「自分の監獄」への気づき

旅に出る前は、しばしばとっちらかっている。今回は明日からスタートするのだが、物理的に見ればスーツケースは既に成田空港のホテルに送ってしまったので、余裕はある。だが、心理的にあれやこれや気がかりなことが詰まっている。

 
イギリス出張の予習がままならない、依頼された学会誌の原稿の構想は練ったが一行もかけていない、帰国後の〆切のある仕事も出来ていない、別の査読誌から「修正の上で掲載可能」と言われたが、その手直しも結構大変そうだ、そもそもスウェーデンとイギリスの調査はうまくいくのだろうか・・・。
 
このように、あれやこれやで切羽詰まると、逃避したくなる。だが、今回の逃避先に選んだ一冊は、逆にこの状態に直面せよ、という。でも、読後感はすごく良い一冊。
 
「わたしたち自身も、たいていは他人に促される格好でたくさんのルールを自分で決めています。生きていくうちに、こうしたルールが染みついていきます。自分に何が出来そうかを考えるときにも、自然と自分に枠をはめています。頭のなかで決めたこの限界は、社会に課されるルールよりも、ずっと強制力が強いものです。(略)わたしたちは、自分で自分の監獄を作っているのです。」(ティナ・シーリング『20歳のときに知っておきたかったこと』阪急コミュニケーションズp46-47)
 
スタンフォード大学のアントレプレナーセンターのトップであるティナさんが、社会起業家へのインタビューや自身の体験談を元に、題名通り「20歳の頃の私」に知って欲しいことを口語体で語る、興味深い一冊。本屋でも軒並みベストセラーになっているので、タイトルを目にした事がある人も少なくないだろう。自己啓発本の類かな、と思っていた僕が手に取った理由は、『顔面漂流記』などの著作もあり、大学院生時代に一度お話を伺った事もあるフリーライターの石井政之氏が書評を書いておられる、とツイッターで知ったからである。
 
というわけで、本の内容紹介は石井氏に譲るとして、とにかくこの本は読んでよかった。35歳の今でも、出会ってよかった一冊だからだ。その中で特に今の自分にも当てはまるのが、上記の一節。確かに僕自身、「自分で自分の監獄を作っている」という部分は、しみじみ実感出来たからである。「自然と自分に枠をはめ」ることにより、自分の可動範囲に限界をつけていた。それは、筆者の言葉を使えば、次のような状態にいることであった。
 
「不確実性の高い選択をするよりも、『そこそこいい』役割に安住した方が、ずっと快適です。ほとんどの人は、ささやかでも確実なステップに満足しています。それほど遠くには行けませんが、波風を立てる事もありません。」(同上、p40)
 
自分自身では、決して「波風を立て」ていないとは思えない。むしろ、ささやかながら、自分の専門領域の中で、「波風を立て」つつも、あれこれと切り込んできた、つもりであった。だが、あくまでも自分の領域の中に、タコツボ的にはまっていた、とは言えないだろうか。その事を、こんな風にも整理している。
 
「STVP(スタンフォード・ベンチャーズ・プログラム)では、教育と研究、そして、世界中の学生や学部、起業家との交流に力を入れています。目指しているのは、『T字型の人材』の育成です。T字型の人材とは、少なくとも一つの専門分野で深い知識を持つと同時に、イノベーションと起業家精神に関する幅広い知識を持っていて、異分野の人たちと積極的に連携して、アイデアを実現出来る人たちです。」(同上、p19)
 
自分が35歳になる前から感じていた違和感は、I型への違和感、とでも言えようか。障害者政策という領域で気づけば掘り下げを進めてはいるが、それだけで本当に良いのだろうか、という不安や戸惑いだったのだ。異分野の、あるいは海外の学会で発表してみる、連関読書で関心領域を拡大する、などの試みは、まとめてみれば陳腐だが、I型の人間からT型に脱皮するための、自分なりのもがきだった、とも言える。専門領域における視座は少しずつ持ち始めたけれど、では「異分野の人たちと積極的に連携して、アイデアを実現出来る」か、といわれたら、視野狭窄で、横に手を広げる視点が足りなかったのだ。そういう意味で、他領域への羽ばたきという意味での「波風を立て」ることなく、自らの領域における「『そこそこいい』役割に安住し」ていたのかもしれない。
 
だが、一旦その限界に気づいて、視野を少しだけ広く持ってみると、世界は随分違って見えてくる。昨日も、そのことを実感した一日だった。
 
昨日は以前に仕事でお世話になったAさんに連れられて、夫婦揃って勝沼のワイナリーを巡る小旅行に導いて頂いた。山梨に来て6年目になるのに、地元のワイナリーをちゃんと巡った事もない。「山梨のワインは、白はまあまあ旨いけど、赤はダメだよ」なんて、何本かのワインを飲んだだけで、知ったかぶりになっていた。だが、以前のブログで書いたように、村上春樹の『遠い太鼓』を先月読み直していたのだが、その中で彼がイタリア・トスカナ地方のワイナリーを巡る文章を書いていた。それを読んで羨ましいなぁ、と思っていたのだが、その後、急に気づいたのである。「ちょっと待てよ、この山梨は日本のトスカナ地方ではないか」と。何という灯台もと暗し。その話を、ちょうど大学のゲスト講師で来て頂いたAさんにしてみると、何とAさんも仕事を通じて沢山の醸造家と出会い、山梨のワインに詳しい事が判明。そこで、ご厚意に甘えて、昨日のワイナリーツアーとなったのである。
 
いくつかのワイナリーで試飲して、本当にびっくりした。白ワインの味が、同じ甲州種でも実に豊かである事。また、別の種類も含めて、様々なワイン醸造にチャレンジしている県内の醸造家が沢山いる事。その中で、実に美味しい白ワインが沢山あること。また、探せば赤ワインだって美味しいものもあること。ほんとに、こういうことを何にも知らなかった。というか、知ろうとしなかった。全くもって、恥ずかしい限りだ。少し興味や関心を持って聞いてみれば、実に豊穣な世界が目の前に拡がっている、というのに。まさに、自分の世界に「安住」して、そこに引きこもって、眼前の違う世界にすら、出て行っていない自分がいたのだ。そして、「自分の監獄」に気づき、自分がその「監獄」から出ようとさえ決意すれば、新たな世界へと導いてくれる人は現れるのだ、と。
 
「頭のなかで決めたこの限界は、社会に課されるルールよりも、ずっと強制力が強いもの」であること、それを外した時に、実に豊かな世界が拡がっていること、それを昨日一日で実感した。であるがゆえに、結局ワインを12本も買って帰ったが、それ以上の精神的な収穫も沢山得た。
 
こう書いていると、実に美しい話に見える。でも、結局、このブログの記事って、自分自身にとってのナラティブセラピーと言うか、「物語の書き換え」の側面もある。裏事情を書けば、実のところ、今日は身も心もへたばっていて、出張前だというのに、全然仕事に実が入らなかった。「すべきこと」はたんとあるのに、ただただその山積みにされた課題(にみえるもの)を前に、茫然自失としていた。その際、「まずはブログにこのティナさんの本を書いておきたい」という「したい」が、「すべき」より勝っていたのだ。そして、逃避行のようにブログを書き始めて気づいたのだが、結局こういう自分の中での区切りをちゃんとつけないと、次には進めない、ということも、書いていて遡及的に分かってきたのである。つまり、僕自身が自己規定した「自分の監獄」についての描写をしないと、その「監獄」への囚われから自由になれないのだ、と。
 
だいたい今日書きたい事を書き連ねて、当然目の前の〆切の山は変わっていないし、明日からの出張には、これらの山を背負って出かけることには変わらない。だが、その〆切の山に対してのスタンス、だけでなく、「自分の監獄」へのスタンスが違えば、これからのプロセスは大きく変容してくる。また、自分自身が、「イノベーションと起業家精神に関する幅広い知識を持っていて、異分野の人たちと積極的に連携して、アイデアを実現出来る人たち」になれるかどうかはわからないが、少なくとも、オープンネスを持って、色んな人と連携出来る主体への変容の旅は、加速していきそうな気がする。そう、このブログは、自分自身のミッションステートメントになっている部分があるのだ。
 
確かにこういう書きぶりは、20歳の学生さんならわかるけど、15歳遅れの35歳のオッサンが書くには遅すぎるかもしれない。でも、良くも悪くも、今気づいたのだ。35歳にしての生まれ変わり。ならば、ここから始めるしかない。そう、繰り返して書くが、焦ってもジタバタしても始まらない。ここから、自分なりの視点を切り開いていくしかないのだ。そう書いていくうちに、気づけばモヤモヤがすっと収まっていた。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。