ファシリテーターの極意

 

今日は最終の「ふじかわ」号、甲府行き。鳥羽市からの帰りである。この8月は、冒頭の鳥羽大阪ツアーから始まり、翌週の島根、先週の福島、そして今週の再度の津・鳥羽ツアーと、毎週出張が続いていた。提出書類やらテストの採点やら原稿の〆切やらも抱えていると、結局、あっという間に過ぎ去ってしまう。最後まで残っていたタカハシさんにお約束していた原稿の目鼻も、ようやっと今回の出張の道中で着けられたので、ほっと一安心。

とはいえ、7月の段階で考えていた「夏休みのお勉強&論文書き計画」には全くたどり着けないうちに、8月も残すところ、あと数日。宿題が全く出来ていない小学生の気分を、今年も強く感じる。三つ子の魂なんとやら、ではないが、日程管理の甘さに仕事の遅さ、など、反省すべき所は山ほどある。しかし一方で、現場との関わりの場面だからこそ、の、貴重な学びもあるから、ツアーについつい出てしまう。今日の大きな学びは、ファシリテーターの極意。教えてくださった、というか、身をもって体現してくださったのは、いつもお世話になっている北野先生(敬意を込めて、いつもきたのさんと呼ばせて頂いている)。同じ現場で関わって、実に今日も多くの事を学ばせて頂いた。

今日のお仕事は、鳥羽市における自立支援協議会の立ち上げ支援現場であった。北野さんは鳥羽市の、タケバタは県のアドバイザーとして、協働で立ち上げ支援に関わらせて頂いている。その中で、地域の皆さんが集って行われた準備会の現場で、今日のお題は「ライフステージ毎の困難課題を整理してみよう」というテーマだった。縦軸に「介護」「教育」「就労」などの生活課題が、横軸に「乳幼児」「就学前」「小学校」などのライフステージの単位が書かれた模造紙を前に、「こども」と「生活」の二つのグループに分かれて議論をして、まとめていったのだが、その際の北野さんの引き出しが多いこと、多いこと。

「おかあちゃん達は、自分の子の代では達成出来なかったけど、次の世代の為に計画作りに頑張ってくれた」「社会資源マップは、それ単独で検討するとたいてい失敗する。事例を分析する中で、なんでうまくいったか、いかなかったか、の背景には、必ずその地域の社会資源の問題が浮き出てくる」「活動の場を障害の重度・軽度で分けることは、固定化につながるし、ノーマライゼーションの考え方から言ってもおかしい」「重度訪問はちっちゃな単位でも作ることが出来るので、こういった鳥羽でも実現は不可能ではない」「就学期の6歳、卒業後の18歳、親亡き後の40代以後、介護保険の65歳、といった時点で、問題が表面化・極大化することが多い」

書き始めたらキリがないが、すぐに思い出すだけでも、上記のような発言がぽんぽん飛び出してくる。しかも、改めて感じるのは、どれも理論と実践の双方から裏打ちのあるコメントが、目の前の議論や発言にピタッと当てはまる形で、当意即妙に出てくるからだ。数多くの審議会や検討会、学習会などで多くの当事者・家族と議論や検討を重ねて来た歴史から出てくる経験談は、まずもって説得力がある。しかも、例えばノーマルな生活環境(障害の種別や程度で固めない支援環境)といったノーマライゼーションの原理も勿論しっかり押さえておられる。さらには、結果的には北野さんのコメントによって、会が引き締まっていく、ということは、ちゃんと全体の構図の中で、ご自身の発言の位置づけも直感的に押さえながら進めておられる。こうして僕が分析的に書くと何だか陳腐になってしまうが、そばで見ていて、かつ僕自身もファシリテーターという同じ立場に立たせて頂いて、その達人技に、心底敬意を抱く。文字通り、とてもかなわない。そして、自らの経験・理論不足の青二才ぶりが、改めて露わになる。

そういう意味で言うと、僕は北野さんの近くで関わらせて頂いて(勝手に師事しはじめて)8年近くになるが、年々師の凄さが、身に浸みてわかるようになってきた。いつもハハハと笑って偉そうぶらないマッドサイエンティスト的(バック・トゥー・ザ・フューチャーに出てくる例の博士のような)風貌と、つまらない親父ギャグは、核心をつくホントは鋭利な刃、を隠す、よい鞘となっているのかもしれない。

鋭利な刃、で思い出すのは、お誘い頂いて数年来ご一緒させて頂いているアメリカ研究の現場でのエピソード。一回目の調査は、ちょうど僕がプータロー時代の最後(大学に就職する直前の春)で、ホテルのツイン部屋に同宿させて頂いた時のこと。ある程度の睡眠がないと持たない僕とは対照的に、いつも半徹夜状態で膨大な資料を読み込みながら、インタビュー相手の現実に対して、時間ギリギリまでご自身なりの仮説を構築・整理している姿だった。「これはこうなるはずだから、あれ、この部分はどうしてこうなっていないのか」 数多くの資料をつきあわせながら、論理の矛盾を探し、聞くべきポイントを深く絞り込んでいく姿には、普段のおもろいおっちゃんの面影は微塵もなく、厳しい研究者の背中そのものであった。この部分があるからこそ、現場でインタビューしていても、訪問先の人の顔色が変わる。「このガイジンは、ちゃんとこちらの実情をわかった上でクリティカルな質問をしている。旅行気分の他の日本人訪問者とはどうやら違うようだ」 そういう厳しさが同居するから、深度と確度の深い情報がもたらされる、という事も、インタビューに同行させて頂いたからこそ、わかる現実だ。

ファシリテーターの極意の事を書いている内に、研究の極意のエピソードまで、教えて頂いていたことを、ようやく思い出した。こりゃ、明日からちゃんと勉強しなければ。 

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。