タイでの結婚式参列

バンコク、なう。

友人の結婚式に出席するため、タイにやってきている。週末はカンボジアとの国境まで15キロのシーサケット県の農村まで結婚式に出かけた。
その友人とは、5年前のバンコクのワークショップの場で初めてゆっくり話し始めるようになり、以来私的な勉強会や公的なお仕事などで議論を重ねる仲間となっていた。彼は昨年からタイに仕事の場を移し、今年その職場の同僚と晴れてゴールイン。そして、奥様のご実家で挙式および披露宴をする、ということで、5年ぶりにタイに訪れたのだ。何たる奇縁。
お盆の飛行機はめちゃ高かったが、タイの結婚式に参列するチャンスなど、おそらくこれを逃すと全くご縁がないかもしれない。だが、出かけてみて、実に良い結婚式であり、足を運んだ甲斐があった、と実感する。
結婚式は土曜日なのだが、朝7時半にホテルに迎えが来る。8時前に彼女のご実家に着くと、もうお坊さんがお経を上げいる。そして、家の前の縁側(という割には駐車場の広さのある空間)では、お供えをするお米をよそう儀式が参列者により、行われている。以後、僕もよくわからないまま、そのしきたりに従うのだが、日本との相違が非常に興味深かった。
まずは8時半からの「パレード」。これは村のメインストリートを、新郎側の親戚や関係者が音楽隊を引き連れて練り歩き、踊る、というもの。津軽三味線の音階を陽気にしたような、小太鼓やギターの音色に合わせて踊り、叫びながら、会場までゆっくり行進する。村の皆さんにお伝えする儀式のようだ。しかし、これは日本でも同じような「花嫁行列」があった、という。そういえば同僚のM先生も婚礼の際に同種の行列をされた、とおっしゃっていたことを思い出した。音楽の音階といい、なんとなくアジア的共通項を感じる。
そして、仏式結婚式。村の在家信者兼お世話役のおじいさんがマイクを片手に儀式を進めていくのだが、このあたりも、見たことはないのに「昔懐かしさ」を感じる風景。田舎の集会所での冠婚葬祭、というイメージを持っていただければ、大体当てはまるような場所で、儀式は進んでいく。その中で、サンスクリット語でお経を読んでいるとき、「ガッチャーミー」という懐かしいフレーズを聞いた。そう。僕の高校は東寺のそばの仏教高校で、毎月一度、三帰依という歌を歌っていた。それが仏法僧という三つへの帰依(ガッチャーミー)だった、と歌を聴きながら思い出す。このあたりも、仏教国の共通点だ。
さらに、結婚式の後、いったんホテルに戻って、夕方からの披露宴パーティー。地元の高校の講堂(という名の、屋根だけの吹き抜けの場所)で400名規模の大パーティー。近親者だけでなく、ご両親の親類や知り合いも含めた、大規模なパーティー。村や地域へのお披露目、という意味合いも込めていて、日本でも大家族的な色彩があった時代には、きっと規模は違えど、近所の寄り合いがみな集まるような会合だったんだろうな、と想起させる内容であった。
もちろん、違いもいろいろある。
たとえば結婚式の儀式の際、1000バーツ札を100枚!くらい重ねてお盆に載せ、それを持参金的儀式として見せる、という内容がある。あるいは、豚の顔の丸焼きが奉納される。参列者が新郎新婦の手に水をかける。ご祝儀は招待状の入っていた袋に入れる。・・・などなど、仏式結婚式のディティールは、日本とは大きく異なる。
だが、村全体、コミュニティ上げてお祝いしよう、という姿勢や、その中で持参金を持ってきて「妻をいただく」という儀式など、実にアジア的汎用性を感じる結婚式であった。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。