よく楽しみ、よく学ぶ

今日はずいぶんとお早い時間に帰路につくスーパーあずさ新宿行き、である。お供は京都のパンの老舗、志津屋のカルネ。バターたっぷりのフランスパン、というのはダイエットと逆行するのはよくわかるが、たまの贅沢なので、もちろん楽しむ。だって、今日は夕方合気道のお稽古に行くしね。

さて、トルコから帰国後、案の定、溜まった仕事に忙殺される日々だった。だが、いつもの忙殺とは少し質が違う。何というか、めちゃくちゃ忙しいのだけれど、忙しいなりに日々の意味と強度が濃密であり、それを楽しんでいる自分がいる、といえばいいだろうか。少しそのことを考えてみたい。

今も旅の途中なので、手元にないのだが、帰国後すぐに前回のブログで触れた『遠い太鼓』を読み返しはじめた。自分が思っていた以上に、村上春樹という作家が、40歳を目前にして、どんなチャレンジに直面し、それと向き合おうとしているのか、がひしひしとわかる一冊だった。ちょうど僕自身も30代の後半にさしかかり、それなりの障壁にぶつかりながら、次の課題に向かいつつある真っ最中。なので、彼が語りかける心象風景からは、彼のアクチュアルな問題意識をありありと感じることが出来たからかもしれない。他人のためではなく、僕自身のために書かれている、と思わせる内容。村上春樹の世界性って、読者をしていつの間にか「これは僕のための本だ」と納得させる才能だと聞いたことがあるが、今回はまさしくそれを自分事として感じた。

そして、話は急に飛ぶのだが、この本を読んでいても、また今日の旅からの帰りの車窓を眺めていても、「やっぱり引っ越したい」という思いがムクムクと沸き上がってきた。昨日の大阪での仕事の前に訪れた甲子園口の散髪屋で、待ち時間に読んでいたインテリアの本に大いに触発された部分も勿論ある。でも、今日、名古屋から塩尻に向かうしなの号の車窓で、梅雨明けの実に美しい碧と青空、それらの調和した正統的日本の夏の美、に見とれていた。そして、ふと「こういう風景って、山梨にもあるじゃんね」と思い出したのだ。

そう、今は甲府に住んでいるが、別に甲府に拘らなければ、山梨県内には美しい風景が沢山ある。5年前に山梨に住むことが決まった時には、たった2日で決めなければならなかったので、駅に近くてオートロック、という安易な理由で今の場所に決めた。ラッキーにも、大家さんも良くして頂いたので、これまで5年間、引っ越しを考えることもなく、ずっと住んでいた。でも、鉄筋コンクリートの3階建ての3階で、かつ恐ろしく風通しが悪いと、夏の暑さは地獄である。しかも、ようやく自然を楽しむ心持ちも芽生えて来た。ならば、そろそろ別のご縁を探してみてもいいかな、と考え始めたのだ。

引っ越したい、という思い。あるいは、村上春樹に同期する心。共通しているのは、今、心も身体も、動き始めている、ということである。そして、体重も。

おかげさまで、最近お会いする多くの方に、随分痩せたね、と言われる。昨日も昔からの仲間に言われたし、今朝は実家で風呂上がりに親にしみじみ言われた。半年前に80キロを超えていて、今朝計ったら70.3キロだったので、まさにその通り。お腹と首周りの贅肉がごっそり落ちたので、ズボンは2~3サイズのダウンで買い直し、Yシャツはちゃんと首元が閉まるようになってきた。ちょうど先週火曜日の合気道の昇級試験の後、先生からも「随分痩せられたけど、身体の調子は大丈夫なんですよね?」とも聞かれた。それに対して、こんな風に答えていた。

「もちろん、低炭水化物ダイエットをしただけですので、健康的に痩せられました。でも、何より1年前に合気道を始めて、体重を減らす準備が整ってきたから、痩せてきたような気がします」

ダイエットに合気道、そして内面の変容。これらは自分の中では一貫している。

合気道を1年前に始めて、当初は続くかどうか、半信半疑だった。でも、誰からも先生とは言わない、つまりは社会的立場や役割から切り離された場で、最初はさっぱりわからず、何も出来なかった状態から、少しずつ出来ることが増え始め、身体能力が活性化されていくのが身に浸みて感じられる。毎週バンバン投げられる中で、身体の強ばりのようなものが薄れていって、それと共に心の強ばりというか、魂の外皮の過剰防衛も少しずつ、減らし始めた。その中で、考え方を変えたいという欲望が生まれ始め、1月に主治医の漢方医に低炭水化物ダイエットを紹介された時、突破口の光明が見えたような気がした。そして、体重が実際に下がり始めることを、NHKの「ためしてガッテン」ダイエット本の薦める「計るだけダイエット」のグラフに落としていった時、文字通りその成果が見えてきた。やれば、できる。この単純な直感が、今までやらなくて、できなかった、諦めてみた、どうせ無理と決めつけていた様々な領域をもう一度見直すことを、自分自身に迫った。それが結果として、今年の春の香港の旅以後の内面意識の編成と、様々な「新たなつながり」へと導かれていった。、

これまでの自分は、出来ないことの言い訳を沢山考えていた。だが、1の出来る可能性に賭ける人生を歩み始めた時、目の前の景色が、全く違った瑞々しさと鮮やかさをもって、立ち現れてきた。それは、活字であれ、他人のストーリーであれ、全く同様。つまり、自分の中のリテラシー、感受性、聞きとり能力、体感力…といったレセプターが全て、すこーんと蓋が取れたように解放され、多様な何かが突如として見え始め、感じ始めることが出来たのだ。あたかもそれは、2,3色だと信じていた虹色が突如7色やそれ以上に見え始めた、という喩えがぴったりなのかもしれない。

この変容に立ち会ってくださったF先生からは、「発病しないように気を付けてください」と言われた。確かに、春先は、かなり混乱することもあった。ブログも膨大な量を書き続け、M先生からは「最近は長すぎて最後まで読めないよ」と言われたが、それは文体にその変成途上の何かが立ち現れていたのかもしれない。でも、その混乱時期は何とか乗り越えると、今度は自分の中で「やりたいこと」が突如としてムクムクと立ち現れた。少し前のブログで整理したが、「出来ること」「世間に求められていること」を意識し、対象化することが出来たからこそ、その二つと混ざっていた「やりたいこと」がすっと前景化しはじめたのかもしれない。〆切を延ばしてもらって格闘してきた論文も、「書きたいこと」と素直に向き合ったものだし、今夕の合気道も「やりたいこと」そのもの。そして、引っ越しだって、優先順位の高い「してみたいこと」として、前景化している。これは、自分の心や身体の変性過程と実にシンクロしているのだ。

もちろん、一回で書きたいことは書ききれていないし、合気道だってまだまだ下手っぴで、昇級試験の際は「二挙」に手こずって先生で後で注意された。引っ越しだって、これから物件探しなので、すぐに決まるかどうかなんてわからない。でも、肝心なのは、自分で勝手に「無理だ」「ダメだ」「どうせ」と線引きするのではなく、「どうしたら可能なのか」をワクワクして考えることによって、未来を切り開いていくということ。以前からそうしたい、と思っていたけれど、今それが出来る魂が少しずつ、自分の中に育まれてきた。関わっている国の委員会はまさに難局にさしかかっているけれど、大事なのはこの「希望」をまず僕自身が持ち続けることだと思う。一見、稚拙な決意表明のように見られるかも知れないが、難局の打破は、結局その気持ちからしか始まらないと思う。

イスタンブールでは、学会の時間はみっちり学び、空いた時間にみっちり遊んで楽しんだ。仕事モードでは濃度と強度、効率性を、そして趣味モードでは完全に楽しみを、追い求められる身と心になってきた。だからこそ、それを日本でも実現したい。そう思い始めた三連休中日であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。