両天秤の統合

 

役割期待、というものは、その人の潜在能力の開花を促進する為にも、逆に個人に強固な鋳型をはめてそこに固着させる為にも、双方に働きうるものである。毒にも薬にもなる。

私自身にとって、「大学教員」という肩書きは、5年前の成り立ての頃は、割と薬として機能していた。大学院生のマインドのまま講師になってしまったので、もっと勉強しなければ、という誘因には十分になった。フィールドワークにどっぷり浸かっていた大学院生時代の反動も多分にあって、ちゃんと理論を勉強しないと、というモードで、以前より大量に本を買い込み、どっどどっどと摂取していった。切迫感もあったが、その事に勿論楽しさも感じていた。自分の不勉強を何とか補うつもりで始めた読書会・参加した研究会等のお陰もあって、院生時代に学んでおくべきだった(でもサボっていた)バックグラウンドの知識は、研究者としての最低限の水準はクリア出来るくらいにはなってきた(つもりだ)。それは必要不可欠なプロセスであった。

だが、あれは「准教授」という肩書きに変わったあたりからだろうか。自分の中で、分裂気味な気持ちが生じ始めた。3年前から県の仕事にも携わり、現場へのコミットを再び深くするようになってきた。その中では、現場に通じる言葉を模索しながら獲得してきた。単にダメだ、ダメだと批判するだけではなく、相手が納得して自分から変わる言葉を探そう、と必死になってきた。その一方で、日本語の理論の言葉では不十分感を深く感じ、英語圏の本を囓るようになったのは、ちょうどこの頃からだ。以前は「福祉は文化依存的であり、他国の本に学べるところは少ない」と読んでもいないのに嘯いていたが、日本語の本に不全感を感じて読み始めたイギリスやアメリカの文献の中には、文化的差異を超えて現場を捉え直すヒントに満ちた、心に訴えかける良書が少なからずあった。

そうやって、現場の実践へのコミットと理論的良書の理解、の両天秤の負荷が良い具合に双方高まる中で、その両者にバランスを取る自分自身の主体性が問われるようになってきた。天秤は常にグラグラ揺れ、現場へのコミットに傾いたかと思うと、理論的言語に傾き直したり。そんな、右往左往の中で、両者を統合する自分自身は一体何を目指して、何をしたいのか、が不鮮明になってきた。その中で、「准教授」という外部からの役割期待が、眼前が開かれない暗闇の中でのとりあえずの羅針盤として活用出来た故、それに無意識にすがるうちに、自分の直感や感覚的言語、が抑圧され始めた。思っている事をそのまま口に出す、文章に書く、という事が憚られ、とにかくロジカルで説得力ある何かを書こう、と気張ってしまっていた。

そして、回顧録的になるが、そのころから、このブログの文章が急激に長くなり始めたような気がする。論理でゴリゴリ、が別に論文世界で十分に出来ていた訳ではないが、そういう志向性を持って動いている一方で、澱のように溜まった感情的な言葉を相補的に放出する手段として、このブログが機能した。表面的には「本の引用を基に考えたこと」という論理の世界がブログの中心的テーマとなっていたが、「本の引用」に頼らない、情動性を重視した発言も、少しずつ、このブログの中に潜ませるようになってきた。

なぜそういう回顧をするのか。そう、この2010年3月というタイミングで、その両天秤の統合、が自分の中で生まれ始めているからである。役割期待という外在的論理ではなく、主体タケバタとして、理論の世界と実践の世界を、稚拙であっても両方引き受けた上で、何かを伝えたい。そういうモードになりつつあるのだ。そうすると、今までなら届かなかった言葉が、心にビンビンと届いてくる。

It is advisable therefore to forget that you have been living for these “x” years. You are entitled to feel as if you were born today. You are allowed to start things all over again, without necessarily tracing the thing that has been burdening you until yesterday.
“Try to forget” SATURDAY, MARCH 27, 2010
 THE QUALIA JOURNAL by Ken Mogi
http://qualiajournal.blogspot.com/2010/03/try-to-forget.html

今朝のツイッターで知った、茂木健一郎氏のエッセイ。読んでいて、まさしく一条の光が差し込むような文章だった。春の陽射しに背中を押されて、というのもあるのだろうが、「今朝、生まれた」という感覚が、心の中でじんわり沸いてきた。すると、ここに書かれているように、新しい何かを始められそう、というワクワク感も同時に沸いてきた。以前なら、「そんなに簡単に人に影響されたらいけない」「洗脳と間違われるのでは?」という外的規範(=役割期待)に縛られていた。だが、今朝、そう感じたのなら、その感覚を大事にしよう、と思い始めている自分がいる。だからといって、今まで学んだり考えたりした全てのものを捨て去るわけでもないし、それは出来ない。今までの積み重ね(these “x” years)を大切にしながらも、それだけに囚われない「新たな今日」を生きてみよう、と思い立ったのだ。

こんな風に気付き始めている時期には、これも論理的説明の枠組みから越えるが、シンクロニシティが加速度的に起き始めている。手にとって、読んでみたものから、多くの刺激を同時多発的に受ける。

「たぶん、私は世界という絵本のページをやっと開いたところなんだ。そう思える。これまで私は世界という絵本を持っていたけど、それは本棚に飾ってあったのだ。そのページをやっと四十歳になって、開き始めたのだと思える。(略)知覚とは、可能性なのだ。私の心が変われば目が変わる。私という認識の世界はこの程度だ。知覚は大嘘つきだ。真実は何ひとつわからない。この大発見は私にとってコペルニクス的転回だった。そうなのだ、世界とは果てしもなく、不確実なものだ、という認識。そこに立てた時に、いきなり、芸術の扉が開いた。」(田口ランディ「アートの呪縛」『根をもつこと、翼をもつこと』新潮文庫、p246-247)

以前ご紹介した、2月末から3月頭に訪れた香港でインスパイアされた、真木悠介著『気流のなる音』の中で出てきた「人間の根元的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根を持つことの欲求だ。」という記述。この記述をみた時から、以前読んだ筈の田口ランディの本のタイトルがちかちか点滅していた。帰国後書棚を見渡してみても見つからないので、ネットで取り寄せて、読み始めてびっくり。読み手の主体性が変容しているから、今の自分にとって共感出来る部分が多い。なのに、読んだ内容を、殆ど覚えていない。多分メッセージとして根底的部分は意識化に潜んでいたからこそ、今回チカチカと点灯した、のだと思う。

そう、僕自身も「世界という絵本のページをやっと開いたところ」である。開こうとしたり、閉じてみたり、を繰り返していた。その時々の「知覚」に左右され、本棚を眺めるだけだったり、手に取った気になったり。その「知覚」や「認識の世界」の変容の可能性を相対的に理解出来るようになった時、僕の中でも「いきなり、何かの扉が開いた」ような気がする。ただ、まだ何の「扉」が開いているのかはわからないけれど。

そして、この「扉」が空いている時には、色んな風が入り込んでくる。

「自らの歩みと、その魂の植民地化のプロセスについて、自分自身で見つめなおし、取り出す作業は決して容易なものではない。そうした苦痛を伴いつつ、自らが囚われてきたものを明らかにする作業は、同時に『生きるために』身に帯びてきたさまざまな『呪縛』とそれを可能にしてきた心の『蓋』をこじ開けることになり、『蓋』の上でかろうじて安定している精神を揺り動かす危険をはらむ行為でもある。通常、そのような行為は、自己の精神や生活を脅かすものであると考えられ、また自分の魂を押し込め、苦しめている『蓋』こそが自らの精神を支えてくれている、と感じられることから、人々は『呪縛』を継続し、『蓋』にしがみつくことで『安定』を維持しようとする。それが呪縛の構造であり、また魂の脱植民地化が困難な理由である。」(深尾葉子「魂の脱植民地化理論の新展開」東洋文化90号、p18)

木曜日に開かれた、深尾先生がスピーカーとなった社会生態学のセミナーへ参加する為に、生まれて始めて東大の赤門をくぐった。以前なら、東大という表層や肩書きに感化されやすかったろうが、この日は、場所の問題ではなく、そこで繰り広げられている議論に大きく見開かれた。その内容は、もう少し消化してからこのブログに書くつもりだが、その日に刷り上がったばかりの深尾論文を帰りの「スーパーあずさ」の中で読んでいて、この部分が深く印象に残る。なるほど、僕の今行っていることは、「魂の植民地化のプロセスについて、自分自身で見つめなおし、取り出す作業」なんだな、と。

確かに「心の『蓋』をこじ開けること」は楽ではない。特にこの3月は、香港での気づきに始まり、深尾先生やこの研究会の主宰者である安冨先生との出会い、ツイッターでの開花、など、激変期にある。それは、ある意味での「不安定期」なのかもしれない。田口ランディの先述のエッセイの中では、「パズル遊び」というタイトルで、その「不安定期」に発病したり、インド帰りのようにぼーっとしてしまう人の話が書かれている。確かに、深尾先生も繰り返し、「過剰摂取による『智恵熱?』にお気をつけになって」とメールで書いてくださっている。僕自身、それを振り解く為に、ツイッターも書いてみたり、妻と飲みながら語らったり、このブログにまとめたり、という形でバランスが取れているから、何とか激変期に波乗りが出来ているような気がする。逆に言えば、そういうバランス均衡の作用が働かなかったら、波に溺れてしまう可能性は少なくない。その事について、先のエッセイはこうも教えてくれる。

「直感や感覚を特化させた時に心の全体像はバランスを失う。思考や感情に比べて直感や感覚が突出していると、他の部分に空白の仮想領域が出現する。その仮想領域を埋めるのがパズル、そんな感じがする。(略)あの遠い夏、熱狂したパズル遊びを、私はいま、確かに作品のなかでしているのかもしれない。」(田口ランディ、同上、p290-291)

そう、「心の『蓋』をこじ開け」て見えてきた世界を、ちゃんと「作品」として捉え直さないと、「蓋が開いたまま」で「身も蓋もない」事態になりかねない。僕にとっての「作品」とは、現場の実践へのコミットであり、理論的分析を絡めた文章を書く事である。つまり、今まではどちらかにバランスがずれていて、その統合が難しかった両者に、今気づきつつあること、「今日生まれた」何か、を還元出来るか、が問われている、と思う。そして、それが出来ている先達がいる、という事も、心強い。

「この経験を通じて、『自分らしさを生かす』ことの、よりグローバルな意義に気がついた。私という『個人』の『人生の充実』はもとより、学術的な研究においてだけでなく、実践・社会的なコンテクストにおいても、『当事者の自己展開を支援すること』の重要性を強く認識したのである。」(千葉泉「『自分らしさ』を中心に捉える-私が中南米の歌をうたう理由-」東洋文化89号、p62-63

著者の千葉氏は、研究者という「蓋」と、その「蓋」により抑圧されてきた聴覚的センス(マプーチェ語を話したり、チリの伝統民謡をギターで弾いて歌ったり)という「自分らしさ」を統合させることによって、「歌って弾ける大学教授」が誕生した、という。僕自身、研究者という「蓋」の下に眠っているどんな「自分らしさ」と統合すべきか、何となく直感で感じている。多分それは、昨日の県の障害者自立支援協議会の部会の現場、あるいは今日の重症心身障害者の地域生活を考えるシンポジウムの双方で求められる「議論を捉え治し、新たな光を与え、一つの方向にまとめる産婆術的対話」なのだと思う。それなら、僕にも出来るし、以前からやってきた。この「自分らしさ」と、これまでの「蓋」の統合の中で、新たな「作品」を理論的にも実践的にも還元していくこと。これが、僕の中での「魂の植民地化」を脱する手段だと思う。

さて、そろろそ今日の現場に向かうとしよう。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。