記号から記憶へ

ものごとは、奥深く掘り下げないと、本質に突き当たらない。出来事の記述の背後にある、何らかの核に至るためには、出来事の記述は表層的であり、余計だ。だが、その表面の記述をしていないと、一体何のことなのか、が、読み手だけでなく、書き手の僕自身にもわからなくなることがある。

昨日のブログに続き、今日も連投する。その最大の理由は、「昨日書かれなかったこと」が気になるからだ。昨日のブログは、表層的記述編。なので、今日はその表層を取っ払って、中身だけをざっくりと書いてみたい。
記憶。昨日、エリ・ヴィーゼルのインタビュー記事を紹介したが、その中で触れられた「記憶」というキーワードが、ずっと引っかかっている。
大斎原という記憶。そこに何もないが、何かがかつてあった、という記憶。その記憶の古層は、確かにその場に鳥居や看板、あるいは移しなおしたご神体などをつうじて、あるいは様々な文献の記述や写真を通じて、表面化している。だが、それらの表層の背後に、何かが、今も、ある。一昨日、雪景色の大斎原の鳥居の風景の記憶を心の中から取りだした時、やはり、何かがここにあった、し、今もある、という実感も共に、立ち上がる。
記憶。
土地を歩くとき、以前は記憶とは無関係に、単にA地点からB地点の移動、という意識でしか歩いていなかった。鉄道少年だったヒロシ君は、時刻表を片手に、金沢、鹿児島、松江などという記号に憧憬を持った。それは「雷鳥」「なは」「あさしお」という特急列車の呼称という記号に憧れたのと一緒だ。実際に当該列車に乗ってその目的地にたどり着いた時も、現地で何かをする、というより、トンボ帰りの旅が多かった。それは、むしろ記号を実際に確かめる旅であったのかもしれない。
大人になって、旅ガラスになっても、基本的にはその記号的旅の延長線上にあった。ただ、余暇ではなく仕事での旅だったので、記号的消費だけでなく、現地での用務、というのも重なる。しかし、現地での用務が済むと、多少は美味しい何かを食べたり、あるいは人と会う等の例外はあっても、基本的にトンボ帰り。もちろん家庭平和の為、というのは大きいけれど、それよりも、記号論的旅の属性が身体に染みついていたから、だと思う。
だが、昨年あたりからだろうか、記号論的旅がモノクロ世界だとすると、急にその旅に様々な色合いが出てきた。鮮やかさと深みが増す旅となってきたのだ。そして、それは記憶と結びついている。初めての土地にもかかわらず。
それは、その土地の記憶、その場所を巡る記憶とアクセスし始めたからだ、と思う。
以前なら、海外旅行であっても、ガイドブックを持参するだけであった。あのガイドブックというものも、よく考えてみれば、記号論的消費の最たるもの。どこに何が売っている、あそこのこれは美味しい、そこのこれは絶対に見逃せない・・・その土地の食べ物、売り物、見せ場を平面的・等価的に陳列して、記号の一つとして、多少の順位付けをしながらも、整理して羅列する。それは、時刻表のダイアグラムと変わらない、記号論的な陳列。「モデルルート」なんて、時刻表的な時系列表示との近似が伺えるものもある。
たしかに、そういう記号は、消費をするのには、便利だ。だが、記号の消費は、その消費をするだけで満足度が高いだけに、記号の消費「にしか」目を向けさせなくなる。記号という形で有徴化、現前化しているものの背後に、様々なコンテキスト、というか地があるのに、他人に形づけられた徴のみを確認して帰るだけならば、時刻表マニアの記号論的旅行の領域から出ない。そして、高度消費社会において、この記号論的枠組みから外れるのは、ますます難しくなってきている。ネットの情報はスマートフォンでも取れてしまうので、現地でも、臭いよりも雰囲気よりもウェブという仮想記号空間に浸ってしまうのだ。
だが、その固着した枠組みを外れる方法もある。
Don’t think, FEEL!
これはブルース・リーの明言だ(そうだ)。僕は映画とのご縁があまりないので、彼がどういうコンテキストで言ったのか、しらない。ツイッターで流れてきた言葉だ。しかし、どういう来歴であれ、その言葉という記号に感じ入った上で、自分の中で咀嚼して、自分の中で血肉化した上で再文脈化すれば、それは記号ではなく、記憶になる。そう、何であれ、自分の中で再文脈化することが、記号が記憶へと変成される上で大切なのだ(と書いていて気づく)。
思えば、大斎原との出会いも、その来歴などについての記号論的解釈を読み、現地を実際に訪れただけでは、あくまでも記号論的消費に留まる。やはりそこには、そこで何かを考えるのではなく、まず感じ、その上で、自分の中で再文脈化する。自分のこれまでの物語と、どのような関連づけがああるのか、新しい一ページは、これまでのページとどう接続するのか、それらを未分化な中から立ち上がるように、熟成させていくからこそ、出会いという発光に感応し、心の中の印画紙に染みつき、何らかの文様として立ち現れるのである。
そう、出会いという発光は一瞬でも、それに感応できるかどうか。また感応した何かを、現像液→停止液→定着液につける一連の作業を通じて、自分のこれまでのコンテキストに関連づけした上で、記憶の一角にしっかりと位置づけられるか、にもかかっている。そうしないと、それまでの土地や場所の記憶ともふれ合えないし、自分の中での記憶としての再文脈化もなされないのである。そういう意味では、他者や見知らぬ土地の記憶を、自分の記憶としてとどめる為の再文脈化作業を、感じながら、耳を傾けながら、目を見開きながら、出来るかどうか、が、記号から記憶への昇華において、非常に大切になってくるのだと思う。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。