相手に届ける努力

海外にいると、自分の立ち位置を改めてリフレクションする事が多い。今回のトルコ滞在中も、いろんなエピソードからそう感じる。

例えば、今朝はテクテク散歩をしていた。向かった先は、ガダラ橋を超えて、エジプトバザールの方向。アテもなく、とにかく歩いていく。ちょうど専門店街の開店準備の真っ直中を歩いていたのだが、これが楽しい。何が楽しいって、朝のすがすがしい空気の中で、人びとが今から活動するための準備をしている所を通り過ぎていくのが、何とも気持ちよい。商売が始まったら決してみせることはない、よそ行きでない日常の顔。そういえばこの雰囲気は、昔NGOの関係で訪れたタイ・ノンカイの市場の朝の風景に似ている。なるほど、あれとこれを比較出来るようになったら、そのあれと比較するなかでのこれの意味づけがわかるようになるのですね。と、自分の理解の幅が拡がっているのを感じる。だてに年を重ねるのは悪くない。

で、あれことこれの比較で言うと、昨日の学会懇親会で、ある大物の先生と話していた際、「学会で多くの聴衆を引きつける発表のコツは何ですか」と伺うと、「一つではなく、二つ以上の事例を出すこと」と仰っていたのも、興味深い。僕自身、学会発表の時はこれまで、自分が関わった一つの事例について「こんなに面白い(大切・課題・重要…)なんですと強調したが、なかなか伝わらず、がっかりして帰ることばかりだった。だが、それは、実は聴き手のことを無視した独りよがりかもしれないのだ。

どういうことか。国際学会で、学際性が高いほど、ある一つの事象、一つの切り口で伝えようとしても、その前提を共有しない聴き手には、ただの事例発表にしか聞こえない。それは「なるほど、その問題は大変(大切・課題)ね」という知識レベルの理解にはつながっても、「面白い」とか「重要だ」といった個々人の興味関心や、もっと言えば魂に響くような発表にはならない。それ以前に、自分が相手に本当に伝えようという気持ちなら、その聴き手の対象像をもう少し明確に意識して、届く何かを伝えようと努力する必要がある。それさえ、今までの自分にはなかった。

で、もし効果的に何かを届けようとするなら、比較の軸は大切ですよ、というのが、件の先生の経験値の伝えるところ。つまり、「あれ」だけなら、何が重要で面白いのか力んでいわれてもよくわからないことでも、「これ」との比較なら、聴き手にだって際だって理解出来る。その輪郭を掴める。あわよくば、その中から面白さがじんわりと伝わってくる、ということだ。そして、そう書いていて気づいた。この助言は、確か昨年台湾の学会で、同じ先生から聞いたのだ、と。その時は日本語で聞き、今回はアメリカ人と3人でオシャベリする中で英語で聞いたから忘れていたけど、確か今復旧途上にあるこのブログにも書いた、と今、書きながら思い出す始末。

でも、今回はその助言を忠実に守って!?カリフォルニアと大阪、アドボカシーとサービス提供、といった幾つかの二項対立軸を持ってくるつもり。その方が、他の文化圏の人びとに届きやすいと、改めて感じる。ただ勿論、二項対立というのは、それ以外の多様性を切り捨てるものである、そういう抽象=捨象の結果の延長線上にあることを、よーく肝に銘じておかなければならない。この点を踏み外すと、大変ペラペラな発表になる。表層的でない、かつクリアカットな発表、という、一見相矛盾するようなことを両立するにはどうしたらいいか。土曜の発表なので、明日ももう少し悩んで改善してみようと思う。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。