慎みのある暮らし、とは?

連日膨大な、かつ苛酷な情報が流れてくる。一気に食べ過ぎると腹を下すように、情報が過剰に流れてきて昇華不足では、頭と心がパンクする。僕にとって書くことが頭と心の整理とリハビリ、置き所の確保なので、今日は備忘録的なことを書いておく。

まず、今回の広範囲に渡る大規模な震災と、続く余震、そして原発問題という様々な問題の連鎖に際して、日本社会うんぬんを言う前に、己の生き方自身も問われている、と感じる。
大地が裂け、津波が押し寄せる大きな被害。余震が続き、計画停電も起こり、ガソリンや食パンの買い占めも発生し、原発は信じられない事態が次々発生して、国外退去をし始めた外国人、東京から西に逃れる人々も出ている。
そういう流動的状況は、「当たり前の前提」という日常を一気に押し流し、人々を不安にさせ、群集心理にすがりやすくさせる。「非常事態だ」「自粛せねば」「不謹慎だ」という声も早くも聴かれる。また、それに対して懸念する声も上がっている。(自粛ムードに批判の声 本当に「不謹慎」なのか
私自身は、昨日も飲み会があり、上記で引用を張ったブログの佐々木さんと近いような、ワイナリーでフランス料理、というのを堪能していた(でもフランス料理なんて、随分久しぶりに食べるのですよ♪)。正直、連日ずーっと気を張りつめていると、そういう「ほぐす」場が無ければ、身が持たない。昨晩も帰ってきた後、震度5のゆれで、また気が張りつめてしまったが、少なくとも飲んでいる数時間は、報道も情報も忘れて、落ち着いていた。
流言飛語に惑わされたり、不要・不急なものの買い占めに走ったり、または繰り返し報道される被災地の酷な映像でPTSDになるくらいなら、情報はある程度セーブして、楽しめる場にいるのなら、楽しめる時は、楽しんだほうがいい。本当にそう思う。楽しんで、心と身体の緊張をほぐして、そして日々目の前のお互いのポジション、持ち場、立ち位置、役割・・・で出来うることをする。それと節電・募金しか、被災地にいない一般市民に今できることはないのだと思う。
前回のブログにも書いたが、阪神・淡路大震災を遙かに上回る被害を受けた今回の震災は、間違いなく長期戦になる。ということは、特に被災地以外の人々にとっては、一週間、数週間頑張り続けて、自粛し続け、緊張し続けて、それで燃え尽きても、問題は解決しない、ということだ。地域も人種も思想も越えた、日本に住むみんな、という意味でのオールジャパンで連帯して問題を解決して行くためには、これから数年間かけて、被災地の事も忘れずに、一緒になって、今ある場所から前に進んでいこう、ということである。
であればこそ、まずは今こそ、緊張しすぎないように、リラックスを心がける必要がある。正直、今日が初めての甲府での計画停電だったのだが、計画停電を無事に過ごせるか、だけでも、相当緊張した。私も妻も、毎日をきちんと送るだけで、相当疲れ果て、ぐったりしている。だから、今日も美味しい料理を作って、ワインも開けて、夜は心を落ち着かせるカームダウンの必要性を感じている。
3月11日以後は、それ以前の日常とは変わってしまった。であれば、11日までの日常意識を引っ張っていても仕方ない。それよりは、11日以後の現実の中で、新たに日常を再構成していくことこそ、むしろ求められているような気がする。
計画停電を引き受けながらの日常をどう再構成するか。被災地への支援を頭の隅に置きながら、自分にも出来ることをどう考えるか。それと、自分が3月11日以前から置かれてきた、山梨在住の、大学教員としての現実とを、まだ重ね合わせる事は十分には出来なくとも、意識しながら、暮らしていくことが大切なのだと思う。求められているのは、自粛して行動を必要以上に制限するよりも、情報をちゃんと咀嚼出来るクールな判断力を持ち続け、情勢が変わった時には俊敏に動ける柔軟性だ。
昨日とは違う今日、今日とは違う明日。論理的にはわかっていても、こう毎日刻々と本当に違う情報が膨大に流れてくると、日常性にしがみつきたくなる。それは、人間のバランス感覚として当然だ。だが、それを買い占めや流言飛語への飛びつき、と言う形で保とうとするのは、ますますマイナスのスパイラルに陥る。ならば、それよりは、かなりの緊張感が続く日々の中で、被災地以外の人間としては、「きちんと楽しみ」「きちんとリラックスを確保する」ことこそ、慎み深く生活を続ける為に必要不可欠ではないだろうか。
私やあなたが、身が持たなくなってしまっては、元も子もない。まずは、この状況を生き延びる。その為のクールな判断を保ち続ける為に、リラックスや楽しみを確保する。そして、真っ当な判断力を持って、己の立場で出来る日々の暮らしと、被災地に向けた+αの貢献を行う中で、オールジャパンとしての数年に渡る復興計画に、日本に暮らす一員として携わる。それこそ、慎みのある暮らし、だと僕自身は考える。だから、中途半端に「不謹慎」なんて言葉を使うことこそ、慎みたい。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。