人に指摘されて逆上する可能性が少なくない。「これが正しいはずだ。何が悪いのだ」と。

うねうね書き続けて来たが、「つるつる頭に伊勢海老」を、僕自身が真顔でしてはいないか? 13年前の愚かさから、少しは成長したか?という以前の問いに戻る。戻る、というより、自分の好きなフレーズで言えば、拡大する螺旋階段的上昇が出来ているか、ということ。同じ地点に戻ってきたようでいて、前回より半径が広く、より高みに昇れているかどうか。そういう位相の違いが、13年前とあるかどうか? それがなければ、「つるつる頭に伊勢海老」を今もしていることになる。さて、僕は以前と違って、少しはエビの真実に気づきはじめたのだろうか。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。