べてるの家とローカル・ノレッジ

めっきり寒くなったので、最近は毎日何らかのスープを頂いている。味噌汁やキムチスープなど、あるいは鍋をするときでも、我が家のベースは昆布だし。それも、日高産の「ばらばら昆布」を使うことがここ数年の定番になっている。

「ばらばら昆布」といえば、福祉業界では結構有名な、北海道浦河の精神障害者の回復拠点・コミュニティーである浦河べてるの家で、定番商品になっている、地元の日高昆布の切れ端を袋詰めしたもの。精神障害者の早坂潔さんが「精神ばらばら病の早坂潔が売る昆布です」と、全国での講演でセット販売するゆえに、売れまくっている。事実、おいしい。浦河には3度ほど取材で訪れ、またべてるの講演に立ち会ったら必ず買っているのだが、最近はネット販売で毎年買っている。ついでに言うと、朝さっと味噌汁を作るときは、ばらばら昆布より、刻んだ昆布がお茶パックに入っている「だしパック」の方が便利である。
今朝、商品と共にダンボール箱に入っていた浦河べてるの家の紹介チラシを読みながら、ぼんやり考えていた。そこには、こんなことが書かれていた。
「べてるの家の歩みは、様々な悪条件を好条件として活かしてきた歴史から生まれたものです。社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化が、精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合ったとき、『地域のために、日高昆布を全国に売ろう』という起業の動機につながりました。」
べてるの本はある程度目を通している僕としては、上記のフレーズは何度も読んだ内容である。でも、改めて今考えてみると、この数行には、大きな意味が込められている。そこには、精神障害者の「生きづらさ」と、「支援体制の乏しさ」、そして「地域経済の弱体化」を重ね合わせ、「地域のために、日高昆布を全国に売ろう」というアクロバティックな発想の転換をした点である。被援助者ではなく起業者として、また支援を受けるだけでなく商売人として、昆布を通じて全国につながっていったことは、これまでも言われてきた。でも、もう一歩踏み込んでみると、精神障害の「生きづらさ」と、地域全体の「弱体化」を重ね合わせたとき、町おこしの一つの手段として、昆布に自らの存在を重ねて売り出した、という戦略には、ここのところ考えているコミュニティの問題と重なるところがあるような気がするのだ。その補助線として、最近はまっている吉原直樹先生の、震災後の論文を用いて考えてみたい。
吉原氏は震災以前から進んでいた、自動車中心の生活による近隣との疎遠化をさして、「プライバティゼーション(私事化)」と呼ぶ。その上で、震災からの復興について、次のように書いている。
「過疎化をそのままにし、プライバティゼーションを放置した状態でいくらコミュニティの再生を説いたところで『絵に描いた餅』に終わってしまう。見方を変えて言うなら、過疎化とプライバティゼーションが現に進んでいる中で、『あるけど、本当はない』地域コミュニティに期待しても決して再生にはつながらないのである。コミュニティの再生のための基本要件は、もはや存立の基盤を失ってしまっている『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸るのではなく、過疎化とプライバティゼーションが深くゆきわたっているという地域の実情を踏まえた上で、そうしたものによって視えなくなっている『生活の共同』の枠組みを再建し、あらためて自律的な生活基盤を確立することである。」(吉原直樹「ポスト3・11におけるコミュニティ再生の方向」『地域開発』2011.9 p25)
そう、地域コミュニティとは、「過疎化とプライバティゼーションが現に進んでいる中で、『あるけど、本当はない』」という危機に陥っているのである。これは、浦河や東北だけでなく、山梨でも全く同じだと思う。そこで、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ことは、ノスタルジーの世界観を満喫することは可能であっても、実際に「地域おこし」という実践へと結びつくにはかえって障壁になりかねない。べてるの家の活動が始まった30年前の浦河も、「過疎化やプライバティゼーション」が進む中で、「社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化」が先鋭化しつつある状況であった。そのとき、コミュニティの弱体化が「精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合った」ことから、商売という突破口を彼らは見つけ出した。
さらにいえば、実はこのときに地域福祉の推進や行政との協働、という方向にべてるの家が当初進まなかったのは、もしかしたらその協働のあり方の問題もあったのかもしれない。
「地震直後および原発事故直後に『区会とか町内会の姿がよく見えなかった』のは確かであるが、そうした地域コミュニティの不活性化が地震勃発以前の行政による『上から』の町内会の起用と被災者を広く囚えてきたプライバティゼーションとの相乗作用に基づくものである」(同上)
この吉原氏の論考は、防災コミュニティを行政主導型で進めてきたが、結局は「上から」のコミュニティ作りが機能しなかったことを指摘している。前回のブログにも書いたように、防災コミュニティを地域福祉と入れ替えても全く通じる、行政主導型の「上から」のコミュニティ論が、「過疎化とプライバティゼーション」とあいまって、本当の地域づくりに実態的に機能していない、ということを如実に表している。
では、どうしたらいいのか。
「『生活の共同』のありようをより視野を拡げて3・11以前にさかのぼって問うなら、クリフォード・ギアツがローカル・ノレッジと呼んだものの地域社会における存続形態が大きな争点になるだろう。それは『住民の視点』から織りなされる『固有の知識』であり、『人間の生がある地でとったかたち』を示している。地域社会の歴史は無数のローカル・ノレッジとともにある。当然のことながら、地域社会の再生にはこのローカル・ノレッジのありようが深くかかわってくる。しかしそれは普段意識されることはない。それが強烈に意識されるようになるのは、専門知=技術知がある大きなできごとを前にして壁にぶつかったときである。われわれがいま遭遇しているのは、まさにそうした状況である。」(吉原、同上、p26)
「地域社会の再生にはこのローカル・ノレッジのありようが深くかかわってくる」とい
う吉原氏の指摘は、深い共感を持って読んだ。僕自身も、以前、「正解」から「成解」へ、というテーマでブログを書いたとき、このローカル・ノレッジを意識していた。そして、改めて浦河べてるの家のことを考えてみると、まさに北海道の辺境地で、過疎化と高齢化が進み、地元の水産業も商売が右肩下がりである、というローカル・ノレッジに根ざしていた。そこで、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ことはしなかった。いや、精神医療やソーシャルワークといった「専門知=技術知がある大きなできごとを前にして壁にぶつかった」時に、そんなことを言っていられなかった。そんな追い詰められた局面で、「社会的な支援体制の乏しさや地域経済の弱体化が、精神障がいを抱えながら生きようとする当事者自身の生きづらさと重なり合った」ときに、「様々な悪条件を好条件として活かしてきた歴史」が立ち現れてきたのである。これぞ崖っぷちで「生活の共同」を改めて問う中で、浦河町の特産である日高昆布につながることが出来たから、浦河べてるの家は、その後、地域再生や精神障害者の快復の見本例と昇華していったのだと思う。
そこまで考えたとき、地域包括ケアや地域自立支援協議会と呼ばれる、福祉行政で進めようとしている施策のあり方にも、根本的な疑問が生まれる。それらの施策は、「『古きよきコミュニティ』への過剰な思い入れに浸る」ものではないか。あるいは「上からのコミュニティ論」ではないのか。「過疎化とプライバティゼーション」があいまって、弱体化しているコミュニティを再生させる際に、本当に「『住民の視点』から織りなされる『固有の知識』」を大切にしているか。そのローカル・ノレッジに基づいた、地域づくりをしようとしているか。国のモデル事業を縮小再生産的・表層的に当てはめておしまい、とはしていないか。
立ち返るのは、その地域の住民の本当の「困りごと」であり、その地域の「過疎化やプライバティゼーションの進行具合」であり、それ以前から培われてきたその地域の「固有の知識」であるはずだ。これらのローカル・ノレッジを丁寧に聞き取り、ここから地域福祉を立ち上げていく、というボトムアップ的なものでない限り、浦河のような地域再生は出来ない。
さらに言うならば、浦河べてるの家には、「べてらー」と呼ばれる熱心なファンがいる一方、「べてるは所詮特殊例だから」と蔑む声も聞かれる。僕自身も、長い間、どうべてるを評価してよいのかわからなかった。だが、浦河べてるの家や、中心的人物のソーシャルワーカー向谷地生良氏をローカル・ノレッジに基づく地域再生の視点で捉えると、すっと理解できる。べてるの人々は「全国どこでもべてるは出来る」と言い、べてらーたちもそれを夢見るが、なかなか実践できていなかった。もちろん、「幻覚妄想大会」や「三度の飯よりミーティング」、「当事者研究」というアウトプットや成果を利用できるならしたほうがいいと思う。でも、多分大切なのは、そのアウトプットが出来上がるプロセス、つまり、浦河固有のローカル・ノレッジを精神障害者の地域資源のなさという過酷な実情と重ね合わせ、少しずつ地域の一員として、商売という軸で地域展開を続けてきた、浦河べてるの家のローカル・ノレッジに基づく歩みのプロセスにこそ、他の地域でも応用可能な、福祉のコミュニティ作りのエッセンスが詰まっているのではないだろうか。そしてこれは、制度化やシステム化とは一見相容れない、地道で時間がかかる作業ではないだろうか。
僕自身は、地域自立支援協議会や地域包括ケアといった、ともすれば「上から」の地域福祉にもなりかねないものにかかわり、そのお手伝いをしようとしている。その際、自戒すべきなのは、どんな理想論であっても、上からの網掛けは、絶対失敗する、ということである。時間がかかっても、その地域固有のローカルな文脈に耳を傾け、そこから立ち居がってくる「固有の知識」をベースにして、制度やシステムで使えるものは使い倒しながら、その「固有の知識」に基づいた、その地域独自の展開をうまく促進させる。そういうボトムアップ型のコミュニティ作りをしない限り、「過疎化やプライバティゼーション」の波には絶対に勝てっこない。そう、思い始めている。

投稿者: 竹端 寛

竹端寛(たけばたひろし) 兵庫県立大学環境人間学部准教授。現場(福祉、地域、学生)とのダイアローグの中からオモロイ何かを模索しようとする、産婆術的触媒と社会学者の兼業。 大阪大学人間科学部、同大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。山梨学院大学法学部政治行政学科教授を経て、2018年4月から現職。専門は福祉社会学、社会福祉学。日々のつぶやきは、ツイッターtakebataにて。 コメントもリプライもありませんので、何かあればbataあっとまーくshse.u-hyogo.ac.jpへ。