陶磁器から知る、アジアの中の日本

始まりは今年の8月、ソウルを訪れた時にさかのぼる。

学会発表のための3泊4日の滞在だったのだが、初日だけ少し時間が出来たので、国立中央博物館に出かけた。この博物館は、以前は韓国総督府の豪華な建物を使っていたのだが、植民地時代の禍根、と壊され、合わせて郊外に移転したもの。生まれて初めての海外が韓国への修学旅行だったので、20年前に、旧の博物館に訪れたことがある。だが、その時には文化や芸術は「他人事」に過ぎなかった為、一つ一つの展示品についての記憶は全くなかった。
だが、この夏の訪問では、大きく「自分事」に転換する。陶磁器や仏像の歴史についての展示品が、どれも中国(大陸)と日本の「中央=あいだ」としての朝鮮半島という位置づけで展示されているのだ。考えてみれば当たり前のことなのだが、仏教はインドから中国、朝鮮を通じて日本に渡る。陶磁器だって、中国の景徳鎮から朝鮮半島を経て、日本に辿り着いている。確かに教科書的には「知っているつもり」だったが、その両者がどのような変遷を経ているのか、を「実物」の展示に沿って辿ることが出来ると、リアリティが全く違う。陶器に関しては、シルクロードを通じてトルコにまでどう伝わったか、も展示しており、その1ヶ月前にトルコ・イスタンブールのトプカプ宮殿を訪れていた自分にとって、バラバラだった断片が少しずつ「つながる」面白さを感じ始めた。このときから、アジアの中の日本、というキーワードが少しずつ自分事になりはじめたのかもしれない。
それがより強固なものになったのは、9月に調査で訪れたロンドン、調査の合間にホテルから歩いていけた大英博物館。ここも15年前の大学生の時に訪れているはずだが、今回はかなりじっくり眺めた。しかもご一緒くださったI先生は文化的素養に溢れる先達。なので、日本史も世界史も高校途中で投げ出した阿呆な僕にも、わかりやすく世界の至宝の背景を教えてくださる。そういう前提があったので、アジアの陶器コーナーに行った時に、これまた圧倒された。イギリスは基本的に世界中の財宝を集めて(かっぱらって?)きたので、チャイニーズという英語が与えられた陶器も、中国-朝鮮-日本のコレクションが半端ではない。それらをじっくり眺めるうちに、先月韓国で感じた三国のつながりがより強固なものになり、アジアの中の日本、という言葉がより響き渡り始めた。
そういう流れの中で、昨日から佐賀に来ている。今日開かれるチャレンジフォーラムin SAGAで地域移行のシンポジウムの司会を仰せつかったのだ。ただ、甲府から佐賀までは6時間かかるため、前後泊することになった。ならば、と福岡空港からレンタカーを走らせ、有田に向かったのである。ソウルやロンドンで見た陶磁器文化を、ちゃんと国内でも確認してみたい、と。そこで、これもI先生から教えられた佐賀県立九州陶磁文化館に訪れて、いやはや実に楽しかった。
ちょうど開館30周年記念として「珠玉の九州陶磁展」をやっていたのだが、この特別展示に出展されていた陶磁器が実に魅力的なものばかり。1670年代という江戸時代に、こんなに鮮やかで、粋で、大胆で、かつ細密な焼き物が生まれていた、という事に、改めて驚かされた。確かに当時のオランダ人が見たら、絶対持って帰りたくなるよね、とも。東インド会社を通じてドイツのマイセンやイギリスの陶磁器文化にも伝播したことも、改めて頷けた。
それから、一つ一つの展示品を見ていて、改めて気づいたのは、一枚の皿の中に籠められた世界観の豊かな広がりについてである。例えば色絵橘文大皿。ただのミカンの木、と侮るなかれ。幹の描かれ方の豊かさ、力強さが濃い青色で、実り豊かな橘の実は黄色で、そして葉っぱは黄緑色で描かれていて、白磁の背景に実に活かされている。今この文章は、感動のあまり初めて買った美術館のカタログを見ながら書いているのだが、実物の照り具合や質感は、残念ながら写真では再現されていない。その鮮やかさ、力強さと、一枚の皿の中の世界観が見る者をまさしく魅了する。そんな展示品だった。
で、そういうご縁ができたので、その後1時間半しか時間がなかったのだが、現代の有田焼の窯元や直売店でもいくつか気に入ったものを買い求める。染付宝尽文の大皿、染付唐草の半月皿、そして青磁の小皿に箸置き・・・単に美しい、というだけでなく、自分が直前に見た歴史や伝統との繋がりを感じさせる、現在の作品の数々。古伊万里でなくても、今のデザインの中に、過去との繋がりを感じさせる作品の数々に出会い、過去ともつながりを持てた気がした。時間がなかったので足早に去ったが、有田の街の豪奢な建物の数々に、明治期以後にいかに有田が反映し続けたか、の足跡も感じられた。佐賀は大陸が近くて黄砂が強かったこともあいまって、焼き物を通じてアジアの中での日本というテーマが自分事になった一日であった。さて、そろそろ仕事に出かけます。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。