新たな展開の予感

二週間近くのご無沙汰です。

相も変わらず日帰り東京出張が二日連続で続いたり、など仕事も確かに忙しいが、この二週間で、いろいろな事が変化していて、時間的にも物理的にもブログに時間をとれなかった。備忘録的にその変化を少し記録しておきたい。

1,Evernoteが習慣化する。
前回のブログを書いた24日から、Evernoteを使い始めたのだが、これはかなり習慣化してきた。毎朝、前日の記憶を頼りにEvernoteに日記を書き始めたのだが、まあ、書くことがあるわ、あるわ。ブログやツイッターなどのアウトプットは「他人に見られる」ことを基本としているので、実はこれでもかなり取捨選択して、抑制気味に書いている。別に暴発したいのではなく、他人の目に触れるには値しないけれど、自分では書いておきたいその日の出来事や、他人の印象や発言、等を、書き出したら、結構書くことがあるのである。朝からどん詰まりに忙しい日以外は、朝起きてご飯を食べるまでの隙間時間に、ツイッターを見ながらこちょこちょ書いている。
いや、それだけでなく、研究にも活用している。ちょうど来週の11日が、福祉社会学会での学会発表があって、予稿集は書いておくっているのだが、まだその内容を仕上げていない。どうせだったら、とこれまでにため込んできたアイデアも含めて、EvernoteでB6カードよろしく書きためている。すると、アイデアの思いつきや、忘れかけていた記憶の再生など、色々な効果が出始めた。これまで福祉社会学会では2008年からずっと、地域自立支援協議会というメゾレベルの現場のダイナミックスについて、その本質に迫れないか、とあれこれ考えてきた。ただ、ぼちぼち今回あたりでいったんまとめをして、論文にしなければ、と思っている。そのため、具体的な事象に埋没せず、「問いの次数を上げる」ことが求められる。そして、僕が今、研究上でデッドロックにさしかかっているのは、「木を見て森を見ず」ではないが、個別具体の事にこだわってしまい、問題の本質にまで迫れていなからである。
ちなみに、この「問いの次数を上げる」というのは、内田樹さんがよく言っているフレーズである。彼のHPを引いてみると、大変興味深い例が載っていた。読み返していて「そうそう」と思う直近の例を、今ブログであれこれ書き始めたのだが、内容が表に出来ない部分もあったので、これはEvernoteの日記に移行する。そう、これまで書けない内容については書かれずに死蔵されて来たのだが、それを書いて消化・昇華させることが出来るのも、良いところです。と、脱線しているけれど、とにかく研究のまとめをそろそろせにゃまずいので、俯瞰的にこれまで考えて来たことをまとめるにも、Evernoteは活躍し始めている。
2,引越作業とゴミ捨て大会が進む
あと2週間ほどで、市内の別の場所に引っ越すことにした。今の場所は足かけ6年住んでいる。朝は鳥のさえずりで目覚める、大変良い場所なのだが、心機一転したかったのと、次の家のご縁が見つかったので、思い切って引っ越すことにした。そのため、連休明けくらいに業者に段ボール箱を運び込んでもらい、以来少しずつ、段ボール箱に詰めながら、部屋の整理も同時並行的に行っている。
その中で、読んでいない本でも、今の関心から外れてしまった本は、今回思い切って処分することにした。段ボール箱に引っ越し先にも持って行く本を詰める中で、この本とはご縁がないな、と思う本は処分用に分けていったのだ。数にして200冊は超えただろうか。感じ的に段ボール箱で2-3箱分くらいは避けただろうか。大学でフリマをし、8000円くらいのお買い上げになった。それは被災地の障害者支援団体に振り込む予定だ。それでも、14箱は新居に持って行くのだから、決して少なくはない。
2回分の週末を本詰めにかけた後、昨日あたりから、「開かずの箱」やゴミゴミした周辺領域、にも手をつけ始めた。「とりあえず」詰め込んである雑多な内容を、一度地面にさらけ出して、本当にいるものだけを取り出し、あとは捨てる、という地味で面倒くさい作業だ。本を箱詰めするより肉体は使わないが、実は精神的にクタクタになる。なぜなら、真実は細部に宿るから。
前回の引越は、プータローだった西宮時代から、常勤となった新天地へと移る時期と重なった。かつ、引越の1週間前にアメリカ調査から帰って来て、その間にインフルエンザにもかかり、送迎会を軒並みキャンセルする、という失態も重なった。その上で、1週間で引越準備を完了する、というかなりクレイジーなスケジュール。とにかく箱詰めして、前の日は徹夜して、必死になって片付けて、ふらふらになりながら夕方の高速道を甲府に向けて走っていたのを、ぼんやり覚えている。あの頃は全く人生にゆとりがなくて、引越をするだけで精一杯だったのだ。
その後、甲府に超してから、山梨での生活に慣れるのに2,3年かかった。それは、常勤の仕事に慣れるのに、と言い換えてもいいもしれない。で、慣れた頃から、山梨県や三重県での障害者福祉のアドバイザーをし始めたので、加速度的に仕事が忙しくなる。妻はその頃から、引っ越ししたい、と言っていたのだが、今度は忙しくて余裕がなくなったので、とてもじゃないけれど、と拒否していた。乱雑な部屋をみて、ここからどうやって荷物を整理できるのだろう、と途方に暮れていたのも、一因であった。
それが昨年の心境の変化のあたりから、ぼちぼち動いてもいいのではないか、と思いを改める。そして、昨年の夏には不動産屋も廻ったり、学内で声もかけてみたが、なかなか物件は見つからない。そんなもんかなぁ、と思っていた矢先、今年の年明けに、身近な知り合いから、分譲マンションを人に貸したい、というご縁と出会う。いわく、5月末をめどに実家に戻ろうと思っている、とのこと。3月は仕事も立て込んでおり、引っ越し代も高いので、半年後の引越なら余裕もありそう、ということで、話がとんとん拍子で決まった。
6ヶ月の心理的余裕は、確かに大変良い。少しずつ片付けながら、心理的にも、今までの固着した考えを捨てていくのに、それくらいの時間が必要なようだ。実際、今回は連休明けから、よほどの用事がない限り、土日は引越のためにまるまる時間を確保している。その中で、今まで先延ばしにしてた「開かずの箱」「ゴミだめ」とも、向き合うことが出来ている。自分に余裕があるから、これまで蓋をしていた様々な「ゆがみ」「よどみ」と向き合えるようになってきたのだろう。使わないパソコンソフトやハード、読み返さない記録、聞き返さないカセットテープ、袖を通さない洋服、など、この際一気に処分する。毎週ゴミ袋を一杯にするたび、少しずつ心が軽くなっていく実感がある。そして、パソコンラックや、普段使わない重いスーツケース、不用意に取っておいた紙袋、などもとにかく捨てまくる。すると、変なもんで、部屋がだいぶシンプルになり、良い気が流れるようになってきた、ような気分になる。断捨離ではないけれど、引越を機会に、モノとのつきあい方を、大きく見直そうとしている。
3,蘊蓄ハイキング隊、はじまる
先週の金曜日から突然始まったこの企画。ちょうど、「せっかく山梨に来たのに、山梨の自然とふれあっていなかったなぁ」と思い始めた矢先に、大学の同僚A先生から、ハイキングのお誘いを受けたのだ。曰く、「大菩薩峠の半日ハイキングとその後の温泉」という、なんとすばらしい企画。
前日は雨だったのに、その日は非常に晴天に恵まれ、実に気持ちのいいハイキング日和。同僚が多いハイキングなので、山歩きしながらもピーチクパーチク、蘊蓄や阿呆な話に余念がない。かつ、隊長のS先生が、装備もばっちりで、山歩きのことだけでなく、森羅万象についての蘊蓄の大家。よって、蘊蓄ハイキング隊と決まったのでありました。
大菩薩峠の尾根から見る雲海の景色は実に美しく、隊長の言う「山登りはいっぺん出かけてみると、その魅力にはまるよ」という言葉を、文字通り実感した。この夏はこの隊の企画に乗っかって、僕も山梨の山と、一つずつご縁を頂こう、と思う。
Evernoteも引越も、蘊蓄ハイキング隊も、胎動する何か、を感じ始めるエピソード。どこに進むかはわからないけれど、何だか新たな展開の予感がする三題噺、でした。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。