同い年、として

 

正月は、久闊を叙する時期ともなる。

高校時代の友人Mくんから電話。久しぶりにクラスのメンバーで飲み会をしよう、とのお誘い。よくつるんだ仲間のうち、気づけば半数近くが東京方面で働いている。出来れば1月中に新宿あたりで再会できるよう、約束する。16歳の頃から何やかやとワイワイ語らった仲間達とのつきあいも、気づけばもう20年。お好み焼き屋をしているTくんの家で、麻雀をしながら徹夜をしたり、語り明かした日々を、懐かしく思い出す。今ではすっかり肩書きや立場がくっついた付き合いが少なくないのだけれど、未然形のタケバタヒロシとして未だに付き合ってくれる仲間との再会は、今では貴重な時間となっている。

続いては、このブログの管理人、Nくんからのリプライ。どうも年始からブログの調子がよくなかったので、お尋ねメールをしておいたら、早速対応してくれた。彼はうさぎ年の同い年だが、僕が早生まれだったばっかりに、高校時代1年の先輩後輩の仲間。高校時代、お互い所属した写真部で、A新聞のカメラマンになったIくんと共に、ずっと語り続けた仲間だ。高校は男子校で、受験校でもあったのだが、若いエネルギーの注ぎどころを勉強におけなかった僕らは、必然的にアジール的な写真部室に吸い込まれる。当時、白黒写真を現像出来る暗室が部室だったので、鍵もかかるし、現像液を保存する名目で冷蔵庫もあった。ゆえに、その部室では、ジュースを保存したり、学校に持ち込むには不適切な書物!なども持ち込める、隠れ家的な場所だった。そこで、平日の夕方3時間ほどしゃべり込み、土日や休みの日であっても、なんだかんだ理由をつけて、集っていた。しかも、家に帰って電話で更に話すのだから、まさに異性との付き合いに近い濃厚さ。そうそう、中島みゆきにはまったのも、Nくんから提供された特製カセットテープからだった。(もう、このカセットテープというのも死語であるが

高校時代に中島みゆきだけでなく、谷村新司やら和田アキ子やら超超渋い曲を聴いていた彼も、今ではすっかりオシャレなウェブデザイナー。しかし、話を聞いてみると、ウェブの世界も不況の波が襲っているようで、景気のよろしくない話を伺う。あちらの世界は、10年前には空前のバブル景気があったそうだが、そのバブルも随分前にはじけた。それに不況も重なり、単価設定もどんどん下がっていき、外注していた企業も自社で出来る範囲内に縮小するようになった、とのこと。フリーランスにとって厳しい世の中。一人一人の「腕」がますます問われる時期になりつつあることは、大学教員であっても同じ。ゆえに、お互いもう一皮むけねば、という話にも、熱がこもる。

そうそう、「腕」といえば、年末に京都のジュンク堂で買った『中島岳志的アジア対談』(中島岳志著、毎日新聞社)を旅先で読み続ける。いつも著者の年齢に真っ先に目がいく悪い癖があるが、最近著作も多い気鋭の学者の生まれ年が、僕と同じ1975年。インドでもフィールドワーカーをしていた文化人類学者だが、保守の論壇人として日本の近現代史にも鋭く切り込んでいて、新聞の連載をまとめた柔らかい対談本ではあるが、刺激的な内容が続く。そうする意識がなくても、気づいたら、自分自身の研究スタンスと比較し、反省することしきり。学術賞の受賞作も含めた多くの単著を既に出している同時代人がいると、自ずと、「では、あなたは?」という問いが浮かぶ。怠けている、とは思わないけれど、今年はもう少し研究にも精を出して、アウトプットにも勤しまなければ。そんな同世代からのエールも勝手にもらった松の内であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。