倫理と道徳

 

今日は講義系科目の最終日。しかし、泥縄講義のため、授業直前まで準備に追われる。

土日はセンター試験関連業務で、連日12時間拘束。金曜日と月曜日は、県の障害福祉課、長寿社会課の会議や研修で一日埋まる。その間に、21日〆切の卒論生の原稿を何度も読み、コメントし、それ以外にも学内業務やら、講演レジュメの〆切やら、に追われて、久し振りに一杯一杯。そんな中、更に追いつめるように考え始めたのは、センター試験の真っ最中からだった。

センター試験一日目の夜、一日缶詰でグッタリ疲れて風呂読書していた時の文章が、妙に気になり始めたのだ。ずっと読み続けている池田晶子氏の「最後の3冊」のうちの一冊が、その導線となった。

「外なる規範としての道徳は、常に、『べき』とか『せよ』とか『ねばならぬ』等の規則や戒律の形をとる。したがって、それを行為する者には必ず強制や命令として感じられる。これに対して、内なる規範としての倫理は、たんに『そうしたい』という自ずからの欲求である。たとえば、『悪いことはしてはいけないからしない』、これは道徳であり、『悪いことはしたくないからしない』、これが倫理である。『善いことはしなければいけないからする』、これが道徳であり、『善いことをしたいからする』、これが倫理である。」(池田晶子『私とは何か』講談社、p135

今まで読んだ中で、一番簡潔で分かりやすい「倫理」と「道徳」の説明である。これを確かめるべく辞書を引いていたら、類語大辞典(講談社)では次のような使い分けをしていた。

道徳:社会において、物事の善悪を考え、正しく行動するための基準
倫理:社会において、物事の善悪を考え、正しく行動するための守るべき道

内発的にわき上がる「したい」「守るべき道」と、外なる規範としての「ねばならぬ」「基準」。前者をwould like to、後者をshould, mustの違い、と切り分けると、スッと腑に落ちてきた。そこから、センター試験二日目に、ふと頭によぎったのは、「これって、ボランティア、とかノーマライゼーションの説明にも使えるかも知れない」ということだ。

例えばボランティアで、なぜ「偽善」と言われるのか。もともとボランティアは「○○したい」という自発性ではじまる。つまり、「倫理」から出発する。倫理とは、善く生きることを指すのだから、その限りにおいては、ボランティアは「善」であり、「偽善」とはならない。だが、ボランティアがなぜ、「偽善」とつながっているのか。そこには、「倫理」と「道徳」のすり替えがあるのではないか。こう思って、昔読んでいた本をパラパラめくっていたら、ちょうどピッタリの項目にぶつかった。少し長くなるが、引用する。

「ボランティア活動というのは、『何かをしたい』という意志だけがありさえすれば、どんな内容のものでも『ボランティア』と呼ばれうるのだろうか。実はそうではない。生産や営利ではないといっても、例えば暴走族グループに参加するのを『ボランティア』と呼ぶ人はいない。それは極端な例だが、宗教団体への加入はもちろん、何かの政治的・思想的な主張をもつ団体に参加することも『ボランティア』とは呼ばれないだろうし、女性とか少数派の権利擁護の運動などに関与することも『ボランティア』ではない。また、植林などの緑化運動には『ボランティア』で参加しても、『原発』や『ゴミ焼却場』の建設反対運動への参加については『ボランティア』と呼ばないのが通例だ。さらに、『国際協力』といても、異国の革命運動に身を投じたり、内戦の一方の当事者に加担することは、歴史的には『義勇軍』とか『パルティザン』という意味でボランティアのはずだが、今日ではこれも『ボランティア』とは呼びにくくなっている。要するに、確定的な基準は示しにくいとしても、ボランティア活動の内容には選別が働いており、その選別に際しては『公共性』と称されるような支配的言説が求める基準が強く関与しているとみなければならないのである。」(中野敏男『大塚久雄と丸山真男-動員、主体、戦争責任』青土社、p279-280

確かに、暴走族だって、そこでしか生き甲斐を見いだせない若者にとっては、一種のセルフヘルプグループと言えなくもない。あるいは、「ゴミ焼却場建設反対」も、エコロジーのボランティア運動には、変わりない。しかし、中野氏が指摘するように、「確定的な基準は示しにくいとしても、ボランティア活動の内容には選別が働いて」いる、というのは、頷ける。彼の本の前半で、戦後社会で市民派と言われた論壇の大家、大塚久雄が、戦争中にいかに自発的に戦争協力を促すような文章を書いていたか、を鮮やかに分析している。その後に、現代のボランティア活動称揚に疑問符を唱え、その内容選別に「支配的言説が求める基準が強く関与している」という指摘は、戦時中の「動員」的思想と一続きのものとして、私たちの胸に突き刺さる。つまり、「自発性」に基づく活動であっても、その活動内容が、既に「支配的言説が求める基準」の内部である場合、そこには「道徳」的バイアスが既にかかっている、のではないか、と。

本来、個々人のわき上がる倫理的な「ほっとかれへん」という気持ちで始めたボランティアも、その内容選定で、道徳的(=外部規範的)な規制があり、その規制内部での(=支配的言説が求める基準に合致した範囲での)活動内容を、「自発的」に選び取るのである。それって、「倫理」の「道徳」化、というか、「倫理」と「道徳」のすり替えではないか、といえまいか。個々人の「善」がベースであるはずのボランティアが、いつの間にか支配者にとっての「善」の暗黙的了解(受け入れ)につながらないか、と、考える事も出来るのである。

と、これまでは3限の「ボランティア・NPO論」で今日話した内容の一部なのだが、この話は、今日の1限であった「地域福祉論」のテーマで扱った、「ノーマライゼーションの原理」の誤解や、その後の流布の仕方にも、共通するような気がする。

以前も書いたが、もともと北欧のノーマライゼーションの原理は、入所施設の非人間的処遇にショックを受けたデンマーク人の社会庁(=日本の厚生労働省)の役人、バンク=ミケルセンや、知的障害者組織のオンブズマンをしていたスウェーデン人、ニイリエが、「こんな現状は放っておけない」「許されない」と思ったところに、端を発している。(最近の河東田さんの研究では、1946年から既にそういう言い方もされていたそうだが、ここでは敢えて二人の思想の起源を考えたい。)

その際、「許されない」「何とかしたい」と思った時に、「知的にハンディのある人だって、他の人と同じように、一日のノーマルなリズムがないとオカシイじゃないか」と思って作ったのが、バンク=ミケルセンの3つの側面であったり、ニイリエの8つの原理である。つまり、この原理の根本には、「障害のある人の劣悪処遇を何とかしたい」という二人の「内なる規範としての倫理」が存在したのだ。

この北欧ノーマライゼーションの「二人の父」と全世界的には彼らよりも遙かに知られているアメリカ人研究者、ボルフェンスベルガーのノーマライゼーションの説明が、どう違うのか、を、整理する時にも、「倫理」と「道徳」が使えるような気がするのだ。とりあえず、ヴォルフェンスベルガーの代表的な記述を引用してみる。

「対人処遇の手段は、できるだけその独自の文化を代表するようなものであるべきであり、逸脱している人(その可能性のある人)は、年齢や性というような同一の特徴をもつ人たちの文化に合致した(つまり、通常となっている)行動や外観を示しうるようにされるべきだ、ということである。『通常となっている』という用語は、道徳的というより統計的な意味であり、標準的とか慣例的と同じと考えられよう。『可能な限り通常となっている』という語句が示唆しているのは、何が、どれだけ『可能な限り』ということになるかは、経験をしていくプロセスで決定されるということである。」(ヴォルフェンスヴェルガー「対人処遇における逸脱の概念」『ノーマリゼーション』学苑社、所収)

彼のノーマライゼーション理解の最大のポイントは、障害者を「逸脱している人」と見なした上で、「文化に合致した(つまり、通常となっている)行動や外観を示しうるようにされるべきだ」と整理している。その際、「道徳的というより統計的な意味」とはいうものの、「標準的とか慣例的」という表現で、障害のある人に「○○すべきだ」という「外なる規範としての」『べき』論につながっている。これが、いつしかヴォルフェンスベルガーの論理の「規則化・戒律化」につながり、施設のあるべき姿だけでなく、障害者もネクタイをして、といったルール化につながる。そして、障害者自身、つまり「それを行為する者には必ず強制や命令として感じられ」、80年代以後、障害学からの大きな批判を受けていくのである。

だが、これまで見てきたように、ノーマライゼーションの原理で批判されてきたのは、この「道徳」的押しつけ、の部分である。その一方、入所施設が未だに多い日本では、北欧の「二人の父」が当時から闘ってきた、「ほっとかれへん」というボランタリー・アクションの根元となった倫理は、決して過去物語ではないのではないか。「倫理」と「道徳」のすげ替えやその意識的・無意識的誤用は問題視されなければならないが、それを指してノーマライゼーションの「倫理」そのものを捨て去るのは、まだ時期尚早ではないか。そもそも、この「ほっとかれへん」の「倫理」は、地域移行や退院促進が政策的課題として上がりながら、上手く進んでいない今だからこそ、強く意識されるべきではないか。

そんなことを、授業中にとても伝えられなかったのだけれど、しゃべりながら、整理していた。そして、それと同時に、昨年度R大学で語り切れなかったこと、また、下のエッセイに書ききれなかった事も、ちょっとだけこのブログで整理出来たような気もする。以下、ご参考までに、長ーいエントリーになりますが、1年半前の原文を貼り付けておきます。

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ノーマライゼーションを「伝える」、ということ
竹端寛
福祉労働119号 p155-161

<学ぶ立場から伝える立場へ>

「なんだか生理的に受け付けない!」

ある大学院生が、そう漏らした。そのつぶやきを聞いて、以前の自分を思い出していた。

私は以前、当誌103号で「ノーマライゼーションの具現化としての施設解体-スウェーデン知的障害者福祉改革のプロセスと施設解体後の現状」と題して、2003年冬から2004年春にかけて行った現地調査の概略を発表させて頂いた。この調査では、2006年に亡くなられた「ノーマライゼーションの育ての父」、ベンクト・ニイリエ氏に直接お話しを伺うチャンスもあり、その時の薫陶を短い原稿の中に入れようと、試行錯誤した思い出がある。

あれから5年後の今年、海外に研究調査にいかれた先生の代役として「ノーマライゼーション」に関する講義と演習を、学部と大学院でそれぞれ1コマずつ引き受けた。5年前はスウェーデンのノーマライゼーション具現化のプロセスや実践への反映を調べ、受容するだけで必死だった私が、今度はご縁あってノーマライゼーションを学生に伝える、という機会に恵まれたのだ。そこで、大学院の演習では、以前からやってみたかった(けど一人では果たすエネルギーが沸かなかった)北欧・北米・日本でのノーマライゼーションに関する文献をかき集め、時系列的に読み進めてみることにした。

実はこれには伏線がある。以前とある教科書に「ノーマライゼーション」の項目を書かせて頂いた(注1)。その執筆過程で、ある程度ノーマライゼーションの言説を集め、読み進めていたのだが、その中で、この概念ほど論者や時代によって色んな意味合いが込められているものはない、と感じ始めていた。「脱施設」推進の文脈でも、入所施設の機能充実の文脈でも、同じようにこの言葉が使われている。「この同床異夢状態がどうして起こっているのだろう?」 このときに感じた疑問を解決したくて、ある種の「謎解き」をし始めたのが、先述の大学院の演習である。そして、冒頭のつぶやきは、北欧のノーマライゼーション概念はもともと施設福祉中心的なものであった、と批判していたある論文を読んでのディスカッションの際に出てきた一言である。

実はこのつぶやき、私自身も当該論文を初めて読んだ際に、同じ事を感じていた。大学院生の頃、「ノーマライゼーション=善」という単純な理解をしていた私自身にとって、その論理の運び方に陥穽を見いだせなかったものの、どことなく「なんか違うんじゃないかなぁ」と感じていた。だが、何がどう「違う」のか、はっきりわからなかった。だから、この学生同様、「生理的」レベルの嫌悪感で留まっていた。

だが、今年のゼミで、ある「補助線」を引きながら考えることで、この「生理的」レベルでの処理ではない、新たな視点が見えてきた。その「補助線」こそ、社会学の古典的名著でもあるE・ゴッフマンの「アサイラム」である。

<全制的施設、という補助線>
1950
年代のアメリカの精神病院でのフィールドワークを行ったゴッフマンは、精神病院における患者と職員の関係、および精神病院の構造そのものが、刑務所や強制収容所、僧院などといった他の施設と類似していると気づいた。そして、「アサイラム」の中で、それらの施設を総称して全制的施設(total institution)と名付け、その特徴として、次の4つがある、と整理した。

・生活の全局面が同一場所で同一権威に従って送られる。
・構成員の日常活動の各局面が同じ扱いを受け、同じ事を一緒にするように要求されている多くの他人の面前で進行する。
・毎日の活動の全局面が整然と計画され、一つの活動はあらかじめ決められた時間に次の活動に移る
・様々の強制される活動は、当該施設の公式目的を果たすように意図的に設計された単一の首尾一貫したプランにまとめ上げられている。(注2)

このような整理をした後、被収容者がどのように全制的施設に順応していく中で無力化(disabled)されていくか、を膨大な先行研究をちりばめながら論証していく。その切り口の鮮やかさと論証の確かさに、堅い翻訳語であるにもかかわらず、読み手の私たちも思わず引き込まれてしまう、そんな一冊である。

今回真面目にこの本を院ゼミで読むことにしたのは、ニイリエやバンクミケルセンといった「ノーマライゼーションの父」たちが生きた時代に、施設はどのようなものであったか、を学生さんたちと一緒に再確認しておきたかったからだ。読み始めて多くの発見があったが、ノーマライゼーション理念との関連で一番の発見は、次のフレーズであった。
「個人の自己が無力化される過程は一般に、どの全制的施設においてもかなり標準化している。この種の過程を分析することによって、われわれは、通常の営造物がその構成員に常人としての自己を維持させることを心掛けるとすれば、保証されなくてはならない仕組みはどんなものか、を知ることができるだろう。」(注3)

全制的施設において無力化される「過程」を丹念に分析することは、「常人としての自己を維持させる」、つまりは無力化されないために保証されるべき条件や仕組みとは何か、を考えるために必要だ。この整理に出会った際、改めてバンクミケルセンやニイリエが、なぜノーマライゼーションという考えを生み出したか、を理解するための補助線が得られたような気がした。それは、彼ら自身が「全制的施設」を生身で経験しているからである。

<二人の体験>
周知の通り、バンクミケルセンはナチスのレジスタンス運動の闘士であり、またニイリエはハンガリー動乱後の難民キャンプで、スウェーデン赤十字社の事務官をした経歴を持つ。この二人の経験が、ノーマライゼーションの理念とどのように結びついているか、は二人の自伝的記述に詳しい。

「もし私が誇りにすることは何かと聞かれれば、それはナチスへの抵抗運動で強制収容所に入れられたこと、そこで悲惨な人間抑圧の実態を体験したというのが答えです。(略)精神薄弱の部門に配属になってから、彼らが生活している施設に行く機会がありました。その生活は、ほんとうに悲惨で、ナチスの強制収容所とすこしも変わりないものです。私は、彼らの生活条件をなんとかして、少しでも向上させたい、改革しなければならないと感じました。」(バンクミケルセン:注4)

「私は、突然オーストリア・ウィーンの南にあるトライスキルヘンのキャンプのスウェーデン赤十字社チームの社会福祉担当官に任命されたのである。そこはハンガリー難民のために設置されたばかりの古い軍事施設で、粗末な物資で運営され、収容能力を超えた3500人もの人々が利用していた。(略)その後赤十字社は、脳性マヒに対するフォルクベルナドッテ募金運動の組織の仕事を私に託した。(略)このようにして私は、大きな集団で「大量管理型」の大施設の中で生きることに伴う屈辱、不安、将来に対する恐れという全く異質でノーマルでない負担を強いられる経験を身近に感じるとともに、社会の中で正当な発達の機会を設けていくための努力、闘い、そして深い人間の意欲に共感するようになった。」(ニイリエ:注5)

このような、「全制的施設」のリアリティを持っていた二人にとって、知的障害のある人が収容所的な施設に入れられていたのを目にした際、「あれとこれは同じだ」と類似点を見出したのは、よく理解できる。そして、ゴッフマンが、「個人の自己が無力化される過程」を分析的に記述したのに対して、それをなくすにはどうしたらよいか、を考えたのは、バンクミケルセンやニイリエだけではなかった。そこで「もう一つの補助線」として取り上げるのが、ラッセル・バートンの『施設神経症-病院が精神病をつくる』である。

<もう一つの補助線>
バートンは、ゴッフマンと同じ時代のイギリスの精神病院を分析していた。その中で、精神病という個人因子よりも、むしろ精神病院という環境因子が精神病を作り上げていく、という部分が多いことに気づいた。そして、彼はその問題点を、次の8つの項目としてまとめた。(注6)

1,外界との接触の喪失 2,何もしないでブラブラさせられることや責任感の喪失 3,暴力、おどし、からかい 4,専門職員のえらそうな態度 5,個人的な友人、持ち物、個人的な出来事の喪失 6,薬づけ 7,病棟の雰囲気 8,病院を出てからの見込みのなさ

このバートンの議論の興味深いところは、8つの項目の現状分析で終わらなかったところである。ゴッフマンのいう「常人としての自己を維持させる」ために保証されるべきポイントを、先の8つの項目を反転させる形で、次のように整理したのだ。

外部世界と患者との接触を再構成する。週7日、1日14時間にわたって、有益な仕事、レクリエーション、社会的催しというような日常的活動を導入する。暴力性、威嚇的態度、いじめを根絶する。親愛、受容、援助の態度を持つように職員の態度を変える。患者を元気づけ、友人や何か夢中になれるものをもてるようにし、また個人的な催しを楽しめるようにする。可能な範囲で薬を減らす。病棟に社交的、家族的、許容的雰囲気を取り入れる。病院外に住居、仕事、友人関係、その他より満足できる生活のあり方といった可能性があることを、患者に気付かせる。

このバートンの整理は、ニイリエやバンクミケルセンの整理と多くの共通点がある。

<3条件と8つの原理>
何が似ているのか、を整理するために、改めて北欧の二人の父の考えを振り返ってみたい。まず、バンクミケルセンが示したのは、次のような事であった。

「ノーマリゼーションを詳しくのべる場合、一般の生活条件ともっとも広い意味での処遇を区別しなければならない。生活条件は、住居の条件、仕事の条件、余暇の三側面から検討しなければならない。さらに子どもと大人を区別しなければならない。」(注4)

 次に、ベンクト・ニイリエが1969年に発表した8つの原理を見てみよう。(注5)

1.ノーマライゼーションの原理は、知的障害者に一日のノーマルなリズムを提供することを意味している。
2.
ノーマライゼーションの原理はまた、ノーマルな生活上の日課を提供することでもある。
3.
ノーマライゼーションの原理はまた、家族とともに過ごす休日や家族単位のお祝いや行事等を含む、一年のノーマルなリズムを提供することを意味する。
4.
ノーマライゼーションの原理はまた、ライフサイクルを通じて、ノーマルな発達的経験をする機会を持つことを意味している。
5.
ノーマライゼーションの原理はまた、知的障害者本人の選択や願い、要求が可能な限り十分に配慮され、尊重されなければならない、ということを意味する。
6.
ノーマライゼーションの原理はまた、男女が共に住む世界に暮らすことを意味する。
7.
知的障害者ができるだけノーマルに近い生活を得られるための必要条件とは、ノーマルな経済水準が与えられることである。
8.
ノーマライゼーションの原理で特に重要なのは、病院、学校、グループホーム、福祉ホーム、ケア付きホームといった場所の物理的設備基準が、一般の市民の同種の施設に適用されるのと同等であるべきだという点である。

こうして二人の考えを振り返ってみると、その類似点が明確になってくる。

「週7日、1日14時間にわたって、有益な仕事、レクリエーション、社会的催しというような日常的活動」というのは、ニイリエのいう一日のノーマルなリズムやノーマルな日課を意味している。「院外に住居、仕事、友人関係、その他より満足できる生活のあり方といった可能性があること」というのは、バンクミケルセンの言う、住居と仕事、余暇の三条件の整理と合致している。

ニイリエやバンクミケルセンは、ゴッフマンやバートンの指摘した全制的施設の構造的問題を把握した上で、当時の知的障害者入所施設が置かれた現状に対するアンチテーゼとしてノーマライゼーションの理念を形成していったことが、よくわかる。つまり、北欧のノーマライゼーション概念はもともと施設福祉中心的だった訳ではなく、当初から全制的施設に対する構造的批判を内包していた、ということができる。

<地と図-忘れてはならない視点>
だから、先に触れた論文は間違いだった、といった稚拙な整理をしたいのではない。この論文からも、私たち後人が引き継ぐことの出来る恩恵はたくさんある。特に、今回再整理する中で私たちがこの論文から学んだのは、「図に対する地」の理解、であった。

確かにニイリエの1969年の原理は、施設環境を全否定するものではなく、施設環境を改善するための整理となっている。バンクミケルセンの3つの条件にしても然り、である。この点に関しては、「北欧のノーマライゼーションの初期概念は施設中心的なものである」と整理することは、間違いであるとはいえない。

だが、それは明らかに二人の言説(=つまりは「図」)のみに焦点化したものである。これまでに整理してきたように、ゴッフマンやバートンの「補助線」を用いた際に見えてくるのは、北欧の二人は明確に、全制的施設の構造的問題を、批判の対象にしているのだ。そして、「常人としての自己を維持させる」、つまりは無力化されないための条件とは何かを明確な形にするために、ノーマライゼーションの理念を形成していくのである。そして、その条件を突き詰めていく中で、施設から地域へ、という北欧の実践が自ずから生み出されてくる。二人の理念創設時の「地」の理解からは、このような整理が導き出される。

私たちは、単なる言葉(=図)だけではなく、その言葉が出てきた歴史的・社会的文脈(=地)を見なければならない。当然の事ながら、「ノーマライゼーション=善」という浅薄な理解も、自分の思いこみの言葉への投影、という点では図のみの理解そのものである。施設か地域か、善か悪か、という言説(=図)のみではなく、その理念や考えがどのような文脈(=地)から生まれ、変容していくのか、をじっくり眺めない二項対立的言説は、本当の意味でのラディカル(=根元的)とは言えない。

ノーマライゼーションは流行思想でもなければ、もう日本では必要のない(終わった)理念、でもない。これはノーマライゼーション理念を伝える立場になって、一層ひしひしと感じはじめている。現状を本当に変えたい、と思うのであれば、図だけでなく地までも見つめ、学び、考え、常識的理解を揺さぶり続けなければならない。冒頭の学生へそう語りながら、実はそれは自分自身への叱咤激励でもあった。

たけばたひろし山梨学院大学法学部教員。

注1竹端寛 2007 「第2章 障害者福祉の理念」 北野・黒田・竹端編『障害者福祉論-シリーズ基礎からの社会福祉4』、ミネルヴァ書房、p46-51
注2…E・ゴッフマン(19611984)『アサイラム-施設被収容者の日常世界』誠信書房、
p4
注3同上、
p16
注4バンクミケルセン「ノーマリゼーションの原理」(中園康夫訳、四国学院大学論集42 p143-160

注5ベンクト・ニイリエ『ノーマライゼーションの原理』、現代書館、p6-7
注6ラッセル・バートン(19761985)『施設精神病-病院が精神病をつくる-』晃洋書房

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。