「楽しみ」のコペルニクス的転換

今日は終電二本前の「あずさ」。まだ会議は続いているが、少し早引きさせて頂く。ここしばらく毎週東京での会議が重なり、かつその後、多少飲んで帰
るといつも終電になる。水曜は朝一から仕事が入っているので、さすがにきつい。あと、しばらく禁酒もしていなかったし…。ということで、今日は少し早めの
帰宅である。

というか、新宿までの中央線快速に乗っていて思うのだけれど、東京は夜9時でも10時でも11時でも電車が大混雑。皆さんこれをデフォルトと思って
おられるし、確かに大阪時代は自分もそうだと思っていたけれど、山梨で職住近接になると、これは当たり前ではない。もっと言えば、スウェーデンに住んでい
た折、夕方の4時とか5時で仕事を切り上げるのが当たり前だった人の世界に触れた後、日本に戻ってきてこの大都会時間のデフォルトの変さを強く感じるよう
になった。

そう言えばとある週刊誌で、日本は労働時間は世界でトップ級(週50時間以上の労働者割合が世界一)だけれど、労働中のストレスは他の先進諸国の比
べたら低め(メキシコやスペインなどについで世界第六位)、というデータが紹介されていた(週刊ポストの先週号)。ちなみにスウェーデンは全く真逆。週
50時間以上の労働者割合はオランダに次いで2番目に低く、日本の30分の1。ストレスの高さは日本が72%に対して、スウェーデンは89.5パーセント
と世界第一位。

いろいろな解釈が出来るが、労働時間内の集中度と効率、能動を上げたら、そりゃあストレスは高まる。でもその分早く終わって早く帰れるなら、これに
こした事はない。一方その週刊誌は「日本は労働時間が長くてもストレスが少ないなら『日本の会社は意外と働きやすい?』」というトンデモ解説が書いてあっ
たが、それをデファクトスタンダードとすると、そりゃあ中央線は何時でも混む事態になる。普段11時には就寝している生活に慣れた僕自身は、そういう暮ら
しを「当たり前」とはしたくない。

で、そういうことを強く考えたのは、たまたま二週間前、丸の内の丸善で装丁がきれいなのでふと手にした次の一冊に、強く揺さぶられたからもある。

「『遊ぶために働く』とは、先の楽しみのために苦労と我慢を重ね、その埋め合わせとして遊びで発散するニュアンスがあります。一方、『働くために遊
ぶ』とは、まず楽しみながら自分を豊かにし、その豊かな自分を使って仕事というさらなるチャレンジをするというニュアンスがあります。」(『松浦弥太郎の
仕事術』松浦弥太郎著、朝日出版社)

正直この本を手に取るまで松浦氏のことは全く知らなかった。だが、単なるハウツー本ではない、また安易な人生哲学でもない、一人の仕事人が自分のラ
イフスタイルをどんな風に作り上げていったか、を、丁寧な口調で語る一冊。読み始めたら赤線だらけ、であっただけでなく、せっかくだからこの内容をメモし
たい、と今朝はたまたま5時前に目覚めたので、2時間かけて気に入ったところをノートにメモしていたら、3ページにもなってしまった。それくらい、気に
入ったフレーズがてんこ盛りの一冊。その中で、一番今の自分の琴線に触れたのが、ご紹介した部分。

僕自身が最近感じる違和感、というのは、『遊ぶために働く』というスタンスへのそれ、なのかもしれない。確かに苦労と我慢を重ね、一定のお金がある
と、それなりに「楽しみ」の選択肢が増える。日本の大都会は、諸外国の大都会い比べると、その選択肢の質の量も豊かだ。でも、そんな選択肢に囲まれても、
『働くために遊ぶ』姿勢をもっている人は、一体どれほどいるだろうか。あれも、これも、とせざるを得ないことが多すぎて、結局のところ、「まず楽しみなが
ら自分を豊かに」する機会から遠ざかってしまう人が少なくないような気がする。

「まず楽し」む。これは忙しさがデフォルトだと、なかなか難しい。だって「まず忙しい」人は、「忙しい=苦労と我慢を重ねること」という枠組みに依
拠している人が少なくないからだ。この枠組みは、「その埋め合わせとして遊びで発散する」というアメと、それが終わればまた「苦労と我慢を重ねる」という
ムチの、双方の交互作用を立場の前提に置いているような気がする。つまり、この枠組みを前提とすると、結局「遊び」はいつまで立っても「埋め合わせとし
て」の、つまりはメインから外れたチョボチョボの楽しさ、という形でしか生まれないからだ。

一方、目から鱗、だった『働くために遊ぶ』という姿勢。そっか、「まず楽しみながら自分を豊かにし」てもいいんだ、という気付き。自分自身、暗黙の
前提として「遊び・楽しみ=残余的価値」という枠組みをもっていたが、山梨に移住後、少しずつそれが消えかけている。心がけているのは、たまの飲み会や出
張を除くと、妻と「まず楽しみながら」夕食を囲んでいる、ということ。日々飲みながら、バクバク食べながら、「まず楽しみながら自分を豊かに」、そして
「自分たち」を「豊かに」しようとする時間がある。それが基本にあるから、「その豊かな自分を使って仕事というさらなるチャレンジをする」ことが可能なの
だ。そして、「仕事というさらなるチャレンジ」に旺盛に取り組むためには、もっと「自分を豊かにし」てもいいんだ、という悟り(=開き直り!?)も生まれ
てきた。

刹那的ではないが、最近頭の中でずっと「たった一度の人生」というフレーズが流れている。「たった一度の人生」だからこそ、もっと豊かに楽しみた
い。実にそう思う。そして、「楽しみながら自分を豊かに」することが、結果として、「仕事」にも好循環を与えるなら、これほど良いことはない。そういえ
ば、ツイッター仲間の「芸事の導師」先生も、真空管アンプを作る至福の時間があるからこそ、実に奥深い学識とハードでリアルな学内業務を両立しておられ
る。やはりこれも「豊かな自分」という実態があるからこそ、その結果としての「労働」なのだろう。労働の残余としての遊び・楽しみではなく、遊びや楽しみ
があるからこそ初めて可能な成果としての労働。そう考えたら、なんと遊ぶことにワクワクしてくるではないか。

いやはや、帰ったら早速次の遊びの計画を立てなければ。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。