存在論的裂け目と枠組み外し (連作 その9)

これまで外伝も含めて9回ほど、枠組み外しの旅について、書き続けてきた。体重変容という身体的変化から始まり、福祉現場、教育、そして研究における「枠組み」への問いを書き記してきた。そして、ポスト311の局面の中で、その「枠組み外し」は、私自身の実存にも向けられていた。3月26日のブログを、少し長くなるが、引用してみたい。

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ポスト311の、何も手に付かない日々の中で、ふと手にした一冊に、その内在的変容のフックになる一節が書かれていた。
「われわれはみな個人的体験から、世界のなかでのみ、世界を通してのみ、われわれがわれわれ自身になりうるのだということを知っており、また、われわれがなくとも<世界自体>は存続するであろうが、<われわれの世界>はわれわれの死とともに消滅してしまうことを知っている。」(R.D.レイン『引き裂かれた自己』みすず書房、p18)
僕は、この一節に強い既視感を感じた。レインの著作は初めて読むが、この一節は、大学生の頃からずっと感じていたことでもある。きっと池田晶子の著作などを通じて、同様のフレーズに出会っていたのだろうと思う。
由来はこの際、どうでもいい。肝心なのは、今、このフレーズに強い共感を感じるのはなぜか、という点だ。今回のカタストロフィに際して、己の自己も「引き裂かれ」たような衝撃を受けた。ネットやツイッター、テレビなどでの情報の氾濫の渦に呑み込まれ、思考が停止し、「被災地に比べて自分は・・・」と比較不能な事で落ち込み、沈んでいた。ブログの文章を書きながら、頭の中でいくら冷静さを鼓舞しても、圧倒的現実を前に文字通り「身がすくみ」、頭よりも心がショートしていた。その2週間あまりの中から立ち直り始めた時、出発点として偶然(という名のご縁で)手に取ったレインのフレーズに、今、だからこそ、強い共感を覚える。20代から僕の中にあった言葉で置き換えてみたら、こういうことになる。
「僕をめぐる世界は、僕がいなくなれば、オシマイである。」
一見すると刹那的に見えるかもしれない。だが、それはレインの次の一節を補助線に引くと、違う様相を帯びてくる。
レインは、実存主義的精神医学の騎手であり、反精神医学のカテゴリーの中にも入れられている、精神科医である。生物学的な精神医学が隆盛になり始めた1960年代にあって、精神病者の実存に寄り添う形で、狂気を作り出すこの社会の問題性を鋭く指摘した。その意味で、同時代のフーコーと共に、精神医学の権力性・暴力性の問題を焙り出した先駆者でもある。そのレインの28歳の処女作の中に、ポスト311の僕自身の実存と触れあう箇所があるのだ。少し難しい言い方だが、そのまま引用してみよう。
「自己の存在がこの一次的経験的意味で安定している人間では、他者とのかかわりは潜在的には充足したものであるが、存在論的に不安定な人間は、自己を充足させるよりも保持することに精いっぱいなのである。日常的な生活環境さえが、彼の安定度の低い閾値をおびやかすのである。一次的存在論的安定が達成されておれば、日常生活環境が自己の存在に対する絶えざる脅威となるようなことはない。生きることについてのこのような基礎が達成されない場合には、ありふれた日常的環境でも持続的な致命的脅威となるのである。」(同上、p52)
ポスト311の局面で生じているのは、「一次的存在論的安定」への大きな裂け目、亀裂である。地震と津波と原発事故のトリプルショックで露わになったのは、2万人をはるかに越える人々の死であり、生き残った多くの人々の存在論的な安定を衝撃的に奪ったということであり、直接的な被災地だけでなく、放射能汚染の影響もあり、東京も始め、広範囲な地域において「存在論的に不安定」な状態が生まれてしまった。大量生産・大量消費型社会の宿痾のようなものや、蓋をして見なかった事にしていた日本社会の歪みやひずみが、一気に奔流のように表面化してきたとも言える。某知事のように「天罰」と他責的に言い放つ不遜さには全く同感出来ない一方、ポスト311に生じたこの「存在論的な不安定」について、他者の責任ではなく、私自身の本質(=一次的なもの)における「存在論的裂け目」と、個人としては感じざるを得ない。他者への罰、ではなく、私自身への存在論的問いかけに感じてしまうのである。
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この「存在論的な不安定」を、私は無意識的に「存在論的裂け目」と感じ取っていた。そして、ポスト311における「存在論的裂け目」を通じて垣間見た、「一時的経験的安定」の脆弱な基盤という現実。その現実に向き合った時、文字通り、「裂け目」と向き合った時、あの旅の始まりである体重変容のプロセスと同じような、ある強固な枠組みが外れていく感覚を持っていた。そして、それはどうやら「現象学」と名付けられた領域で考えられてきた事に、大きく繋がっている、ということが、後付け的にわかってきた。
「哲学者というものは単に存在しようと望むだけではなく、おのれのなすことを理解しながら存在しようと望むわけですが、ただそれだけのためにも、哲学者は、その生活の事実的与件のうちにひとりでに含まれている全ての断定を一旦停止しなければなりません。しかし、さまざまな断定を停止するということはそうした断定の存することを否定することではありませんし、ましてやわれわれを物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖を否認することではなく、逆にそうした結びつきを見ること、意識することです。これが『現象学的還元』というものであり、そしてその現象学的還元だけが、そうした絶えざる暗黙の断定、各瞬間のわれわれの思考の裏に隠れている『世界の定立』を露呈してくれるのです。」(メルロ=ポンティ「人間の科学と現象学」『眼と精神』みすず書房、p17)
意識的にこの「断定」を停止することは、哲学者ではない小市民のタケバタにとっては容易ではない。だが、食べ過ぎが食毒であること、胃薬を飲むことによって食べ過ぎサイクルから抜け出せなくなっていること、に気づいたということは、タケバタが物理的・社会的・文化的な「食べ過ぎ」世界に結びつけられている「鎖」(=断定)の「結びつきを見ること、意識すること」であった。それを「現象学的還元」と言われてみるなら、なるほど、確かに私自身の枠組み外しの旅は、ある意味、現象学的還元の旅でもありうる。自分がどのような思考様式に無意識に陥っているのか、どのパターンから抜け出せないのか、その様式やパターンがどう呪縛的に、植民地化的に、己の魂を既存し続けてきたのか。それらを、「断定を停止」し、ぼんやり眺め、その総体の「結びつきを見ること、意識すること」ができはじめると、自身の断定が、自分自身の行動や思考そのものの最大のリミッター(=制約)になっていることにも、気づいてきた。凡庸な結論だが、自分の視野や可能世界を限定づけているのは、自分自身、と痛切に感じるようになってきた。そして、ポスト311の局面で僕が垣間見たのも、実はこの「現象学的還元」と大いに関係していることが、わかってきた。
メルロ=ポンティは「現象学的還元」について、「われわれの思考とわれわれの個性的な物理的・社会的状況とのあいだの、生によって設定された裂け目」(p18)である、という。確かに意識的に反省する事によって「裂け目」を見る、ということでは、「生によって設定された裂け目」である、と言える。だが、ポスト311の存在論的不安定の状態の中で私が垣間見たのは、「存在論的裂け目」であった。これは、「生によって設定された」(=つまり自分自身で意識的に設定した)裂け目では無く、外発的事象がもたらした、自然というより大いなる「生によって設定された裂け目」とは言えまいか。意図的・意識的に反省せずとも、圧倒的な地震や津波、原発災害というリアリティが、日本社会の存在そのものに大いなる「裂け目」を産み出し、これまでの自明性を揺さぶっている、とはいえまいか。
現代の日本社会で、「一次的経験的意味で安定している」状態で生きてきた私にとって、これまで「絶えざる暗黙の断定、各瞬間のわれわれの思考の裏に隠れている『世界の定立』」を見ることは無かった。メルロ=ポンティの本の訳注では「世界の定立」の部分で、「これこそがもっとも根源的・包括的な先入見」(p309)であると言っているが、その自明性について、疑うこと無く、それをよりどころにしてきた自分を、震災の後、発見した。つまり、震災というとてつもない現実が、「『世界の定立』を露呈」させたのである。官僚性機能の限界や逆機能、原発対応を巡る失態の数々、放射能漏れという「想定外」の現実に対応しきれないマニュアル・・・このような出来事一つ一つが、日本社会の暗黙の前提とした『世界の定立』そのものを、限界的状況として浮き上がらせているのではないか。こう感じてしまうのである。
では、この事態にどう対応すべきか。社会変革全体の処方箋を書くには荷が重すぎるが、自分自身の対処としては、方針は定まり始めている。それは、「脱植民地化した別の視点を持つ」ということである。確かに「現象学的還元」を続けていくこと、断定をせずにその断定を眺めていくことは、「ありふれた日常的環境でも持続的な致命的脅威」になりかねない。だから、ある程度は日常性を信じて疑わない方が楽だ。しかし、そこにこそ、「世界の定立」(=呪縛の枠組み)そのものに無条件的、無批判的に強固なものにする手助けに、結果的に繋がっているのではないか。
ゆえに出来る事は、その枠組みそのものを眺めること、それもメルロ=ポンティが言うように、「われわれを物理的・社会的・文化的世界に結びつけている鎖を否認することではなく、逆にそうした結びつきを見ること、意識すること」であろう。原爆から原発へとどう「鎖」が「結びつき」を強めてきたのか。政治家と官僚の構造とはどう結びついているか。中央集権的システムから地方分権に移行できなかった日本に、どのような構造的制約があるのか。そのしわ寄せとして、福祉現場で、もっとも権力の非対称性の枠組みの中から抜け出せない人々は、結果的にどのような処遇を強いられているのか。私自身が見てきた福祉現場のミクロな現実にも、日本社会のマクロな総体、つまり『世界の定立』にある呪縛作用が現れている。その枠組みを外してみる、「現象学的還元」をする、以前のブログの整理で言うと、「福祉現場の構造に関する現象学的考察」を続けることによって、何らかのブレークスルーが見いだせるのではないか。そう、感じている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。