内なる植民地化

 

金曜日にお会いした深尾先生に、おずおずとメールで感動した旨を送ってみたら、早速返信頂いただけでなく、このHPを見てくださったり、お仲間をご紹介してくださったり、そして読みたかった論文をお送り頂いたり、の展開が続いている。突然の展開にびっくりしながら、温かく迎えてくださる先生の心意気に感謝し、そしてその展開を楽しんでいる自分がいる。

さて、甲府は昨晩大雪になったが、その最中、昨日はようやく時間が出来たので、深尾先生に送って頂いた論文(深尾葉子著「魂の脱植民地化とは何か呪縛・憑依・蓋」『東洋文化』89号、p6-37)を読む。真っ赤になるほどあちこちに線を引いて、書き込みをしながら、あるフレーズに強い既視感をおぼえる。

「植民地は、ある一定の集団が、別の集団に対して、一方的に支配権、決定権を持っている状態を指し、それらが集団的にも個人的なレベルでも行使される。植民地的状況(ここでは、広義に、国家的植民地のみならず、個人間の支配被支配関係も含む)のもとでは、被支配側は、しばしばいわれなき劣等感を押し付けられる。(略)このようにして、自分自身の属性が、否定的なまなざしで他者から眺められ、そのような処遇を受け続けることによって、魂は傷つけられ、その発露をゆがめられる。」(深尾論文より。以下、今日のブログエントリーで特に出典記載なく引用するものは、全て上述の『東洋文化』に掲載された深尾先生の論文である)

この文章を読みながら、僕自身が研究テーマとして追いかけている、精神科病院や入所施設の問題も、我が国の「内なる植民地化」にあたるのではないか、と強く感じた。そして、自分がこの「魂の脱植民地化」問題について、実は入所施設や精神科病院から地域に戻って来られた方々への聞き取り調査の中から、気付き始めていた論点である、ということも、みえてきた。

精神科病院や入所施設は、元々、治療が支援が必要な障害者の為に作られた施設である。本物の植民地とは違い、搾取や疎外が、元々の目的とされた訳ではない。むしろその逆に、「良かれ」と思って作られた施設である。だが、病院や施設での利用者の声を分析し続ける中で、どうやら実質的には「植民地」と通底する何かがある、と深く思うようになってきた。

『入院してもう5年。「保護者いないから単独では退院はあかん」と医師から言われる。このままがまんしないといけないのか。』
『看護師、ヘルパーに偉そうに言われたり、ひっぱられたりします』
『しょっちゅう保護室にいれられている。保護室の使われ方に疑問を感じるが、どこに聞けばよいのかわからない。』
『病院にはケースワーカーがいない。看護師にきくと、退院については主治医にまかせているから、と取り合わない』
『薬を山ほど飲まされる。「減らして」と言うと増やされた。』

これらの声は、精神科病院への訪問活動を続ける、NPO大阪精神医療人権センターに、大阪府内の入院患者から寄せられた声として、同センターのニュースに掲載されたものである。どの「声」も、50年前ではなく、今世紀(20037月~200511月:25ヶ月分)の「声」である。この「声」を分析し、一つの論文(竹端寛「『入院患者の声』による捉え直し-精神科病院と権利擁護-」横須賀・松岡編著 『支援の障害学に向けて』現代書館、2007年)にまとめる中で、精神科病院の中が、本当に「異国」状態(=深尾先生の言葉を使うなら「魂の植民地化」状態)であると強く感じた。そして、この論文を書くキーワードにもなった、忘れられないある入院患者さんの声がある。

「病気に疲れ果てた。退院したくない。」

これをさもしい自己決定と早合点するなかれ。「病気に疲れ果て」る事(A)と、「退院したくない」こと(B)の間には、そのままで論理的な因果関係としての結びつき(AB)は弱い。その間に何かがある(A→□→B)、あるいは「病気に疲れ果て」る以前に大きなストレス(=深尾先生の論文では「ハラスメント」という使い方をされている)がかかって、そのスパイラルの中で結果的に「退院したくない」となる(■→→■’→B)か、どちらにせよ、単純に個人的な「病気」の問題ではなく、そこに何らかの人為的、社会構造的な問題があるのではないか。そう思って、論考を進めてきた。その論考は、先の深尾先生の考察を用いるならば、精神科病院での「一方的に支配権、決定権」が「行使される」状態が継続する中で、「自分自身の属性が、否定的なまなざしで他者から眺められ、そのような処遇を受け続けることによって、魂は傷つけられ、その発露をゆがめられ」た結果、「退院したいくない」という(表面上の)「選択」に結びついた、とは言えないか。そして、この(表面上の)「選択」、については、もうじき発売されるある雑誌に、ちょうど次のように書いていた。

『「○○したい」という表明。それが、そのまま自分の本心からの想いや願いの表現である場合もあるが、一方で、抑圧された何かをそのまま口に出せずに、その代わりの表現として口にしている場合もある。「薬を飲みたくない」という場合、(略)、単なる服薬拒否ではなく、副作用や過剰投与の心配、あるいは医療機関への不信感などの表明である場合もある。これは、強制治療への不満の表明にも同様の事が言える。当事者の「○○したい」を尊重しつつ、その背景にある、前景化しない(諦めさせられている)想いや願いがないかどうか、を探る支援。このような権利擁護支援を展開するには、どうしたらいいだろうか?』(竹端寛「セルフアドボカシーから始まる権利擁護-方法論の自己目的化を防ぐために-」『季刊福祉労働』126号)

これを書いた頃、まだ「魂の脱植民地化」というフレーズには出会っていなかったが、深尾先生の論考に割と近い線で書いているのかもしれない、と改めて感じた。「前景化しない(諦めさせられている)想いや願い」が抑圧されている現状をどう変えるか、という論考をしていたのだが、そもそも「前景化しない」ということ自体、「魂の植民地化」に近いのかも知れない。深尾先生は、その定義を次のように書いている。

『他人に何かを押し付けられたり、強制されたりするだけでは、「魂は植民地化」されない。その相手のパースペクティブを自分自身の中に取り込んで、自分本来の情動や感情に逆らいながら、自らを制御し、行動を形成し、他者への働きかけを行う場合に、その魂は「植民地化され」ているのである。』

「相手のパースペクティブを自分自身の中に取り込んで」「自らを制御し、行動を形成」すること。これを先の精神科病院の論考に当てはめるなら、これまでの治療や支援過程(相手のパースペクティブ)で「病気に疲れ果て」てきたのに、それを「自分自身の中に取り込んで」、「退院したくない」という「制御」に結びつけていないか。つまり、人為的、社会構造的な問題を、個人の問題として引き受け、「退院したくない」と内面化して処理しようとしていないか、という事である。ただ、もっと言えば、それを外部の権利擁護機関に電話してくる、という点で、ご本人の中での内なる葛藤がきっとあるのではないか、とも見て取れる。

この論点は、実は精神科病院だけに限った事ではない。大阪府立大学の三田優子さんが中心となり、僕もお手伝いさせて頂いた、長野県の大規模県立入所施設「西駒郷」から、地域に戻られた知的障害のある方々へのインタビューでも、次のような事が聴かれた。

「あのね、今もうこういう暮らしが楽しいから、二度と帰れって言われても嫌だ」
「グループホームに来て、ああ幸せだなあって思って。4人部屋だったもんで。西駒におるときに。小さな部屋に4人部屋でね。」
(『「長野県西駒郷の地域移行評価・検証に関する研究事業」報告書』)

入所施設から地域の暮らしに変えてみて、初めて地域のリアリティがわかる。比較対象を得る事になる。上記の声のお二人は共に20年間、入所施設で暮らしておられた方々だが、地域で暮らすようになって、別世界を知って、初めてこれまでの自身の住んでいた入所施設という世界の特殊性に気づく。自分がこれまで住んでいた居住区間が、「小さな部屋に4人部屋」であること、その不便さは、「グループホームに来て」、一人部屋を持つ、という比較体験があって初めて、「ああ幸せだなあ」という形での気づきとなる。これは、「魂の植民地化」の自覚(=つまりは「脱植民地化」)とも通底する、とは言えないだろうか。だからこそ、「二度と帰れって言われても嫌だ」という「魂」の叫び、が出てくる、とも言えるだろう。

深尾論文に触発され、何だか小論文のように長々書いてきた。これを終える前に、一つ、忘れてはいけない大事な論点にも触れておきたいと思う。

このブログを、精神科病院や入所施設で職員として現に働いておられる方も読んでおられる、と聞く。そういう方々に対して、僕は職員個々人への糾弾の為に、この文章を書いている訳ではない。逆に、施設や病院には、善なる意志を持って、個人的に良くしたい、と思って働いておられる方々も、少なからずおられる。ただ、「植民地化」されたシステムの維持の為に、結果的にそこで働く労働者の「魂の植民地化」も進んできたのが現実だ。

その事を指して、「病院・施設は悪い」と糾弾するだけでは、「脱植民地化」ではなく、別のイデオロギーなり権力による「植民地化」につながりはしないか、とも危惧している。深尾先生は論考の最後で、『魂の自由は、「呪縛」からの解放によってのみ獲得されうる』と書かれている。「呪縛」を、一方的な「○○すべし」の押しつけ、とするならば、「病院・施設」イデオロギーも「呪縛」だが、「地域で暮らすべし」と「べし化」することも、一つの「呪縛」とならないか。そうではなくて、「○○したい」(=地域で暮らしたい)を実現する為に、これまでの日本の障害者福祉政策にかけられてきた「呪縛」をどう解きほぐせるか、このような論点で取り組まないと、物事はうまく進まない、と思う。

その事を、これも偶然先週の金曜日の夕方、京都の書店で手にとって再読した僕の心の師の一人、内田樹氏も適切に表現している。

「死者であれ、制度であれ、イデオロギーであれ、死に際には必ず『毒』を分泌します。かつては社会に善をなしていたものが、死にそびれると生者に害をなすようになるのです。それをどうやって最小化、無害化するか、それを考えるのは、社会人のたいせつな仕事の一つなのだとぼくは思います。」(内田樹『疲れすぎて眠れぬ夜のために』角川文庫、p212)

「脱植民地化」の議論の際には、一方で必ずこの「毒」の「最小化、無害化」を意識しなければならない、そう強く感じている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。