3つの論に共通する思想

 

最近、はっきり理由がわからないが、何だか松岡正剛氏の本を読み直したくなっていた。ちくまプリマーブックスの『多読術』を読み直したが、それがどんぴしゃり、ではない。やはり筆者の主著を、と思って、『知の編集工学』をネットの古本(ハードカバー)で注文する。届いて読み始めようと思ってふと書架を眺めて、愕然。なんと、朝日文庫から出ている同書を、ちゃんと読んでいるのである。奥付を見ると2005年と書かれているので、もう5年前だろうか。今回、読み始めて、以前引かなかった部分に赤線を引きまくっている自分がいて、ビックリ。それと共に、なぜ今自分が松岡氏の著作を読みたくなっているのか、がよくわかった。それは、己のパラダイムシフトと関連がある。

同書の中で松岡氏は、編集方法を<編纂>と<編集>の二つに分けて整理している。そのうち<編纂>は英語のcompileに相当するものであり、「概念や事項を一対一的に対応させるもの」であり、その例として「事典や辞書の編纂」を挙げている。一方、<編集>はeditに相当し、「編纂よりもずっと自由に要約したり適合させたり類推したりする、幅広い方法をいう」(p197)。また編集工学は「もともと分類的編纂性よりも形容的編集性を重視している」(p277)とした上で、次のように指摘している。

「私たちは主語を強調したことで、思索の主体を獲得したように見えて、かえってそこでは編集能力を失い、むしろ述語的になっているときにすぐれて編集的なはたらきをしているはずなのである。」(p279)

以前読んだときに何にも線を引いていなかった所を見ると、以前の僕は、このことの重要性に気づいていなかったのだろう。だが、今の僕にとって、この部分にはありありとしたアクチュアリティを感じる。そう、「我が我が」と言っている間は、「思索の主体を獲得したように見えて、かえってそこでは編集能力を失い」、狭隘な自己認識の歪みを絶対化しようとする。だが、その主語へのこだわりから間合いをとって、「我が我が」という前に、「どうなっているのか?」という、目の前で行われている事態の述語的展開に目を向けてみると、その述語の流れの中で、何をどう「要約したり適合させたり類推したりする」ことが出来るか、という編集可能性が見えてくる。その編集可能性を筆者は、エディトリアリティと名付けている。その上で、述語的なるものの展開を次のように表現している。

「物語というもの、縮めて言えば5W1Hをくりかえす出来事の連鎖なのだから、その出来事の連鎖に関するいくつかのダイナミック・モデルをつくり、そのモデルに従って情報編集が進むようにすればよい。」(p295)

「出来事の連鎖」としての「物語」の本質は、主語の連鎖より述語の連鎖にある。しかも、その述語の連鎖に関しては、「情報編集」が可能である、という。この際、僕が念頭においている物語の範疇には、個々の支援現場で行われているナラティブな何か、は当然のこと、政策形成過程における物語性も強く意識している。新しい何か、を産み出そうという場面で、「我が我が」と言っている人は、だいたいアテにされなかったり、使い物にならなかったりする。そういう何かを創発する場面においては、具体的な5W1Hの問いを通じて、何をすることで、その目標とする何かを創発出来るか、という述語的心性が問われる。そして、そういう述語的心性の持ち主同士のコラボレーションや、その過程で述語的心性への共感が拡がる事を通じて、物語の渦が段々大きく、具体的に、形を現しながら自己展開していく。そのプロセスを経て、新しい何か、が立ち上がっていく。

そういう情報編集のプロセスこそ、「物語」の本質である、としみじみ感じる。そう考えていくと、「編集とは『関係の発見』をすることなのだ」(p329)という筆者の意図は、よりクリアになってくる。「5W1Hをくりかえす出来事の連鎖」の中で、新たな「関係の発見」を連鎖させていくこと。それが物語編集の本質、なのである。そして、この視点は、この本を読む前に読んだ本と、この本を読んだ後に読んだ本、の2冊をつなげてくれる「物語」ともなった。

ひとつは、以前にもご紹介した安冨歩氏の論考だ。彼は複雑系理論の叡智を社会科学にも応用し、従来のPDCAサイクルに代表される操作主義的な計画制御(線形的制御)の図式では複雑な世の中の連関の輪を変えていくことが出来ない、として「やわらかな制御」を提唱している。この制御は「すでにそこにあるさまざまのものごとを相互に接続し、新しい流れを創り出し、そこに価値を生じさせる」「共生的価値創出」を目標としている(安冨歩『複雑さを生きる-やわらかな制御』岩波書店p108)。つまり、「コミュニケーションのコンテキストを創り出し、新しいコミュニケーションの連鎖を創り出すこと」(同上、p138)をこの制御は目的としている。

この「コミュニケーションのコンテキストの創発」やその連鎖こそ、松岡氏の言う「物語編集」そのものである。そう考えたら、<編纂>はロジカルな線形性に馴染みやすい「計画制御」として、<編集>は複雑な世の中の連関の輪を変えていく「やわらかな制御」と捉えることも出来る。そして、この二つの違いは、安冨氏の文献で知って買い求めた『参加型開発』(斉藤文彦編、日本評論社)の中で、安冨氏が引用された論者とは別の論者によって紹介されている内容とも重なった。

ブルーナーの言う「論理実証モード」と「物語モード」の二つのモードを援用した久保田賢一氏は、「論理実証モード」を「世界で起きる様々な事象を計測、測定しようとする」ものであり、「物語モード」では、「一人一人の人間の生き方を語る日常生活の中に人生の意味を見つけ出していこうとする」ものであるとする。そして、途上国の開発援助のコンテキストにおいて、二つのモードにおけるワーカーの実態を次のように整理している。

「論理実証モードでは、開発プロジェクトもワーカーもその地域について調べる前にすでに一連の解決方法がパッケージ化されてきた。しかしながら、このような開発プロジェクトがうまく機能しなかったことは、説明するまでもない。それでは物語モードにおける開発ワーカーはどのように振る舞うのであろうか。個々のコミュニティーの状況は異なり、それぞれの問題状況を一般化しても意味がない。それよりも、地域のおかれている文脈の中で人びととともに理論を構築していくことが必要となる。そのためには、内省的実践が求められる。内省的実践とは、『計画を立てる』、『実践する』、『評価する』という三つの行為を、コミュニティーの『いま・ここ』の状況の中で繰り返し行うことである。(略) つまり内省的実践とは、開発ワーカーとコミュニティの人びととで共同で現状を変革していく、実践と内省を何度も繰り返す過程そのものをさす。」(久木田賢一「西アフリカでの開発ワーカーの実践」『参加型開発』p88-89)

この「論理実証モード」とは。<編纂>や「計画制御」と親和性が高い。一方、「物語モード」とは、<編集>や「やわらかな制御」と親和性が高い。というよりも、この3つの本は、基本的に同じチューンを別の語彙を用いて表現しているだけなような気がする。編集工学の創始者と経済学者、国際協力の専門家が、別の切り口から見つけた、同種の視点の捉え直し。「計画制御」による外部者による概念整理の機械的当てはめが、いかにローカルな知の現状を根無し草的にしているか。そして、その根無し草的現実を超えるためには、ローカルな知の叡智に耳を傾け、そこで展開されている物語を編集しながら、「コミュニティーの『いま・ここ』の状況の中で」「実践と内省」という編集作業を繰り返しし続けることが重要である、ということ。そのプロセスの中から、「すでにそこにあるさまざまのものごとを相互に接続し、新しい流れを創り出し、そこに価値を生じさせる」「共生的価値創出」が生まれ、それが新たな「物語」となること。そんなことが見えてくる。

こう考えていくと、今関わっている現場で、どのような「物語」の渦が産み出されてくるのか、が改めて気になる。山梨でも三重でも、計画制御的発想ではなく、なるべく現場のローカルな知をブリコラージュ的に使い倒し、「ずっと自由に要約したり適合させたり類推したりする、幅広い方法」としての「編集」に邁進してきた。というか、それ以外、方法論が僕には見つからなかったので、やみくもに「編集」しまくってきた。チューニングがあわなかった時には、つまりは僕の<編集>が「地域のおかれている文脈」にそぐわなかった時は、まだ多分に「我が我が」モードだったのだろう、と思う。だが、やがて地域のお顔や関係性といった多くの「主語」が見える中で、己の主語性は後景化し、述語的心性としての黒子的編集者のモードに転換してきた。そして、そういう述語的展開の中で、ある一定の物語の構築が、微々たるものであっても、進んできたのだと思う。そういう、生成しつつある渦のベクトルを大切にしながら、新たな渦をどう作り込んでいくか。このあたりを考えるためにも、今一度、「編集」や「やわらかな制御」、そして「物語モード」の意義とその重要性を、しっかと認識したい。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。